第34話 忘れてはいけないこと

 相手の傍若無人な振る舞いに周囲の人はおろか並んでいた人達までその場を離れ遠巻きに伺う。せっかく楽しい日なのに俺のせいで申し訳ないと思うと同時に、強い既視感を覚えた。


 この感覚はユキドケで迷惑なお客さんが来た時のそれ。俺は密かにバイトの時の自分を思い出す。


「みーちゃんは俺の後ろに下がって」

「え、でも」

「良いから」


 俺はみーちゃんを強引に隠れさせ、改めて彼と相対する。


 ……俺のせい、なんて言ったけど実際俺に落ち度はない。あるとすればみーちゃんと付き合う以上最低限の立場を築いておくべきだったという、遅過ぎる後悔だ。


「何黙ってんだよ? もしかしてぼっちだから人と話すの苦手? あっは、ごめんな! オレぼっちと話すとか頼まれてもしたくねーからさぁ! 慣れてねぇんだよ!」


 さっきはご丁寧にみーちゃんに振られたと言っていた。そんな相手が自分よりも格下だと思っている相手と付き合っている。だから今は血が上っているんだろう。


 口ぶりからするにみーちゃんの知り合いないしは友達だろう。


 事を荒立てては、今後迷惑が掛かるかもしれない。


 ……落ち着け、俺。俺が馬鹿にされる分には何の問題も無いんだ。上手く相手の鬱憤の矛先を俺に向けろ。




 だからみーちゃんを馬鹿にされて煮えくり返るはらわたは、一旦忘れろ。




「あ? 何だよその目。喧嘩売ってんのか?」


 抑えろ。人の目は鏡だ。俺がにこにこしていれば相手も幾らか溜飲を下げるはず。情動感染をこっちから誘え。


「ごめん、俺目が悪くてさ。目付きが悪くなってたなら謝るよ」


 勿論嘘だ。論理が通っている内容なら納得しやすい心理を突いただけ。


「だよなぁ? お前みたいなぼっちが喧嘩なんざ売れねぇもんな!」

「だね。嫌な思いをさせたかな」

「あっは、お前すげえ低姿勢だな! ビビってんじゃねーよバーカ!」


 彼は出店を出て来て俺の前に立ち、強めの力で肩を叩く。不用意に至近距離に近付くのも俺を舐め腐っているからだろう。


 それで良い。だからもうみーちゃんの悪口は──




「──てかお前みたいなヤツと一緒に回ってる御代もマジで気持ち悪いな! うっわそれで女王様気取ってるとかヤバくね? なぁぼっち!」




「……やめてくれないかな」

「はぁ?」

「やめろって言ったんだよ。俺の悪口は良いけど御代の悪口は言うな。振られたことでプライドに傷が付いたのはわかる。だけどそれを人に押し付けるな」

「……何調子乗ってんの? 殺すぞ? あぁ!?」


 ぐっと胸ぐらを掴まれる。だけど動じない俺へ更に腹を立てたのか、大声で俺を恫喝した。


 バイト始めたての頃はよく対処の仕方を間違えてこうなることもあった。今更これくらいじゃ怖がるものも怖がれない。


 ……失敗したな。みーちゃんを馬鹿にされてつい頭に血が上った。これじゃもう相手を気分の良いまま落ち着かせるのは不可能だ。


 既に自責を始めていると、人混みから見慣れた人が出てきた。


「やっち。うちが言ったこと覚えてる?」

「……店長」


 食べ終わったのだろう、店長は周りの静けさをものともせずこちらに割り込んでくる。


「うちは『怒ってるお客さんには怒る理由があるから、度が過ぎない間は優しく対応してあげて』って言ったんだよ」


 全部覚えてる。いくら理不尽なことを言われようと、それはただのファーストインプレッション。見極めるのはもう少し後でも良い。


 歳上に囲まれて育った俺が無意識に行っていたことを、店長によって言語化してもらった。


「ここで問題。そこの良くて中の下の男はお客さん? 度は過ぎてない?」

「はぁ!? てかアンタ誰だよ!!!」

「……お客さんじゃありませんし、これだけ周りを巻き込んでる。度なんて過ぎる過ぎない以前の問題ですね」

「ん。じゃあやることはわかる?」

「はい」


 店長のその言葉に俺は頷く。思えば最初からラインを履き違えていた。


 俺はみーちゃんを馬鹿にされた時点で怒るべきだった。何故なら俺はみーちゃんの彼氏であり、この世で一番大切な人を貶されたなんてことがあれば真っ先に訂正させるべき。


「オイぼっち!!! 保護者におんぶ抱っこされて満足かよ!?」

「その前に謝れ」

「は?」

「御代に謝れって言ってんだよ」

「ンなもん誰がするかよ! ぼっちと付き合ってんのは事実だろうが! 女とまともに話したこともない三軍がよ!!!」

「ねえ沙耶香。やっちって女とまともに話したことないの?」

「じゃあ私らは何なんだろうね、麻美」

「次は誰だよ!?」


 もはや相手の方が四面楚歌とも言える状況。二人も文化祭に来てたのかとやけに冷静に思った。


「あたしらはやっちのことを可愛がってるただの女子大生でーす」

「自分が振られたからキレるとかサイテー」

「ああクソ!!! お前女に助けてもらってばっかで恥ずかしくないのかよ!!!」

「じゃあお前も誰かに庇ってもらえば良いだろ」

「は……?」

「聞いてみれば良いじゃん。自分を振った女の子が知らない男と出店に来た。だからイラついてバカにしたんだけど、誰か自分を肯定してくれって」


 努めて冷静に、だけど怒りを滲ませながら俺は続ける。


「そんなんだから振られたんだろ? じゃあここで御代が俺を振ってお前を選べば満足なのか?」

「ンな安い男じゃねえよオレは!!!」

「だったらこの問答に何を求めてるのさ」

「っ……、それはてめぇらがムカつくつらを晒してるから馬鹿にしてやろうと……!」

「ならそれをみんなに言えば良い。筋が通ってるなら賛同してくれるよ」


 そう言って俺は辺りを見渡す。当然ながら誰一人手を挙げる人は居なかった。


「もう一回だけ言うから、今度はちゃんと理解してね。御代に謝れる?」

「……あークソ! わかったようるせえな!!! 俺が悪かった!!! だけどお前だけは一発殴るぞクソが!!!」


 懲りない相手だな。まあ一発くらいは殴られても、と特に抵抗はしなかった。


 だけど俺が殴られる瞬間は一向に訪れない。いい加減焦れったくなった俺はもう一度目を向ける。


 振りかぶった拳を止められていた。それも真鍋先生を連れた弥太郎さんによって。


「なあやっち。前に面倒を起こしたオレが言うのもなんだけどさ、人が良すぎるのは考えものだぜ?」

「弥太郎さん」

「どうした?」

「本当に弥太郎さんが言うことじゃないですね」

「言い出したオレも悪いけど今言うことじゃなくね!? ここはオレがカッコ良くやっちを助ける流れじゃねーの!?」

「な、何してるんですか! 職員室に連れて行きますからね!!! あと皆川君と御代さんも後で事情を説明してください!」


 気付いたら俺の交友関係がほとんど勢揃いしてる。何だか気恥ずかしくなって少しだけ笑った。


 ……そうだ。ここまでみーちゃんを後ろに下がらせたままだったな。


「みーちゃん、大丈夫?」

「……大丈夫、だけど」

「けど?」


 続く言葉が分からず、俺は聞き返す。


「アイツ……誰?」

「はぁ!? おまっ、前にてめぇに告白しただろうが!!!」

「アタシ断んなかったっけ」

「断られたけど!!!」

「じゃあ一々覚えてないに決まってんじゃん。自意識過剰過ぎ」

「……クソが!!! お前ら全員死ね!!! 見てんじゃねぇよ野次馬共が!!!」


 最後まで暴れながら彼は先生と弥太郎さんによって連れて行かれる。


 残された俺達は、やがて落ち着きを取り戻したかのようにその場を離れた。


「りんご飴、どうする?」

「ふふ、こんなことがあってそれでも買うとかヤバくない?」

「まあ発端じゃないとはいえ迷惑は掛けたし」

「良い人過ぎ。それともただりんご飴が食べたいだけ?」

「ぼっちだしね。普段行かない出店に並ぶような物だから正直気になってる」

「何それ。まあ良いけど」


 俺とみーちゃんはそんなことを言いながらりんご飴二つを注文する。担当してくれた生徒はまさか俺達が買いに来ると思ってなかったのか目をぱちくりさせたけど、慌ててオーダーを通す。


「あと皆川」


 みーちゃんはぎゅっと腕を組んでくる。表情は心做しか明るかった。


「彼女って言ってくれてありがと。そういう男らしいところに、アタシは惹かれたんだよ」

「……バイト中にこんなことあったっけ? 弥太郎さんの時?」

「だったら好きになって一日で告ってるじゃん。そんな一瞬で告る程軽くないし」


 それもそうか。でもだとしたら本当にいつの話だ……?


「多分皆川は覚えてないよ」

「嘘だろ!? 俺がみーちゃんとの思い出を忘れてる!?!?!?」

「だ、だから二人きりの時以外はそう呼ぶの禁止だって!」


 可愛い……乙女スイッチ入っちゃうもんね……マジ可愛い……。


「これはアタシとやっち先輩の思い出じゃなくて、アタシの思い出」

「……そ、そっか! なるほどね!」

「絶対意味分かってないでしょ」

「そそそそんなわけないけど!?」

「りんご飴四つ出来ました!!! お代はマジ結構です!!! 迷惑掛けて本当申し訳ありませんでした!!!」


 この人達にも悪いことをした。売り上げが落ちたら俺のせい……いやアイツのせいだな。責任の所在はちゃんと認識してなきゃ店長に怒られる。


 ともかく、俺は大丈夫であることを伝えた。


「別に良いけど……今りんご飴四つって言った? 俺注文の時に二つって言わなかったっけ?」

「サービスです! あっ他にも要りますよねすみません!!! オイ在庫のりんごも三十個くらい持ってこい!!! 袋に入れて差しあげて!!!」

「それは流石に運ぶ時重いから良いよ!?」

「……じゃ、じゃあせめて十個! 十個ならキティちゃん三人と三分の一の重さですし!」

「言い方が猟奇的過ぎる……」


 三人はともかく三分の一って。想像したくもない状況じゃないか。


「良いじゃん貰っとこうよ。せっかくくれるって言ってるんだし」

「……打ち上げの時にでも剥こっか」

「アリ! じゃありんごもお願い!」

「うっす!!!」


 そんな流れで俺はりんご飴四つとりんごが十個入ったビニール袋を受け取る。


「はい、御代」

「ありがと」


 手に取った四つのりんご飴のうち一つを手渡す。りんごはともかくりんご飴を四つ貰ったは良いものの……これどうしよう。誰かにあげようかな。


「……あ」

「どしたん?」

「そう言えば俺が忘れてるっていう思い出って何? 彼氏としての威信を守るために脳に刻んでおきたいんだけど」

「別にー?」

「思い出せ……思い出せ俺……!」

「それは良いけど、とりあえずアタシらも職員室行った方が良くない? りんご飴食べ終わったら」

「忘れてた。あとりんごも教室に置いてくるとして……じゃない! 思い出は!?」

「りんご飴美味しっ」

「美味しいけどそれはそれとしてね!?」


 結局俺はみーちゃんからその思い出の内容を聞けないまま、時間は流れていくのだった。

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