第35話
五十八
石は到着するなり建物の外周を探りながら、見取り図に書き込みをしていた。
谺と結衣はそれを余所に受け付けを済ませて、石が来るのを待つ。
内覧許可は比較的簡単に降り、建物内の見取り図に眼をやっていた。
共用部の広さは、団体生活を送る上で必要だが、リハビリ施設や歩行訓練 場所が見受けられない。足腰の機能維持がされないことで、妄想に取り付かれそうになった。その時こめかみ(骨)が振動して、三半規管が思念(想音)を傍受した。
『怪しい形跡が見受けられないので、合流に向かいます』
谺と結衣が顔を見合わせて、眼を点にしていた。
石に続き、小嶋が笑顔を振り撒きながら入って来た。
「カエルコール、届かなかった」
「帰る」
「行く?、の間違えなんじゃない、はるちゃん」
「だってぇ、草むらの番人カエルさんが、そうしなさい、って語り掛けてくれたんだもん」
「語り掛ける、って、聴こえたの」
「心が震えて、教えてくれたんだよ」
「多分ですが、電磁波に乗った、と思います」
「いや、重ねることで、紡がれたんですね」
谺が小嶋に投げ掛けた。
「紡がれたから、なの」
「どういうことよ」
「前に、赤瞳さんが言ってた、光の原理を思い出したんだよ」
「それって、放射の原理じゃなかった」
「点と線を重ねる。と、川崎の図書館で教わりましたが」
「昔のことですが。想いに亀裂が生じると、
「誰に」
「父です」
「
「赤瞳さんがそれを、化学式にして説明してくれました」
「化学式なの」
「はい。中学で教わる、力の分散(衝撃波)の数式付きでした」
「数式」
「如何して、そんな面倒なことをしたのかなぁ、あっくん」
「その時は、圧力までで終わっています」
「圧力」
「なんで終わったのよ」
「薬に移行したからです。僕が薬剤師を目指したきっかけなんです」
「どうやって、薬につなげたのよ」
「錠剤が溶けるのと、ガラスに歪みが生じ割れていく様を重ねました」
「圧力で液化することは、言ってなかった」
「パスカルのことですか」
「良く解らないから、帰ってからにしようよぉ」
「そうですね」
「私と谺は、保健室に行くのよね」
「こちらは介護職員さんに、状況を聴いて来ます」
「案内係が付くそうですから、呼んでもらいますね」
谺は言うなり、受け付けに向かっていた。
「投薬の一覧表を頂けますか」
「私共は、医師の指示に従って、投薬しただけです」
端整な顔立ちの看護師長は、気丈に振る舞っているように見えた。
「それは充分理解しています。私たちも薬剤師の端くれですからね」
看護師長に寄り添う姿勢が、凍て付いた心を緩ませていく。
谺は此処ぞと許りに、
「あなた方の無実を証明する為に、やって来たんですから」と、
「そんなこと、出来るわけありません」
頑なに予防線を張るつもりである。
「未発見の元素を混入されたのです。今は未だ毒が取り出せないだけです」
「未発見の元素」
「未発表のものですから、僕たちにしか取り扱えません」
看護師長は身を硬直させ、
「あなたたちが・・すり替えた・」
「ち・違います。犯人はテロリストです。私たちは、被害者ゼロを目指す、国の機関員なんです」
「国に、そのような機関があるんですか」
「お節介な人って、どこにでも居るでしょう?」
「・・・」
「ここだけの話しですが、新元素の分野は世界一なんですよ」
結衣の
「本人は妄想家とほざいていますが、元素が見えるのは、世界にただひとりなんですよ」
「そんな公表は聴いたことがないですが、神様のような人が居る。と私は思っています」
「お医者様にゴッドハンドがいますからね」
「もしそれが本当ならば、施設の信用も取り戻せます」
「信じて協力して下さい。必ず名誉を回復してみせますから」
看護師長は、手のひらを返したように協力的になった。
谺は、薬の服用に関して情報が欲しかった。それはある種、薬剤師のサガといえる。
結衣は、効用的類似商品について質問していた。入手経路の特定で、欲深き輩が見いだせるからである。
「最初に不調を訴えた方と、二番目に不調を訴えた方に、十分もの時間差があったのですか」
石は疑問を独り言のように繰り返した。
「最初に不調を訴えたのは、トメさんでした。トメさんはお薬を嫌がりますので、食事に混ぜて飲んでもらいます」
石は情報をメモリながら、目で続きを促している。
「二番目がはるさんで、薬は完食後に飲ませました」
「二番目が、はるさんなんですね」
「はい。三番目は、いとさんでした」
「トメさんからはるさんまでは」
「お巡りさんが来たりしたので、定かではありませんが、十分強だと思います」
「はるさんの服用から、いとさんの服用までは、どれ位ですか」
「救急車の到着で手薄になっていたので、五分後くらいだったはずです」
「トメさんから、十五分後くらいになりますね」
「そうですね。食事のペースは個人差がありますので、流れ作業的に服用して頂きます」
「救急隊員さんは、応急処置をしましたか」
「はるさんの訴えで、それどころではありませんでした」
「二台目の手配で、バタバタしていたのですね」
「トメさんがぐったりして静かになりましたので、そっとして置いた、という感じですかね」
「ぐったりしていた」
「はい。意識があり、脈拍も
「そうですか」
石は、『新元素ではなかったのかしら』と考えたが、口に出さなかった。
「お亡くなりになったことはどうやって知ったの」
小嶋の疑問が、話題を変えるきっかけになった。
「はるさんが先に、息を引き取りました」
「二番目のはるさんが、先にお亡くなりになったのですか」
「お巡りさんがお立ち会いになっています」
「そういうことだったのですね」
「私たちが原因でしょうか」
「事実関係を精査する必要がありますので未確定ですが、テロ犯罪の可能性が高いですね」
介護職員は浮かぬ表情をして、
「そうですか。はるさんは心臓に疾患がありましたので、苦しそうに息を引き取りました。その苦しんだ表情が今も、瞼に焼き付いてしまっていて・・・」と、切なさにうちひしがれていた。
「必ず犯人を捕まえますので、安心して下さい」
「宜しくお願いします・・・」
「犯人逮捕では、気持ちが晴れません? か」
「スミマセン。看取ることは馴れているのですが、できることがあったような気がして」
「風評被害に負けちゃ駄目だよ」
小嶋の励ましの言葉で、石も気付いた。
一度張られたレッテルを剥がすことは簡単でも、当たり前の水準には戻りにくい。お亡くなりになった入居者様は帰らない。介護職員はそれを、嗚咽に乗せて吐き出していた。
五十九
「食事後の事件だから、納入業者から当たった方が良いわね」
斉藤は事件を見据えて言った。
「それは、施設組が辿り付くんじゃないかなっ」
「なら、薬局関係だね」
「そっちの納入業者が気になるんだっ」
小野は、虫の知らせを口にした。
「そういえば、まるが捜査に参加してなかったよね」
「そうだったっ」
「県警の情報が知りたいから電話してみるわ」
斉藤は言うと、斉藤まるに電話を入れた。
斉藤まるは、「県警の情報ですか。写メを取り送ります」と言って、通話を切った。
「まるのクセに生意気なんだよなぁ、最近」
「サクセスストーリーにする為に、張り切ってるんじゃないっ」
「振り回されなければ良いんだけど」
斉藤の不安は、経験者の
『 ピピッ 』
メールの着信音で、堕ちるのを回避した。
「ジェネリック医薬品会社許りだよ」
斉藤は言いながら、小野に写メを見せた。
「ひとつづつ当たるしか無いよっ」
小野に促されるままに、行動に移っていた。
斉藤まるは、うさぎにそれを報告した。
『本当にこれで良かったのかな』
「成らぬは人の為さぬなり、です」
うさぎの決意の返しに、斉藤まるは迷走に陥ってしまった。
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