第26話 第一ラウンド︰初めての恋人の家
拝啓、弥太郎さん。俺は今みーちゃんの部屋に居ます。ふわふわのクッションや白いテーブル、オーソドックスなベッドにパステルブルーの掛け布団など、至るところからみーちゃんを感じて緊張がマックスです。めっちゃ良い匂いもします。
中略。
弥太郎さん。俺どうしたら良いですかね!?!?!?
「み、皆川! お茶はジャスミンティーで良い!?」
「ななな何でも大丈夫です!」
「わ、わかった! 適当にくつろいどいて!」
うわぁぁぁドキドキするぅぅぅ!!! 良いのかな!? 家族が居ない間に家に上がらせてもらっても大丈夫なのかな!?
ととととりあえず弥太郎さんに連絡するか! 報連相は大事って弥太郎さん言ってたしね! あの人なら何か良いアドバイスをしてくれるはず!!!
やっち︰彼女の家に招待されたんですけどどうしたら良いですか?
弥太郎さん︰自慢してくんなクソガキ。
ダメだこの人最近振られて荒んでるんだった!!! ごめんね弥太郎さん!
……さてどうしようか。ま、まあ? 元々やろうとしてたことは原価率の計算だし? ノートでも広げておこうかな? 緊張してるって流石にバレる?
いや落ち着け皆川大和!!! お前はみーちゃんの彼氏だろ!? みーちゃんが勇気をだして家に呼んでくれたのにてめえが無様を晒してどうするんだ!!!
入れるんだ、陽キャスイッチを……!
「お、おまたせー……待った……?」
「ううん! 今来たところだよ!」
「……?」
違うな! これは違うな皆川大和! おまたせ待ったに対して条件反射で答えるなクソバカ!!!
みーちゃんはお盆に乗せたグラス二つとお茶菓子を置いていく。お茶菓子の器まで可愛い。こんなとこまでうちのとは大違いだ。
「ありがとうみーちゃん!」
ミスったならここで挽回しろ。俺ならやれる!!!
「……何でやっち先輩モードなの? ちょ、ちょっと恥ずい……」
今すぐぼっちスイッチを全開にするんだ。恥ずかしい思いをさせるなんて言語道断。
「……皆川何やってたの?」
「原価率をノートにまとめようとしてました」
「何で敬語?」
「ぼっちモードだからね」
「最近はそうでもないじゃん」
まあ言われてみればそうか……。……いやそうか……? 確かにみーちゃんは勿論としてあー子とか世良氏とも話すようになったけど……同性の友達が居ないって結構なことだよな……悲しい……。
「あ、そう言えばその原価率さ、店長に聞いたらダメなの?」
「ユキドケが買ってる卸売りとはまた違うからね。そんなに使えないだろうし」
「ふーん」
まあでも鉄板を三つ使う予定だからそれなりの量は必要だろう。材料は業務用のスーパーで揃えたら良いかな。とりあえずの概算なら見に行かなくても検索で出てきた金額で良いか。
「メニューは確定してないけどとりあえず小麦粉は必須として……ただ教室でするとなると席数と回転率も考えなきゃだよな……。先生によるとあんまり客が入らないとも聞くし……いやそこは宣伝次第でどうにかなるか……? あー子とか得意そうだし……」
「アタシにも見せて」
「ああ、うん……。……!?」
ずいっと隣に移動してくるみーちゃんに俺は思わず心の中で驚く。
これは何というか……めっちゃ近い……!
「あーそっか、確かにお客さんがどれだけ入るかで必要な量も出せるもんね。無駄にしちゃったらもったいないし」
「ままままあ最悪誰かが持って帰るか鉄板のレンタル代には少な過ぎるだろうけどユキドケに持っていったら良いんじゃないかな!?」
「何でそんな焦ってるの? ……っ!? そ、そういうことね!? ごめんちょっと近過ぎたかも!!!」
慌ててみーちゃんは距離を取る。び、びっくりした。さすがにこの距離はね……。
「……ねえ皆川」
「どっどうしたの!?」
「……近くだと、恥ずかしい?」
言葉とは不思議なもので、言外の所作や雰囲気で意図することが伝わってくる。
俺は早くなる鼓動を無視して、短く息を切った。
「俺からお願いするよ。……近くに来てくれないかな」
そう言った俺にみーちゃんは恥ずかしそうに、だけどコクリと小さく頷く。さっきと距離は同じだけど今度は意図的に、俺の隣に寄り添った。
肩と肩が触れ合う。ほのかな体温を感じた。
暫く無言の時間が続く。原価率の計算なんて既に忘れ、今はただ心地良い静寂に身を任せていた。
「……ねえみーちゃん。親密さの十二段階って、肩組みを除いたら次はキスらしいよ」
「調べたの?」
「店長が教えてくれてね。みーちゃんが強制的にトークスペースに入れられた時にさ」
「ふふ、店長マジで言ってそう」
そしてまた、しかし今度は緊張感を伴った静謐が場を支配する。
話を振ったのは俺だ。教科書通りに進むなら次はキス。だけどまだ付き合ってそこまで経っていない。
……本当にそうすることが正しいのかな。過去の経験による明確な基準を持たない俺は、せめて思考を巡らせる。
ただやっぱり答えが出ることはない。そもそも正解なんて存在するのだろうか。
だから俺は、答えをすぐに選べるカッコ付けたやっちではなく等身大の皆川大和として、みーちゃんに質問してみる。
「今さ、キスする感じか悩む空気感だよね」
「ふふ、自分でそれ言っちゃう? まあアタシも思ってたけど」
「……何が正解なんだろうね」
「どうだろ。理想というか憧れるシチュエーションはあるっちゃあるけど」
「詳しく」
「ちょ、食い気味食い気味。別に大したことではないけど、お互いがこれはもうするって確信した時に……とか? ……何か恥ずい」
「だったら今では無さそうだね」
「だね。……今はくっついてるだけで充分」
そう言ってみーちゃんはぴとりと俺の隣に身を寄せる。ふわりとした感触がどうしようもなく異性を思わせた。
……それからどれくらいの時間が経っただろう。
陽だまりの中に居るような心地良さは、しかし無情なガチャリというドアの開く音によって切り裂かれる。
……え? ガチャリ!?
「海侑ー、玄関に靴あったけどお友達でも来てるのー……あ、失礼っ! マミーはリビングに戻っておくね!」
「ちょっお母さん!?」
「お義母様ァ!?!?!?」
「うーっふっふっふ! 海侑と彼氏のツーショット写真ゲットだぜ!!!」
「いつの間に撮ったの!?」
こうして穏やかな時間は思ってもない騒々しさに塗り替えられ、俺達は第二ラウンドを迎えるのだった。
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