第28話 玲香・フルートの神様

「あっれー?玲香と山中君?なんでここに、二人で?」


そこには沙月と――なぜかリズ姉がいた。


「どうしようるき兄……一人で帰らないといけないっていう嘘、沙月にバレちゃった」

「大丈夫。僕に任せて」


その頼れる言葉にうなずくと、るき兄は笑顔で沙月の方を向いた。


「あぁ、竹下さん。こんにちは。帰る前に二人とも親から電話が来て、一人で帰らなくてもいいって言ってたから僕ら二人で帰ってきたんだ」


好きな人であるるき兄の言葉に少し怯む沙月。


「それはよかった。でもなんで私は誘ってくれなかったの?」


るき兄が口籠る。

よし、ここは私の出番だ!


「ごめん沙月、沙月も誘おうと思って探したんだけどいなかったから二人で帰ってきちゃった」


その言葉に不満げに口を尖らせる沙月。

そんな沙月に何かを囁くリズ姉。

すると沙月はいつものように笑顔になった。


「そっか。わかった。それじゃあ仕方ないね。また今度一緒に帰ろうね!」


そう言って笑顔のまま私たちの横を通り過ぎ、沙月は言ってしまった。


「なんで急に笑顔になったんだろう。何か裏があるのかな?」

「いや、裏があるようには見えなかったよ。いつもの竹下さんの笑顔だ」


いつもの沙月の笑顔……

心が罪悪感でいっぱいになる。

私たちは嘘をつき、それを謝りもせず誤魔化して、それは最低なことなのに、沙月はそれを笑顔で許してくれた。


なんてダメな人間なんだろう、私は。


「ところでリズさんさっき竹下さんに何を言ったの?」

「え?あー、仕方ないことは認めないと嫌われるよって言った」


リズ姉は目を泳がせながら言った。

絶対嘘ついてるな。


「リズさん嘘ついてる」

「え?ついてないよ?」

「ついてるよね?」

「いいから早くアパートに戻るよ!」


リズ姉は何か企んでいるように言うと、アパートに向かってずんずん歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待ってよ、歩くの早いよ!」

「はいはい、仕方のない子だねー」


やっぱりお母さん感がある。

少しペースを落としてくれたリズ姉に黙ってついていく。


「ねー、僕歩くの疲れちゃった」


しばらくしてるき兄が言う。


「リズさんおんぶしてー」

「え?!」


リズ姉がるき兄の方を振り向いて赤面する。


「え、リズ姉何戸惑ってんの?別に兄弟同士おんぶするくらいよくない?」


それに、リズ姉はるき兄と兄弟としてもっと仲良くなりたいって思ってるっぽいし。

ちょうどいいじゃん。


「あ、いや、私も重い荷物持ってるから無理……かな」

「そう言わずにおんぶしてよー」

「そうだよリズ姉!これはチャンスだ!」


「え……チャンス?」


エールを送る私に、リズ姉がぎょっとしたような視線を送る。

おそるおそる私の耳に口を近づけるリズ姉。


「れいっか、もしかして私のこの感情に気づいてたの……?」

「当たり前でしょ、気づいてるよ!もっとるき兄と仲良くなりたいんだよね?」

??あ、そう。そう捉えてたんだね。うん、その通りだから。くれぐれもじゃないからね!そう思っといて」


なんとなくほっとしたようにリズ姉が言う。

きっと自分の本心を言い当てられて、誤解されていなかったことに安堵しているんだろう。

相変わらずおんぶをせがむるき兄を、やんわりと制するリズ姉。

うーん、お母さんだなあ……


「あ、そういえば今日はリズ姉が晩御飯作ってくれるんだっけ」

「そうだよ。もう作った」

「うわぁ、楽しみ!」

「コンビニ弁当じゃないよね?」

「何言ってんのー。そんなわけないでしょ」

「それはよかった」


そう言っている間にアパートにつく。

階段で3階に上がると、ガチャリとドアノブを回して部屋に入った。

制服のブラウスを脱いで肩がオフになっている涼しい服に着替えると、うーんと背伸びをする。


「暑ーい」


ピッピッと電子レンジの音を聞きながら、ソファーの上でうとうととする。

今日も学校疲れたなぁ。

オーディションとかの話もあったし……

あ、そうだ。オーディションに向けてフルート練習しなきゃ。

うとうとしてちゃいられないや。

私はフルートを持って立ち上がった。


扉を開けてベランダに出ると、暖かい風が体を撫でる。

銀色に光るその長い棒……フルートを構えると、私はすぅっと息を吹き込んだ。

〰〰〰〰〰〰♪

ただの「ドレミファソラシド」の音階――スケール。

それがオーディションの内容だ。

ドレミファソラシドなら簡単だから練習しなくても吹けるなんて思ってはいけない。

今日、部活で聞いた亜理紗の吹く音色は、私の実力じゃ足元にも及ばないほどのすごいものだった。


でも、このまま亜理紗に負けていられない。

できることなら沙月と亜理紗と私の3人全員がフルートパートになれるようにしたい。

私だけ取り残されないように……!

気合を入れて、少し暗くなってきた街並みに向けてもう一度音を届ける。


「へぇ、音咲玲香、気合い入ってるじゃん」


横から声がした。

光沢のある絹のように、滑らかで高い声。

声のした方向を見ると、輝く薄い衣を何枚も重ねた女性がベランダの手すりに腰かけていた。


「あなたは誰?どうして私の名前を知ってるの?」

「私?そうね……フルートの神様とでも言おうかしら。神様だからあなたの名前なんて簡単にわかるわ」


亜麻色の髪をくりくりと指に巻き付ける〈フルートの神様〉。


「ほんとに神様なんですか……?」


神様といわれても、信じられるわけがない。


「えぇ。ほら見て」


〈フルートの神様〉は右手でパチンと指を鳴らした。

それと同時に光の渦が巻き起こり、気づいたら彼女の手には美しいフルートが握られていた。

……すごい。本当に神様なんだ。


「うわぁ、魔法みたい」

「そうでしょう?これで私が神様だってわかった?」

「一応わかりましたけど、なんで神様がここにいるんですか?」


不思議そうに問う私に、〈フルートの神様〉はウインクをした。


「そんなの決まってるでしょ、下界でフルートを練習してる可愛いコがいたから天上から降りてきたの」

「は、はぁ……」

「たしか来週オーディションなのよね?」

「そうです!」

「猫矢亜理紗の音色には敵わないと思っているんでしょ?」

「はい。彼女、本当にすごくて……」


「そう、じゃあ私一つ予言しておくわ」


ニヤリと笑う〈フルートの神様〉。


「自信を持ちなさい。本番までに音咲玲香の方が猫矢亜理紗より上手く吹けるようになる」

「えぇっ?そんなことあるわけ――」

「猫矢亜理紗はオーディションまで全く練習しないわ。でもあなたは今こうやって練習しようとしている。言わばこの意欲の差ね」

「意欲の……じゃあ、この練習で私はとても上達すると?」

「えぇそうよ。ついでに言うと、竹下沙月も今頃猛練習しているわ」


沙月が……たしかに、耳を澄ますとかすかにフルートの音が聞こえる。


「ね?練習しているでしょう?」

「はい。音が聞こえます」

「それだけ本気で吹いているのよ。あなた、このままだと竹下沙月に負けるわ」


そんな可能性は考えていなかった。

でも、もしかしたらあるかも。

沙月は、どんなことでも一度始めたら全力で取り組むまっすぐな子。

未経験者だからって私たちに負けないように練習する姿が目に見えるようにありありとうかぶ。


「いい?練習は大事よ。とても大事。何があってもおろそかにしないでね」

「わ、わかりました。私、練習精一杯頑張ります!」

「その意義よ!じゃあね」


そう言うと〈フルートの神様〉は風と共に消えていった。


「……れいれーい?れ・い・か・ちゃーーん」


どこかで私を呼ぶ声がする。

はぁ、次は誰だろう。

ぱちっと目を開けると、至近距離にるき兄の顔があった。


「……ぅぅ、むにゃむにゃ…って、わっ!るき兄??な、なに??」

「何って……れいれい着替えてソファーに寝転がったと思ったら爆睡してたから、起こしに来た」

「私寝てたの?!」


ということは、あれは夢だったの?

あれ?どんな夢だっけ。

何かの夢を……それも、信じられないような夢を、見ていた気がする。

でも、その内容までは思い出せない。


「ほら、ご飯温めるの終わったってさ。早く食べよう」


るき兄に手を引かれて食卓へと急ぐ。

ほんとに、どんな夢だっけ。

何か大事なことを言っていたような。

――まぁ、いいや!

私は口角を挙げてにっと笑った。

早くリズ姉の作った食事を楽しもう!

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