第41話 月樹・助けるために
吹奏楽部の部室から帰ってきた猫矢先輩は、なにやら深刻そうな面持ちをしていた。
「猫矢さんおかえり、ちゃんと言えた?」
犬井先輩が穏やかに言う。
「うん、言ってきた。言ってきたけど気になるところがあってん」
猫矢先輩がやはり悲しそうに……そして、僕を見つめて言った。
なんだ?僕に関係のあることなのか?
隣に座っている叶斗がこちらをちらりと見る。
猫矢先輩は僕を見据えて言った。
「あのな、山中。落ち着いて聞いてほしいねん。ウチが吹奏楽部のドア開けかけたら中からすごい罵詈雑言聞こえてきてん」
へぇ。何かけんかでもしていたんだろうか。
女子って怖いなぁ。
ところで、それのどこが僕に関係あるんだろう。
僕は少し疑問に思いながら猫矢先輩の話の続きを待った。
「でな、さすがに入っていったらヤバいと思ってちょっとだけドアの隙間から様子うかがっとってん。そしたらな、」
猫矢先輩は口に出すのも辛そうに下を向いた。
なんだろう。
「そしたら、誰か顔は見えなかってんけど、誰か特定の一人が他の奴らから暴力ふるわれたり……『悪口言うな!』みたいなこと言われとって。誰かはわからんかったけど、いじめちゃうかと思って正直めっちゃ怖かった」
いじめ……か。
れいれいのいじめの話を思い出して胸が痛む。
この学校にもそんなことがあるなんて。
俯くと、長く伸ばした前髪がさらりと揺れた。
「それで、誰かが誰かの背中を押したドンっていう音が聞こえたときにウチはもう見てられんくなってドアを開けてん。そしたら、そしたらな、山中。落ち着いて聞け、」
猫矢先輩はもう一度そう言い、しっかりと僕を見た。
なんだ?胸がざわざわとして悪い予感がする。
僕も顔を上げて前髪越しに先輩を見つめた。
「床に玲香ちゃんが倒れとった。周りを囲んどったんは多分ほとんど2年生と3年生の奴らや。ありっきーもちょっと離れたところにおった」
一瞬呆然として何も考えられなかった。
え、れいれいが?つまりれいれいがいじめのターゲットに?
血の気が引いていく。
れいれいは今まで一度辛い思いをしたのに。
明るく振舞いながらもれいれいは大丈夫じゃなかったんだ。
「……それがレイっていう確証はあるんですか?」
「残念だけど、ウチはしっかり見た。でもそのいじめの『いじめてる理由』は『いじめのターゲットがいじめてる側の誰かの悪口を言ったから』っぽいんだ。でもウチは玲香ちゃんが誰かの悪口を言うなんて考えられないと思う。一回しか会ってないけどあんなええ子が悪口なんて言わんわ、絶対」
たしかにそれはそうだ。
でもれいれいが苦しんでいるのは事実だ。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。れいれいを救う方法はないだろうか。
リズさんに相談したらいいのか?でも今日はリズさんは部活がなくて家にいる。
どうしよう。
やっぱりこんな僕だけじゃれいれいを救うなんて……
「なぁ、月樹」
叶斗が僕の顔を覗き込む。
「俺はその玲香、って奴、詳しく知らねえけどさ、絶対そいつが悪口いわないって断言できるなら、月樹が今からその部屋に行って誤解を解いてきたらいいんじゃないか?」
誤解を解く、か。
たしかにそれも方法としてはある。
でも。
「僕にそんなこと絶対できない」
「なんでだよ」
「僕はレイやリンスみたいに強い意志を持てない!きっと誤解を解こうと思って行っても向こうの意見に流されて終わるだけだよ」
僕は無力だ。
妹も救えないずにただ悲しんでいるだけなんて。
情けない。
でも僕は人に何かを説得するのが苦手だ。
強い考えを持てない。
僕は弱い。
「山中君、もし君がそう思うとしても、馬場君の言うとおりにするべきだと思うよ」
「犬井先輩までそんなことを言うんですか、僕にはできません」
犬井先輩は悲しそうに言った。
「……山中君、僕は人をいじめたことがあるんだ」
え、犬井先輩が人をいじめた?
ありえない。
こんな穏やかな人なのに。
「リーダー格の女子たちと一緒に人をいじめていたことがある。僕は今でも後悔しかない。あんなことをしていたなんて僕は自分で自分が許せない」
「ほ、本当なんですか」
「本当だよ。だから僕はその玲香ちゃんっていう人が受けた仕打ちのひどさがわかるよ」
犬井先輩は僕が行くことをただ薦めているだけではなく、どこか僕を嘲っているようにも見えた。
彼が誰かをいじめたなんて未だ信じられない。
でもいじめた後悔の深さはなんとなく伝わってきた。
そして、僕がどれだけれいれいに幸せに生きてほしいのかも自分でわかった。
「このままじゃ玲香ちゃんはこれからも心にひどい傷を負うよ。君は行くべきだ」
犬井先輩の言う通りだってことはわかってる。
僕が自分の弱さを言い訳にしていることも。
「山中、唯一無二の親友だろ。いつまでもぐずぐずして見苦しいぞ」
猫矢先輩が追い打ちをかける。
もちろん僕にとってれいれいはかけがえのない大切な人だ。
……行くことに気乗りはしない。
でもれいれいを救うには行かなくちゃならない。
じゃあ、僕の弱さとれいれい、どっちを優先するか。
答えは決まっていた。
「わかりました。行ってきます」
一刻も早く行かなきゃ。
僕は駆け出した。
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ここだ。『吹奏楽部室B』
サックスの形の飾りと音符で彩られた可愛らしいプレートを見て、僕は確認を終えた。
大きく深呼吸して、僕はノックもせずにドアを開けた。
「こんにちは、び、美術部の山中と申します」
絶賛練習中だったような雰囲気の部室で、一斉に音がやむ。
「また美術部?何の用?ノックもしないなんて無作法ね」
先輩らしき人のうち一人が僕を一瞥して言った。
なんて言えばいいんだろう。
まさかれいれいを救うために来たなんて言えない。
「あ……えっと…、すみません。用件ですけど…、あ……その、えっと、レイはいい人です…」
なんだこりゃ。これじゃまったく変な人じゃないか。
我ながら意味不明だ。最悪。自信がなくなっていく。
「はぁ?あんたに何がわかんのよ。私たちほとんどみんなフルートパート落ちたの。あいつだけずるしてマジ意味わかんない。ねぇ、一年生もそう思うでしょ?」
「あ……は、はい」
話を振られた長い黒髪の女の子が仕方なく頷いた。
なんだ、ここ。すごく居心地が悪い。
「それに私たちの大事な後輩ちゃんの悪口言ったなんてねぇ?信じらんない。あの子バカなのかね?」
クスクス笑いが起こる。
無理だ。逃げたい。
でも言わなきゃ。
「亜理紗ちゃんいつもあいつのせいで泣いてたもん。ね、亜理紗ちゃん?」
ついに『亜理紗』の登場か。
僕は全力で雰囲気に流されまいと耐えながら、女子たちをじっと見た。
次第に『亜理紗』がわざとらしい泣き声とともに話し出す。
「ほんっと玲香ちゃんったら……グスッ……どうしてあんな子が受かったのかなぁ…ううっ…性格悪いし…私の悪口まで言っ――」
その言葉で、僕の中の何かが割れた。
「れいれいは悪口なんか言わないんだ!!」
気が付けば僕は彼女の言葉を遮って叫んでいた。
先輩たちは驚いたように誰も何も言わない。
僕自身も自分がこんなことをはっきり言えることに驚いていた。
「それに、れいれいが受かったのは当然だ!れいれいの努力はお前らにはわからない!」
自分の口が勝手に動いているような感覚だった。
頭にかっと血が上って、はぁはぁと荒い息をする。
ただただ、れいれいを守りたいとだけ願った。
――僕は、やりきった。
それから長い沈黙があった。
僕もこれ以上何も言う気になれなかった。
「な、何なのあんた。生意気。この私に怒鳴るなんて」
最初に口を開いたのは、『亜理紗』だった。
さっきと態度がえらく違う。
それから思い出したように彼女はウソ泣きを再開した。
「うわぁん……こ、この人怖いです…先輩っ…ううっ」
はぁ。呆れた。不快だ。
もう帰ろう。
「僕、もう帰りますから。これ以降レイに何かしたら僕が許しませんのでよろしくお願いしますね」
そう言い残して僕はドアを開けた。
さぁ帰ろっと。
疲れた。
――と、ドアが閉まりかけた時、中から大声が聞こえた。
「ちょっと待て、亜理紗ちゃんを泣かせるな!明日ここに呼び出すぞ!」
やれやれ。思うところだ。明日お前らのしたことのひどさを全部はっきりさせようじゃないか。
僕は達成感に浸りながら、美術室へと急いだ。
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