第21話 月樹・ミモザ
「山中くーん、今から部活行くの?」
美術部の部室がある文化部棟の2階にあがる途中で、竹下さんに呼び止められた。
「うん。竹下さんも?」
「うん!あのさ、じゃあ部活が終わった後に、その……」
「何?」
「あのね……」
「何?」
「良ければ……一緒に帰らない?」
「ごめん、僕今日帰る途中で花屋に寄ろうと思ってるから……」
「わ、わかった。こちらこそごめんね。じゃあまたね」
手を振る竹下さんに笑顔を返す。
せっかく誘ってくれたのに申し訳ない。
今日は僕にとって初めての、正式な部員として部活に参加できる日だ。
れいれいに
仮入部したときみんなすごい絵を描いていたけど、僕にもついていけるかなぁ……
長い廊下を曲がると、「美術部」と書かれたプレートが見えた。
このプレートは、毎年3年生の先輩が綺麗にデザインして描いているらしい。
カラフルに塗られたそれは、他の部室にかかった物とは別格に煌びやかで、改めて先輩たちの凄さを思い知らされる。
「あれ?えーっと、君は……山中君だったっけ?」
「はい!こんにちは」
「こんにちは。美術部に入ってくれてありがとう。そこに突っ立ってないでこっちおいでよ」
扉の前で呆然と立っていると、中から先輩が出迎えてくれた。
仮入部の時にはたしか水彩で犬の絵を描いていた人だ。
名前はえっと……
「あー絵具忘れた!おい
「今日じゃなくていつも忘れてるじゃん……まぁ貸すよ、仕方ないなぁ」
そうだ。彼は犬井先輩。
今日も画用紙に犬の絵を描いている。
犬井先輩の隣で絵具を借りているのはたしか
あの二人は仮入部の時もいつも一緒にいた。
犬井先輩は淡くて優しい感じの絵をいつも描いているのに対し、猫矢先輩は力強くて鮮やかな絵を描いている。
性格も正反対なのに、二人はとても仲が良い。
なんでだろう。
うーん……
「えっと、君誰やっけ?一年生?」
どうでもいいことを考えていると、猫矢先輩が声をかけてきた。
「あっ、はい。山中月樹です」
「ふーん、山中ね。ウチ猫矢いうねん。よろしくな!」
「よろしくお願いします!」
にかっと笑う猫矢先輩。
僕も挨拶を返す。
「ほな、そこ座り。あそこに紙なんぼでもあるから好きなもん描いてええで」
「ありがとうございます」
たしかに紙が山積みされているエリアがある。
僕はそこから一枚紙を取ると、猫矢先輩の隣に座った。
愛用の鉛筆を筆箱から抜き出すと、紙に押し当てる。
さぁ、どんなものを描こうか。
深呼吸して紙を見つめる。
「犬井、ほんま犬好きやねんな。また描いてるやん」
ふと隣の会話が耳に入った。
じゃあ、僕の好きなものってなんだろう。
音、いや、それよりも……
「猫矢さんもいつも猫描いてるじゃん」
「それはウチの苗字が猫矢やから仕方なく描いてんねん」
「いや、苗字と描く題材は関係ないと思う」
描くものを決めればあとは手が勝手に動いてくれる。
シャッと黒鉛が紙に擦り付けられる音。
一つ一つの線が、完成する絵を構成している――そう考えたら、絵がすごく壮大なものに感じてくる。
「ていうか、犬井も苗字に犬ついてるもんな」
「僕の場合も苗字と描く題材は関係ないけどね」
「そうかねぇ……」
白と黒だけでも、鮮やかな色彩を思い浮かべて手を動かすと、次第と色が見えてくるように感じる。
鋭く、優しく、形を想像して僕は手を動かし続けた。
「で、山中は何描いてるん?」
話が僕に振られた。
僕の手元を覗き込む猫矢先輩。
「おおっ!!なんか独特な世界観っちゅうか……綺麗やな」
「そんなことないです」
「そんなことあるって」
首を横に振る僕のところに、犬井先輩も覗き込みに来た。
「本当だ、凄いね。何の花?」
「ミモザっていう花です。ミモザを一房ガラスに閉じ込めたら綺麗に見えそうだなと思って、水晶玉に入っているみたいな感じにしてみたんですけど……」
「すごいね。水晶玉の透明感も表現できてるし」
「いや、そんなことないです……先輩の方がすごいです」
ミモザ。花言葉は、思いやりだ。
この先輩たちにぴったりの花。
うん?花……花といえば。
はっとした。
帰りに花を買おうと思っていたのに、教室に財布を置いてきた。
「すみません、教室に忘れ物したので取りに行ってきます」
部室のドアを開け、外に飛び出す。
すると、そこには見知った人影があった。
「あっ!」
ツヤツヤのボブヘアに丸眼鏡の女の子が、隣の部室に入ろうとしていた。
「リンス!」
思わず声をかける。
「……っ!」
一瞬振り返ったリズさんは、何も言わずに隣の部室に入っていった。
前に話したときに部活は隠したいようだったけど……
隣の部室のプレートを見た。
そこにはこう書かれていた。
『文芸部』
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