幕間4 御代海侑の思い出

 ──それは今から一年前。アタシがまだ高校一年生になったばかりの頃の話。


 アタシは友達になったあー子と外食をしに、鉄板焼き屋ユキドケに来ていた。


「ねー海侑! ここ鉄板焼き屋さんって聞いてたけどめっちゃオシャレじゃない? 絶対美味しいよ!」

「そうかもね」


 あー子を適当に流しながらメニューをパラパラ眺める。ここはまだオープンして間もないらしい。だからか品揃えは基本を抑えたものと挑戦的なものを綯い交ぜにしていた。まあ下手に冒険して不味いのを食べるよりは、とトッピング無しのオーソドックスなお好み焼きを選ぶ。


「アタシは普通のお好み焼きにするけど、あー子は?」

「んー……。キャラメルもんじゃかチョコもんじゃ……いやチョコキャラメルお好み焼き……?」

「うげ。よくそんなゲテモノ食べようと思うし」

「だって甘いんだよ! 甘いってことは美味しいってことじゃん!」


 とんでもない暴論を振りかざしながらあー子はうんうん唸る。残してもアタシ知らないよ? 食べれる気しないし。


「……決めた! すみませーん!」

「はい!」


 元気な返事でオーダーを取りに来たのはまだ不慣れが見えるセットした髪の男子。多分同い年くらい。


 ネームプレートには手書きの字で『やっち』って書かれてた。


「海侑がプレーンのお好み焼きで、あたしが海鮮お好み焼き!」

「チョコとかキャラメルどこ行ったし」

「甘いものはデザートでしょ?」


 さも当然とでも言いたげに注文する。いやまあそれには同意するけど……何か釈然としない。


 だけどあー子の朗らかな笑顔を見てそんな気も失せる。こういうところがみんなを惹き付けるんだろうね。アタシもその内の一人だし。


「ねぇ海侑。今日ここ二人で回してるんだね」

「ツーオペってやつ? さっきの人も忙しそうだし」

「あたしは慣れないうちは人が多いところが良いなぁ。飲食店は憧れるけど!」

「ふふ、確かに向いてそう」


 あー子は絶対お客さんに人気の店員になりそう。看板娘ってやつ?


「海侑はバイトするの?」

「アタシはする予定ないよ。うちのお父さん超過保護だし、お小遣いもこんなに要らないって言っても渡してくるから」

「えーやろうよー! 一緒のとことか入ったらめっちゃ楽しそうじゃん!」

「でもあー子部活あるくない?」

「す、吹部は申請さえ出したら大丈夫だから……休みは……うん……」


 まあ朝練とかもあるらしいし、自分の希望だけじゃどうにもならないことだってあるよね。


 にしても、アタシがバイトかぁ。


「……アタシって何があったらバイト始めると思う?」

「うーん……。お小遣いが足りなくなったら……?」

「言ってなかったけど毎月突き返してる分もあるよ」

「と、友達作りたいとか!」

「今は別にあー子居るし。それにそのうち友達なんていくらでも出来るでしょ」

「だよねぇ……うーん……」


 後思いつくとしたら社会経験? でもそんな殊勝なことアタシが望むとは思えないし……。


 しばらく二人であれこれ言い合ってると、さっきの店員さんが注文した料理を持ってきてくれた。


「お待たせしました! こちらがプレーンでこちらが海鮮です!」

「あっねえ店員さん! 今大丈夫?」

「今日はそこまで忙しくないですし大丈夫ですよ!」


 え、これで忙しくないんだ。感覚麻痺してない?


「店員さんってなんでこの仕事を始めようと思ったんですか?」

「俺バイトですけど、それでも良いなら話しますよ」

「むしろバイトの人の話が聞きたいです!」

「えっと、俺は単純にコミュ力を付けたいなっていう理由ですね。実は高校じゃ俺ぼっちでして……」


 だからヘアセットが不慣れなのかな。アタシは口を挟まずに続きを待つ。


「接客業でもしたら同級生と話せるようになるかなって思ったんです。まあ実際は大人ばっかり来るのであんま意味無いんすけどね!」

「じゃあまた来ようよ海侑! やっち? さんをぼっちじゃ無くそう会!」

「え? ああ、まあ……多分?」

「はは、ありがとうございます。ちなみに何でそんなことを聞いてこられたんですか?」


 基本ちゃんとした敬語だけど時々居酒屋敬語というか、砕けた感じになる。歳上に好かれそうだな、なんてことを思った。


「今バイトの始めるきっかけって何だろうって話をしてたんです! お金とか友達とか、色々話し合ったんですけど海侑があんまりしっくり来てなくて……」

「だったら後は恋愛とかですかね? まあ俺自身は彼女居ない歴イコール年齢の悲しい男なので説得力は無いですけどね」

「え、そうなの?」


 アタシは思わず聞き返す。ぼっちって言う割には手慣れてる感じがしたからかなり意外だった。


「恋愛って話だったら二人こそ居るんじゃないですか?」

「あ、あたしはまだそういうの早いから! 海侑は!?」

「アタシは……、今は良いかな。別に好きな人も居ないし」

「やっちー? お話は良いけど後でバックヤードの掃除よろしくねー」

「あ、すいません今やります! てことなのでごめんなさい、俺はここで一旦失礼しますね」

「はーい!」


 そう言って店員さんは慌ただしく戻っていく。


 ……アタシに恋人か。正直居ても良いかなって思ったことはある。嫌味じゃなく事実として告白された回数はもう数え切れないし、惚気話を聞くと羨ましいなって思わなくもない。


「ねえ君ら今日二人? もし良かったらオレと──」

「無理。今食べてるからどっか行って」


 ただ、こんな感じで軽いナンパをしてくるようなヤツとは死んでも恋人になんてならないけどね。



「ありがとうございましたー!」


 お好み焼きを食べ終わり、アタシらは特に長居することなくお店を出た。ご馳走様でしたって言ったら店長さんはまた来てねってにこにこしてた。やっちって人が店長って呼んでたけど……見た感じ大学生くらいだよね?


「ねーえーみーゆーうー!」

「どしたん急に」

「ナンパの人ぶった斬るからもう行けなくなったじゃん!」

「あー……、それはごめん。アタシああいうの嫌いなんだよね」

「それに変な気を起こされたら危ないのは海侑なんだよ? 怒る理由はわかるけど、り、リスクリターン? を大切にね?」

「はーい」


 言いたかったのはリスクヘッジかな。まあでも確かにちょっと迂闊だったかも。反省しなきゃ。


 時刻は夜の八時前。この後は別にどこか行きたいところがあるわけでもないし、今日は解散かな。


「あー子帰る?」

「明日朝練が無かったらいつまでもOK!」

「ちなみに明日は?」

「……実はうちの吹部ってめっちゃ厳しいんだよ……はぁ……」

「じゃあまた明日ね。バイバイ」

「はーい。また明日ー」


 いつも通りのテンションでアタシらはそれぞれの帰路につく。


 家はここの遊歩道を真っ直ぐ進んだところの住宅街にある。今日は何だか人が少なめだけど、いつもはもっと人通りがあるから女が一人で歩いててもあんまり警戒とかしなくて済むし、個人的にこの道は気に入ってるんだよね。


 コツコツとローファーのアスファルトを踏みしめる音が響く。人が居ないと普段耳に入らないような環境音も聞こえてくる。


 何となく、嫌な予感がした。


 アタシの後ろ、誰かついてきてる? 自意識過剰かもしれないけど、自分の足音以外にもう一つ耳に届いた。


 アタシは意を決して、勢い良く後ろを振り向く。


「お、やっとこっち見てくれたじゃん。オレのこと覚えてる? てかまあさっきのナンパ男って言ったらわかるか」


 早過ぎる再会にアタシは過去の自分を呪う。ちょっとイラついたからってこんなことになってるんじゃ世話ないじゃん。マジ最悪……。


 ……とりあえず、最低限怒らせないようにだけはしなくちゃ。


「さっきの人だよね。何か用?」

「うへぇ〜、凄まれるとマジ怖いわぁ。な、やっぱちょっとで良いから遊ぼうよ。オレどうしても君のこと諦めらんねぇんだわ」

「……別に凄んでないし」

「そこじゃねえだろ!!! 良いから来いっつってんだよ!!!」

「わっ!?」


 強い力で腕を引っ張られる。アタシは余りの勢いによろけてしまった。


「自分がちょっと可愛いからって調子乗っちゃった? なあ」

「……さっきのことは謝る。だから離して」

「やーだよバァァァカ! こっちが嫌な思いしたんだったらお前が嫌な思いさせられても文句言えねぇよなぁ?」


 足が震える。怖い。あー子の言う通りもっと穏便に断れば良かった。


 ……だから男は苦手なんじゃん。いくら取り繕っても結局は弱いまんま。


 もう抵抗する気も失せちゃった。


「お? やっとその気になったかよ」


 力の抜けたアタシを目敏く理解し、嫌な顔で笑う。


 さっきまでは楽しかったのに。


 諦めたアタシは、しかし運だけは良かった。


「あの、さっきのお客さんですよね。……てかどっちもか。お兄さん何やってるんですか。一部始終は見てないので多分ですけど、それ犯罪ですよ」


 オシャレなフォントでユキドケと書かれた黒いTシャツを着た男子。


 やっちって呼ばれてたその人は、いとも容易くアタシらの間に入ってくれた。


「お前さっきの店員じゃん。こっちの話だから気にすんなよ」

「そうなんですか?」

「あ、アタシ?」

「別に変なことしてねえよな? なあオイ」

「……」


 威圧的な、というよりもう脅しのような物言い。思わず頷いてしまいそうになる。


「っと、すみません電話来ました。店長……こんな時に……」


 は、はぁ? 電話? この場面で?


「チッ。もう良いから行くぞ」

「や、待って……!」

「は? お前余計なこと考えんなよ?」


 言われて無意識について行きそうになる。だけどそれよりも一瞬早くやっちって人は電話を切った。


「……あの、もしかすると逃げた方が良いかもしれません」

「そ、そんなのわかってるし!」

「あ、えっと、そっちじゃなくて……」

「あん? オレ?」

「……うちの店長からの伝言です。前科か小指、決まったら教えて。……だそうです」


 ぜ、前科ってことは警察だよね? てか小指の方って……。


「はっ! どうせハッタリだろうが! あんま粋がってると殺すぞコラ!!!」

「じゃあアンタはどうなんすかね」

「は?」

「ここで言い合ってたってことはそっちのお客さんが出てすぐ話しかけたってことですよね。でもそれおかしくないですか? アンタ結構前にうちの店から出ていってましたよね」

「……だったら何だよ!!!」

「ストーカーですよ。やってること」


 毅然として言い放つ。怯えは一切見えない。


 この人、怖くないのかな。


「てかそもそも女の子に無理やり迫ったってのが気に入らないっす。気持ち悪いですよ」

「は、はぁ!?」

「相手が男だと殴れませんよね。反撃されたら怖いですし」

「そんなんじゃねえよ!!!」

「あとちなみにどうやら警察が呼ばれたそうです。ほらほこ」

「は……?」


 やっちって人が差したところには確かに警察が……え、何あれパトカー? しかも何かめっちゃ出てきてない? ナンパってそんなに重い罪なの?


「店長曰く俺達は居なくても良いようにしてくれたんだってさ。ほら行くよ」


 店長何者だし。てか手繋いでる。これじゃ状況は違えどさっきのヤツとやってること自体は一緒だし。


 ……だけど何でかな。


 アタシはその手を握り返したまま、一緒にその場を離れた。



 大体五分くらい手を繋いだまま走った。着いたところは遅い帰宅のサラリーマンや大学生が歩いてる大通り。


『やっち』は、立ち止まると共に慌てて手を離した。


「ごごごごめんね!? 急に手を……てか敬語忘れてるすみませんでしたッッッ!!!」

「ふふ、別に気にしなくて良いし。多分同い年くらいじゃない?」

「ま、まあそれなら……」


 ほっと胸を撫で下ろした仕草をする彼は心底安心していた。さっきはあんなに動じなかったのに何で今はこんなに狼狽えてるんだろう。


 そう思うと、何だか笑いが込み上げてきた。


「ふふ、助けてくれてありがと」

「俺は店長に散歩してこいって言われただけだよ。お礼なら店長に言ってあげて」

「店長何者だし」

「多分君が絡まれることも全部理解してたんだと思うよ。店員側から席って意外とよく見えるし、お店に来た時点で何となくわかってたんじゃないかな」

「それヤバくない?」

「ちなみに年齢もヤバいよ。詳しくは知らないけど三十歳いってたんじゃないっけ」

「嘘でしょ!?」


 あの見た目で!? ワンチャン未成年って言っても通じるよあの人!?


「すっご……美魔女ってマジで見たの初めてかも……」

「……元気は出た?」

「え?」

「お店での明るさが無くなってたから」


 そう言って微笑む彼に、アタシは少しの間見とれてしまった。


 ……このタイミングでそれは、ちょっとズルくない? ……吊り橋効果狙ってるでしょ……絶対……。


「……やっちだっけ」

「お店ではそれで通してるね。うちあだ名厳守だからさ」

「やっち。改めて言う。……さっきはホントに怖かった。ありがと」

「どういたしまして」


 やっちは大人を彷彿とさせる優しい口調で応えてくれる。


 ……アタシ、実は歳上が好きなのかな。守ってくれる人というか……いや別に好きって決まったわけじゃないけど!!!


 ……まあでも、一個だけ聞いておこっかな。


「ねえやっち。もしやっちが誰かと付き合えるってなったらどんな子が良い?」

「……考えたこともなかった。うーん……」


 些細な質問でもちゃんと悩んでくれる。一度乙女フィルターがかかってしまえばどんなことだって嬉しく感じちゃう。そんなのがアタシにあるとは思ってもなかったけど。


「俺さ、歳上に囲まれて育ったんだよ。だから自分で言うのも変な話だけど歳上の人からはよく好かれるというか、気に入ってもらえてさ」

「……ふーん」

「え、何か怒ってる?」

「別に」


 嫉妬とかしてるわけじゃないし。早く続けてよ。


「だから、もし付き合えるなら後輩だと嬉しいんだと思うよ」

「そっか。……ならアタシがユキドケでバイトすることになったら後輩だね?」

「……後輩感無いなぁ」

「む。じゃあどういう子だったら後輩っぽいの」

「……黒髪ロングで大人しい子……とか……?」

「何だ。小学生の頃のアタシじゃん」

「どんな進化を遂げたらそうなるの!?」


 確かに今は金髪ミディアムでイメージとは違うかもだけど。でも女子なんて小学生の頃はみんなそんな感じなのにね。


 アタシはいつか来るかもしれない日を思い浮かべながら、いたずらを思いついた小学生みたいな顔で笑う。




「もしアタシがユキドケに入ったらよろしくね。?」




 そう言うと彼は、困ったように笑うのだった。

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