第22話 凛水・優先順位

委員の仕事をしていたら、ここに来るのがすっかり遅くなってしまった。

人気ひとけのない廊下を進みきり、一つのドアの前で立ち止まる。


「ふぅ、ついた……」


小声で呟きながら、私は目の前の建付けの悪そうな扉を見つめた。

いかにも印刷した紙を張り付けただけのお粗末なプレートには、明朝体で書かれた『文芸部』。

部活といっても、部員がそれぞれ書きたいものを書いて季節ごとに部誌を出すだけのゆるゆるな部活だ。

ここが、今日から私の居場所になるところ。

ここなら誰にも邪魔されずに、誰にも隠す必要なく、私のやりたいことができるはず。

私は期待に胸を膨らませながら、ひんやりとしたドアノブに手をかけた。


そのときだった。

バタンとドアの閉まる音。


「リンス!!」


聞き覚えのある声がして、反射的に振り向こうとしてしまう衝動を抑える。

……振り向かなくなって、わかる。

噓でしょ。

信じたくない。

こんなところでばれてしまうなんて。


「……っ!!」


こうしちゃいられない。

私はそこにいた我が弟を完全に無視して文芸部の扉を勢い良く開けると、中に駆け込んだ。


「……はぁ、はぁ」


心臓の鼓動が速くなっていた。

私がこんな活動をしてるなんて月樹に知られたら……

恥ずかしすぎる。

想像するだけでも顔が赤くなってくる。


だめだ。一度正気に戻ろう。

先輩は「後で行く~」と言っていたし顧問はなぜかいつも部活に来ないので、部屋には一人きり。


私はとりあえず空いている椅子に腰かけると、ぐるりと部屋を見渡した。

フローリングの床の上には、木のテーブルが一つ、木の椅子が三つ。一つには先輩の荷物が置かれている。

窓際に小さな棚が置かれていて、古い型のパソコン一台、大量の紙と筆記用具、あとは使いようのわからないガラクタたちが並べられている。

というのも、昔は文芸部は文芸同好会で、部室代わりに図書室のバックヤードを使わせてもらっていたらしい。

その時代に図書室のバックヤードにあった本のフィルムだのポップ用画用紙の切れ端だのを、先輩が記念に棚に置いているらしいのだ。

先輩、先輩と言っているが、文芸部員は私と先輩しかいない。

来年も同じ状況が続くなら廃部せざるを得ない状態だ。


……なんて。

こんな弱小部だからこそ、私は何も気にせず自分のしたいことができると思って、文芸部に入部した。

もちろん、入部届のハンコは音咲のものだ。


「よし、さっそく作業するか」


私はカバンから自分のノートパソコンを取り出すと、文章製作用のソフトを立ち上げ、新規作成を押す。


そして、私は「あるもの」を書き始めた。


静かな部室に、リズムに合わせてキーボードを叩く音が響き渡る。


自分から溢れる言葉の一つ一つを、文字にして書き起こす。


あぁ、なんて楽しいんだろう。


雑踏から逃れて、静かに指から言葉を移し替えていくだけの作業。


これは、私の秘密の趣味だ。


-----------


校門を出ると、外は真っ暗だった。

いつの間にか作業に没頭していたらしい。

結局先輩は来なかったけど、部室に荷物だけ置いて何してたんだろう。

そう思いながら帰路につこうとしていると、誰かに呼び止められた。


「ねぇ、そこの君……」


どこか尖った、殺意のこもった声。

手には、金属製の何か。

風が吹いて、彼女の長い髪から甘い香りが漂う。


「だ、誰?」


相手は少しずつ近づいてくる。


「ねぇ、誰なの?」


私は壁に向かって後退りした。


「誰なのってば!!」


もう逃げられない。

相手の手に持っている何かがきらりと光る。

きっと刃物だ。殺される!

私は思わず目をつぶった。


「誰かって?玲香だよ!ドッキリ大大大成功ー!!!」


おなじみ玲香の顔がにゅっと現れた。

手に持っているのは刃物ではなく、フルート。

なんだよ、もう……


「はぁ?ドッキリ?やめてよ、心臓に悪い」


本当にやめてほしい。


「僕もいるよ」


はっとした。

私はこんな無様なところを月樹に見られていたのか。

恥ずかしさがこみあげてきて、頭がぼーっとする。


「リンス!リーンース!なに死にかけのアヒルみたいな顔してるの?今日が何の日か忘れた?先帰らないでよ!!」

「……??」


今日が何の日かって……えーっと……


「リンス、大丈夫?熱あるんじゃない?顔真っ赤だけど」


月樹が心配そうに私の額に手を伸ばす。


「だ、大丈夫だから!触らないで!」


恥ずかしすぎて月樹の手をぺちんと叩く。


「あっ、ごめん……」


今の状況を整理する。

月樹が私の額に触れようとしたのか。

そしてそれを、私が叩いた。

胸がドキドキする。

どうしてだ。

私は別に恋してるわけじゃ――


「今日は部屋を決める日だよ!忘れちゃダメでしょ!もー、リンスったらぁ」

「ごめんってば」

「部屋はとりあえず帰り道に3人で決めて、後で山脇さんに報告しよう。あと、今からはいつも通り兄弟の呼び方で」


そう言う月樹の横顔はやっぱり誰が見ても美しく見えるはず。

心を落ち着けながら、部屋のことについて考える。

私は、正直二軒目のアパートがいい。

あのストリートピアノに惹かれたからだ。

山脇さんの家のピアノと全く同じなんだから、尚更いい。

ピアノがないと、私は私じゃいられない。

――でもやっぱり、意見を言うのは怖い。

ううん、ストリートピアノのアパートは譲れない。

意を決して口を開く。


「あのさ、私はにけn……」

「僕は一軒目がいいなぁ。綺麗だし、僕個人の意見だけど和室より洋室のほうが使いやすいと思うんだ。景色もよかったし」

「え、そ、そうかな、私はにけn……」

「るき兄も?私も一軒目がいいと思う!私吹奏楽部の練習を家でもしたくて、フルートが吹ける部屋がいいんだ。二軒目だとフルート吹けなさそうじゃない?あんまり綺麗じゃないし」

「あ、うん。でも……」

「だよね。じゃあ、一軒目かな?リズさんは?」


月樹が話を振ってくれる。

でも、一軒目に決まりかかっているのに私が二軒目にしたいと言っていいのだろうか。

それに、私は一番上のお姉ちゃん。

弟や妹の意見を尊重し、自分のワガママは封じたほうがいいに決まっている。

私は、両親に会えない分、「いいお姉ちゃん」でいなくちゃいけない。

ピアノのない生活なんて私には想像できないけど、でも……


「私も一軒目がいいと思うよ。景色も綺麗だし、フルートも吹けるしね」


笑顔で、私はそう言ってのけた。

月樹と玲香が一瞬顔を見合わせる。

あれ?私、今何かまずいこと言ったかな?


「……よし。じゃあ一軒目だね!リズ姉、あとで山脇さんに言っといてくれる?」

「わかった」


そうだ。

私はいいお姉ちゃんであることを望んでる。

弟妹のためにピアノ一台諦めるくらい容易いことでしょ?

……そうだよね?




◇◇◇◇◇◇◇◇


今回のエピソードは、「音咲玲香」のモデルとなった私の友人、城屋グレイと共同制作致しました。

面白かったらぜひハート・星などよろしくお願いします。

彼女も喜びますし、執筆活動のモチベーションに繋がります!

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