第48話 月樹・サックスの亀裂

「あのさ……もういいよ。山中君も、先輩も」


ぽつりと猫矢亜理紗が言った。

売り言葉に買い言葉が続いていた部室内に、一瞬静寂が訪れる。


「はぁ?どういう意味?」


巻き髪の3年生がつかつかと猫矢亜理紗に近寄る。

僕も同感だ。


「私が悪かったんです。玲香ちゃんは何も悪くない」


……え。

猫矢亜理紗の急な告白に空気が凍った。

何か思惑があって言ったのか?まさか本人が自分で真相を言うなんて有り得ない。


「ごめんなさい、私が……私がフルートパートに受かるって信じてたのに、玲香ちゃんが受かったから、だから私……っ」


猫矢亜理紗は俯いて鼻を啜った。

巻き髪は黙って猫矢亜理紗を見ている。


「私、嫉妬してたの。私の代わりに受かるなんて許せなかったから。それで嫌な思いさせて喜んでたの。こんな大事になるなんて思ってなくて、えっと……」

「……で、つまり全部嘘だったと?」

「……はい」


僕は呆気にとられながら、会話している二人を眺めた。

手のひら返しが過ぎる。

今までれいれいにひどいことをした挙句こんなにすっと認めるなんて。

まぁ本人は本気で反省してるみたいだからいいけど……

でもなんだかすっきりしない。


巻き髪は腰に手を当てて猫矢亜理紗を見下ろした。


「お前さ……ふざけんなよ、マジで」

「ごめんなさい」

「うちらはずっとあんたが言ってることを信じて、あんたのために山田に嫌がらせしてたんだよ?罪悪感なかったのかよ。うちらがバカみたいだろうが」


巻き髪の3年生は猫矢亜理紗を睨みつけ、はっきりとこう言った。


「お前みたいな不誠実な奴はこの場所サックスパートにはいらない」


みんなが息をのんだのが分かった。

前髪越しに見た猫矢亜理紗は雷に打たれたような顔をしている。

そりゃ悲しいだろうな、いらないなんて言われたら。

僕だって言われたことあるんだから気持ちはわかる。


しばらくして、何を思ったか、急に猫矢亜理紗が立ち上がった。

サックスを乱暴にケースに入れ、一瞬躊躇い、部室のドアに向かって走り出す。

見かねた巻き髪が声を張り上げた。


「おいどこ行くんだよ、待てよ!反省してるのかよ!」


先輩の声も無視し、ついにドアに手をかける。

外の光がのぞいて、部屋の中に一筋の光の線ができる。


「そんなこと言うけどさ、本当は先輩も味わったんでしょ、私の気持ち」


口早にそう言うと、猫矢亜理紗は廊下に消えた。

バタンとドアが閉まる。


これでよかったのだろうか。

僕は何も――何もしていない。

ただ、今日のこのことがサックスパートの亀裂につながるのは間違いない。

猫矢亜理紗に告白させる暇がないくらい激しく僕が巻き髪と言い合いを続けていたら、サックスパートの亀裂にはならなかった。

傍観する以外に何かできたはずだ。

れいれいは救われた。でも猫矢亜理紗は救われない。

当然の報復ともいえるけど、こんなので本当にいいのか。

なんだか言いようのない気持ちにとらわれる。


「悪かった、山中」

「いえ」


巻き髪は心から申し訳なさそうにそう言った。


「ここだけの話サックスパートの私たちってフルートやトランペットに落ちた奴がかなり多いんだよ」

「そうなんですか」

「だから、猫矢関係なく私たちの中でもフルートパートに嫌がらせしたい気持ちはあったんだ、多分。猫矢がさっき部屋を出るとき言ってたことはそういうことだと思う。でもそこは当然だから許せ」


当然か?

それでも嫌がらせはダメだろうと言いたくなるが、事を荒げないようにこらえる。

巻き髪は腕を組んだ。


「だが猫矢は許すな。私たちは猫矢の思惑に乗せられていただけだ。あいつが全面的に悪い」

「……」


なんだかこの人は好きになれない。

そう思いながら先輩の顔を見上げた。


「とにかく疑ってすまなかった、山中月樹」


巻き髪が少しだけ頭を下げる。

僕はすぅと息を吸った。


「これから絶対にレイを嫌な目に遭わせないと約束してください」

「わかった」

「それから、僕じゃなくてレイに謝ってください」

「……わかった」

「もう一度言いますけど、僕の大事な人たちをこれから絶対に傷つけないでください」

「わかったって言ってるだろ」

「これらを約束してくれるなら僕はあなたを許します」


何上から目線なこと言ってるんだろ、僕。

我ながら本当に偉そうだ。

でも約束してもらえないと僕は安心できない。


これ以上、家族に悲しい思いをさせたくない。

そう思うと、お母さんのオルゴールが頭の中で反響した。


「それはそうと、山中はどうして山田のことにこだわるんだ?」


巻き髪の3年生が言った。


「それ私も気になってた」


相川という名札を付けた1年生も言う。


えー。なんでって言われても。

妹だからなんて言えないしなぁ。


「なんだろう、僕もあんまりこの感情がなんでなのかはわかんないけど、とにかく大事な人です」


とりあえずそう告げる。

意味深な笑顔を浮かべる先輩と相川さん。

なんなんだよほんとに……


「僕もう帰りますね」


バカバカしくなってきて僕は部室の出口へと向かった。

リズさんに早く報告しないと。

僕はちらりと部室を振り返って、ドアノブを回した。

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