第18話
二十九
希望があるだけで、待つ身の辛さは変わらない。うさぎは日頃から、日本人に生まれたことを嘆いていた。拉致された型だが、亡命を望んでいるのかも知れない。相手のことを考えても、それが良策だとは限らないのである。
胸が締め付けられる想いの石は、虫の知らせを同時に感じていた。
「裏社会が再始動したならば、元素殺人事件が起きますね」
虫が無意識の石を使い呟いている。
「テロは、起きるよね」
伊集院がその言葉に食い付いた。
「赤瞳さんは居ないわよ」
「恥ずかしがり屋さんだから、顔を出せないのかも知れないねぇ」
「そうでしょうか」
「知った風な言い回しね、高橋」
「皆さんの言葉を総称すると、正義感からいても立っても居られない方にたどり着きます」
「人が寿命を全う出来る世の中。よく言ってたなあ」
「バタバタと、人が死ぬ時勢が来るらしいからね」
「私たちに出来ることがあります」
「何ができるの」
「特効薬はないよぉ」
「開発に成功した、と会見しちゃおうか」
「また、切れるだけなのでは」
「俺たちの天敵だからな、報道は」
「敵さんの考えそうなことかぁ」
「藤沢真奈美さんから始まったよね」
「次が美容師カップルだった」
「真由美さんが殺され・・・」
「どうした? 一二三」
「真由美さんから、うさぎさんの知人が殺され始めてる」
「真由美さんに、川井遥さん」
「今回は、橘田一也さんだよねぇ」
「それって、同一犯人だからってこと」
「居候する切っ掛けは、赤瞳さんの命を守る為、でした」
「それは、狙撃犯が現れたからだよねぇ」
「一つが、お金で雇われた狙撃犯」
「もう一つが、階段の未遂犯でしょ」
「未遂犯と拉致が繫がったわよ」
「喫煙所の拉致は、一条と杉野の手の内だったよ」
「それは、潰しました」
「うさぎさんが姿を現せない理由があるとすれば、狙撃犯だな」
「お金で雇われた輩だよねぇ」
「それを終わらす為の投身自殺だったとは考えられませんか」
「そうなるわね、高橋」
「そうなると、米国さんの筋書きになるわよね」
「若しかして米国さんは、赤瞳さんの千里眼に気付いたのかなぁ」
「そうなると、捕虜? となります」
「まるで、映画、だね」
「大脱走を、知っているのかい」
「昭和の精神論は、過去の遺物なんだけどな~」
「そうなると、まるで、紅い靴の歌詞ですね」
「横浜と川崎は、近いですからね」
「帰らぬ理由が違わないかい」
「室長に倣って、出たとこ勝負にしてみない」
「僕たちが動くことで、牽制になるかも知れないよね」
伊集院の提案から行動することを決めた。
石は、高橋とニコイチになり、小野は教育を含めて、小嶋とペアである。残された斉藤は、伊集院とセットにされた。素数の状況に意味は無い。中里は円満を目指す為に、補充を考えていた。
それぞれの想いが重なり始めた時に、石の携帯電話がなった。見覚えのない発信番号は、うさぎを期待させたが、斉藤マルコスからであった。
「もしもし・・・」
「どうかしましたか」
「今・鷺沼駅なんですが・・」
「不審死体? ですか」
石は川崎の図書館から別れる際に、「不審死体が出たら、必ず連絡して下さい」と、釘を刺していた。
「目撃証言の全てが、フラフラといきなり倒れた? なんですよね」
「直ぐに行きます。現場の保持に努めて下さい」
石は言うと、「室長、神奈川県警に元素殺人事件を流して下さい」早口で手配を依頼した。
「高橋、追いておいで」
斉藤に言われて、高橋がノートパソコンを鞄に忍び込ませた。
「はるちゃん、現場研修が一番の経験になるから、行こう」
小野に急かされるように、小嶋が緊張の面持ちで立ち上がる。
伊集院が中里に目配せして後に続いた。
鷺沼駅に到着すると、それぞれがてんでに散らばった。到着までに、役割分担が指示されている。
伊集院と石が、県警に筋を通す役割である。斉藤と小野が、被害者の確保を図る。高橋と小嶋が、野次馬の中のうさぎを捜す役目を、伊集院から言い渡されていた。うさぎの性分を考えたものである。
伊集院と石が県警から嫌味を言われたのだろう。顰めっ面で、被害者の元にやってきた。
伊集院は、横にしゃがみ込むなり
「ん・んん」と、周囲の空気感の違いに気付いた。
石と斉藤の虫が騒いでいる。
「この電磁波の流れは、宇宙を徘徊した時に感じたもの? だったな」
伊集院が独り言を呟いた。
「
斉藤が、それに食い付いた。
「後ろ、ケンタッキーの、脇道だね」
伊集院と石からは正面に当たる。
斉藤と小野が振り向くと、うさぎが近付いて来ている。
「赤瞳さん」
石の声が掠れている。
斉藤と小野の間に入ったうさぎが、
「倒れてから何時間? 経ちましたか」
「マル~」
斉藤の掠れた叫びが、斉藤マルコスに届き、猛ダッシュでやって来た。
「110番通報は、何時何分、でしたか」
「十時十三分と聴いています」
「まだ、間に合います」
言ったうさぎが、三十センチ程のジュラルミンケースを身の前に置き換え、開ける。中から注射器を取り出して、伊集院に手渡した。
受け取った伊集院が、
「何をするつもり? なの」と聴く。
うさぎが青い液体の
「五十ccが総量です。青は七、黄色は三の割合いで、お願いします」といい、黄色の液体も手渡した。
「了解」
伊集院が笑顔で答え、テキパキと配合し始めた。
「基本は、心臓と脳の壊死を防ぐことです」
「なら、静脈注射だね」
「循環を促す為に、マッサージが必要です」
「女手だけど、心配? 要らないよ」
石・斉藤・小野の三名が
「わたしもいるよ」
小嶋が高橋の肩越しに言った。
同時に、伊集院が投与を完了した。
「目的が循環ですから、女性たちの優しさが、決め手になります。頑張って下さい」
うさぎに言われ、石が心臓付近のマッサージを始めた。斉藤が左側の首から腕をマッサージし、それを見真似た小野が右側をマッサージする。
高橋と小嶋がそれに倣い、腹からの下半身を手分けしてマッサージした。
十分程で、息絶えた被害者が、「ゲホッ・ゲホッ!」と、息を吹き返した。
女性たちは疲れも余所に、眼を点にする。
「死んだ人が、甦った」
斉藤マルコスの声が裏返っている。
「お帰り、うさぎさん」
「死んだもの? と思っていませんでしたか」
「僕は信じていたよ」
「違います、被害者の方です」
言ったうさぎが被害者に向かい、
「お帰りなさい、手塚さん」と言った。
「知り合いなの」
「母の友人です」
「お帰りなさい、赤瞳さん」
石の声が掠れたままだった。
斉藤は泪を流しながら、笑顔を作ろうとしている。
小野は人目を
「警察無線で、救急車を呼べますよね」
「斉藤マルコス文昭です。了解しました」
高橋が、状況をガン見している。
「うさぎ赤瞳です。川井遥さんの補充の方ですよね」
「高橋博子です。宜しくお願い致します」
「わたしも補充の小嶋陽菜です。歓迎会をばっくれた方に、やっと会えました」
師の小野を見真似て、縋り付いた。
「ところで、この薬は? どうしたの」
「米国のお土産です」
「米国さんだと、こんな薬剤も市販されてるの」
「M工科大学で造りました」
「くすねて来ちゃったの」
「共同開発だから、
「若しかして、不純物無し? を選んでない」
「好きなものを選べ、と言われましたから」
「見えることは、教えて無かったんだね」
「
「不純物入りに気付いたら、奴さんたち怒る? んじゃない」
「帰って来ちゃいましたから、別に構わないでしょう」
「言い争いでもしちゃった? の」
「死刑囚で実験する、と言ったので、道徳心は無いんですか、と訊いただけなんです? がね」
「文化の違いじゃしょうがないよね」
「お邪魔して、申し訳ありませんが、救急車が到着しました」
「関東○○病院へお願いします」
斉藤と小野が、ぴくっとした。
「なんで○○病院? なの」
「手塚さんの掛かり付け医院です」
「警察病院じゃなくて? 良いんですか」
「良いんじゃない。どうせ経過観察しかできないんだから」
被害者の手塚さんは、自ら歩いて救急車に乗り込んでいた。
一同は見送ってから、中里の待つ内閣府に戻って行った。
死体が回り回って届くなら、と考えて現場に来たが、その必要がなくなった。想わぬイレギュラーだが、これも神の御加護だろう。信じる女性たちも、声を取り戻していた。
「お帰りなさい、赤瞳さん」
中里も涙ぐんだ。
「現場で、まだ間に合う、って言ったけど、制限時間? が、あるの」
伊集院の戯言を切っ掛けに、一同が談話テーブルに集まっていた。積もる話しよりも、死人を生き返らせたことが、強烈な印象を残していた。
「臨床試験では、二時間がタイムリミットでしょうね」
「人間の躰の神秘だね」
「あくまでも、私の考えですが」
前置きしたうさぎが、一説を語り始めた。
人の躰を維持する為には、五臓六腑の臓器が重要である。何故ならば、運ばれてくる遺伝子情報は、その場所場所で解析されるからである。
精子と卵子の結合で最初に造られるものは、血液(DNA・RNAを含む)だろう。血液が循環を求めることから、臓器が造られて行く。
循環の機動力の心臓が、臓器で最初に造られるのだろう。肺が造られても、羊水に包まれているうちは、機能をしない。だからこそ、出産時に、産声を出させ、機能を促すのである。
心臓が造られても、他の臓器が造られるまでは、循環が生まれない。その補給の為に、臍の緒で繋がるのだ。
種の保存ではなく、記憶の継続が遺伝子の生業なのである。
何故、継続なのか。
考えられることは、進歩と進化である。
元素が三つの行動から生み出した光も、最初は点だったのだろう。放射を生み出して、線となった、と考え着く。
総てが感性への恩返しから始まっている。
努力を継続することと、進み続けることが、人に課せられた責務なのである。
今の
答えの先にあるものは、未来でなくてはならない。今現在の状況は、終わりに向かう終焉である。この状況を打開できるものが、心しかないのだ。期待とは裏腹に、絶滅危惧種に据えられている。
文化の違いを肌で感じ、人に必要なものを
石と斉藤が、瞳を閉じて聴いていた。
他者たちは、目頭を熱くしている。
「遡ると、元素にたどり着きます」
「元素が生まれた理由が、この世の始まりになるもんね」
「科学者たちが現実しか観ていないからです」
「始まりの理由ですか」
「高橋さんは、理系出身の科学者のようですが、耳が痛いですか」
「私は私の感性に従っていますから、耳も心も痛みません」
「理想的ですね」
「有難う御座います」
「わたしも感性に従って生きてるよ」
「それは何よりです」
「有難う、赤瞳さん」
言った小嶋が、最高の笑顔で微笑んだ。
「心から溢れ出るその笑顔は、感性からの
「賜物」
「贈り物のことよぉ」
「和みを育みながら、色々と覚えていきましょうね」
「りょうか~い。序でに、はるちゃんって呼んでくれると嬉しいな~」
「了解致しましたよ、はるちゃん」
「末長く、宜しくお願いします」
「真由美との戯れに、似ています? よね、いっくん」
「そういえば、こんなことを言ってたよね、あっくん」
「俺のことを、真由美さんは、なんて呼んでたんだ」
「宇宙の徘徊に参加してないから、呼び名なんて無いよ」
「私には、なっくんと言っていましたよ」
「私たちも、そう呼んだ方が? 良いですか」
「感性に従って下さい」
「創世主であり、万物の母なんだからね」
「俺も今は、信じているよ」
「ご褒美を貰えるのも近い、ということですね」
「よかったな、なっくん」
「一二三に言われると、一寸むず痒いよ」
「いっくん、でしょっ、なっくん」
小野がおちゃらけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます