第47話 沙月・協定

部室のドアから凛水が出てくる。


「竹下さん、メモ、見た?」


神妙な面持ちの凛水は、目だけをこちらに向ける。


「……うん。玲香があんな目に合ってたなんて知らなかった」

「そっか」


部室の中からは誰かが叫ぶ声が微かに聞こえてくる。

この中できっと山中君は頑張っているんだ。


そう考えると、胸が少し痛んだ。


ううん、玲香は親友で、親友が助かるのはもちろん嬉しい。

でも……

そこで言葉をぐっと飲みこむ。

山中君が玲香のために頑張るのも応援しないといけないんだ。

今だけは恋心なんて忘れないと。

すぅっと大きく息を吸う。


私、やらかしてばかりだ。

自分の心や気持ちに振り回されて、いつもするべきことを見失ってしまう。

今だけは忘れようとしたってやっぱり残ってしまう、山中君への好意だってそう。

すぐ人の第一印象でキレてしまうところだってそう。


――だから私は凛水に対し無性にイラつくのかもしれない。

私は凛水が嫌いだ。

見ているだけで怒鳴り散らしたくなる。

それはもちろん出会った時の彼女の態度にも原因があるが、心のどこかでは感情を決して表に出さないクールさに嫉妬していたのかもしれない。

もっと自制できる、冷静な人に私はなりたかったのかもしれない。

今回だって、そもそも私があの時大声を出さなかったらこんなややこしい事態にはなっていなかったのに。

そう考えていると申し訳なさが募ってきた。


「あのさ、ごめん、フリーズドライ」

「え?!」


驚いたように振り向く凛水。

ここまで驚かれるとさすがにイラっとする。


「『え?!』って何よ。だって、色々……私のせいじゃん」

「?」

「なんかあんたの言動いちいちムカつくんだけど。あのさぁ、だから、あの時大声で話しちゃってごめんって」


私はため息をつく。

やっぱり私は凛水が嫌いだ。

羨ましくなんてない。


「ほんとに悪いと思ってるの?」

「はぁ?別に反省してるし。謝ってるんだから別にもういいでしょ!」

「いや、そうじゃなくて、えっと……」

「何よ」

「つまり、とりあえず、レイちゃんを助ける邪魔をしたくなかったから謝ったんでしょ?」

「うん」

「ってことは、レイちゃんが大好きだよね?」

「もちろん」

「じゃあ……レイちゃんの仇を打ちたい?」

「うん、まぁそうだな。で、それが何?」


何言ってるんだこいつと思いながらそう返事をする。

凛水は流行りのヘアゴムで括った髪を揺らし、壁にもたれた。


「……をしない?」

「え?」

「一緒にレイちゃんの復讐をしない?」


凛水から出てきたその言葉に、私は一瞬絶句した。

まさかこいつからこんな言葉が出てくるなんてね。

驚きを通り越し、私は何故か笑ってしまった。


――まさか私が内心思ってたことを代弁してくれるなんて。


「いいよ」


私はなんの躊躇もなく頷いた。


「もともとそうするつもりだったし、あんたに協力する」


凛水は別段驚きもせずにんまりと笑った。


「竹下さんならそう言ってくれると信じてた」


なんだか奇妙な気分だ。

嫌いな奴と協定を結ぶなんて。


私は窓の外をぼんやりと見た。

腫れあがった空の中で、翼を広げて飛んでいくたくさんのスズメ。

ドアの隙間から聞こえる声はいつしか弱まっていた。

なんだか心の底がうしうしと沸き立つような変な気持ち。


「ところでフリーズドライ、玲香と山中君に例の件聞いてね?」

「わかった。付き合ってるか否かの件ね」

「そう、それ」

「聞かないと復讐に協力しないからね?」

「うっ……聞くよ」


今だけは、ほんの少しだけ凛水と心が通じている気がした。


「じゃあわかった、私は2人にそのことを聞く。だから竹下さんは私に協力して……あと、もう一つお願いがある」

「何?」


凛水はゆっくりと頭を下げた。


「レイちゃんには、今日の出来事も復讐の件も絶対に秘密にしてください」


----------


「沙月ぃ~!遅かったじゃん!」


山中君が部室から出てくる前に待ち疲れ、フルートパートに戻ると、玲香が抱き着いてきた。


「沙月ったら今まで1時間も何してたの?寂しかったんだけどー!」


サックスパートの練習場所にいたと言ってしまいそうになってぐっとこらえる。


――レイちゃんには、今日の出来事も復讐の件も絶対に秘密にしてください


凛水の言葉が頭にこだまする。約束を破ってはいけない。


「ごめんごめん。ちょっと山中君と話し込んじゃって……ふふふ」


嘘はついてない。山中君とちょっと話したし。


「おぉ、よかったね!恋の進展!」

「そう、もっと話したかったけどね」

「頑張って、沙月!」

「ありがとう」


私は自分のフルートを取った。

練習しないと。


「沙月、もう練習するの?来たばっかりなのに」

「でも遅れてる分練習しないといけないじゃん」

「アハハ、真面目だなぁ沙月は」


玲香が笑う。

何の偽りもないようなその笑顔が、真相を知っているこっちとしては急によそよそしく見えた。

いつも笑顔だった玲香。

笑顔の下はどんな表情だったんだろうな。

悪口を言われていたことも態度からして気にしていないと思っていたけど、実際は傷ついていたに違いない。

そう考えると切ないような悲しいような気持になって、柄にもなく俯いてしまう。


「あら、竹下さん。帰ってきていたのね」


ふと声がして顔を上げると、古戸天音がいた。

天音は〈フルートの神様〉だ。比喩じゃなくて、ガチの。

ときどき〈フルートの神様〉を自称してうちの家のベランダに来、情報をくれる。

簡単に言うとよくわからない存在だ。


「あ、天音。今帰ってきたところだけど」

「そうだわね。お疲れ様」


お、お疲れ様??

やはり天音にはお見通しか。

玲香が怪訝な顔をしているのを見て、私は愛想笑いをした。


「別に疲れるようなことはしてないけどね。ありがと」

「そうかしら……そうね、疲れるようなことはしてないわ。話していただけだものね」


玲香が納得したような顔で頷いた。

よかった。

これ以上玲香に怪しまれないように、早く練習を始めよう。


「ねぇ玲香、天音、練習しよう」


私は銀色に光るフルートを抱え、立ち上がった。

サックスパートの部室に届くくらい大きく、美しい音色を奏でようと強く思った。

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