第18話 月樹・改めて、新生活
ああ、また
喧嘩しているというか、竹下さんが一方的に文句をつけているだけだが…リズさんは大丈夫だろうか。
「あのさぁ、沙月」
れいれいが竹下さんをなだめるように言う。
「何?」
心持柔らかくなった声で竹下さんが問う。
「……が……みて…から、……が……う」
れいれいが小さな声で言った。
同時に、竹下さんがびくっとした。
そういえばさっき、竹下さんがれいれいの耳元で何かを言っていた。
何の話をしていたんだろう。
「…あ、えっと、その、ご、ごめんね、山脇さん!ちょっと言いすぎちゃったかも!玲香、山脇さんのところに行ってきなよ!」
慌てたように言う竹下さん。
とりあえずほっと胸をなでおろす。
でも――いつも自分の言い分を譲らない竹下さんが、こんなにあっさり謝るなんて。
れいれいは何か魔法でも使ったのか?
手元の本に目を落とす。
あの状況で、この本の主人公なら竹下さんに何て言うだろう。
うーん…
「ねぇねぇ、るき君もちょっと今いいかな」
後ろからリズさんが言った。
さっきれいれいを呼んでいた「話」についてだろう。
振り向くと予想通りれいれいとリズさんが僕を待っている。
「いいよ。何?」
「あのね…」
周りに内容がバレない様に、リズさんは言った。
「借りるアパートの候補が、2件まで絞れたって今朝山脇さんが教えてくれたの」
「そうなの?!やったーー!」
れいれいが顔をほころばせる。
きらきらと光る瞳。
「うん。だから今日の放課後に見に行って決めない?」
「そうだね。行こう」
「私も行く!」
アパートか。
ついに、僕ら3人の生活が始まるんだ。
想像するだけで心が喜びでいっぱいになる。
「じゃあ決まりだね。山脇さんも行くから、私の家に5時集合で」
リズさんはいつも通りの無表情で締めくくった。
「うん、わかった」
「山田さんのクッキー、お土産に持っていくね!」
ほんのりとリズさんの顔が染まる。
――なんだよ。可愛いじゃないか。
「あぁ、うん…ありがとう」
カーテンの隙間から差し込む光が、壁に綺麗な四角形を描く。
「玲香、もういいでしょ。こっち来なよ」
ふと前の方を見ると、竹下さんが不機嫌そうに立っていた。
「ごめん、沙月!今行くね」
れいれいが前を向くと同時に長い髪がふわりと広がった。
シャンプーのいい香りがする。
「じゃあ、また5時に」
そう言い残してれいれいは竹下さんのところに戻ってしまった――いや、戻りかけて、はっとしたように僕の机に帰ってきた。
「ねー沙月、そっちいくのめんどくさいからこっち来てよ。るきとも一緒に話したらいいでしょ」
れいれいが意味ありげに言う。
一回戻りかけたのに、どうしてわざわざここで話すんだろう。
「えぇぇ?!…わかった。ありがと」
竹下さんがゆっくりとやってきた。
竹下さんなら反論すると思ったのに。
やっぱり今日の竹下さんはいつもと違うように見える。
「山中君…あの、えっと、おはよう」
「おはよう」
気まずい沈黙。
いつも進んで何か言い出すれいれいが、なぜか全く喋らない。
「きょ、今日もいい天気だね」
当たり障りのない話題だ。
でも、窓の外はたしかに一面の青い空。
不意に入学したてのころのことが思い出された。
――れいれいと屋上で話した、あの日と同じだから。
僕たちが会えない間に、れいれいはあんな辛い思いをしてきたんだって知ったのは、あの日だった。
今のれいれいを見たって、絶対誰もれいれいの痛みなんてわからないだろう。
――隠してる。私も隠してるんだ。自分の弱さも、気質も、全部、明るくして隠してる。山中君と同じように。
あの時のれいれいの表情を思い出す。
――思い出しちゃうの。弱い私が。山脇さんも昔の私と同じだって思っちゃう。でも山脇さんは私みたいになってほしくない。
れいれいは、弱くなんてない。強い。
――僕は、強くなりたいのに。
「…そうだね」
なんやかんやしている間にチャイムが鳴った。
残念そうな表情で席へと戻るれいれいの背中を、僕は眺めた。
その背中にどれだけの苦痛を背負ってきたんだろう。
これからは、辛いときは3人で支え合える。
――これからは、正真正銘の『家族』なんだから。
自然と頬が緩んだ。
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