第45話 凛水・盗み聞き
少しずつ近づいてくる足音に気づかないふりをしながら、私は目を瞑った。
――打合せ通り、私はサックス前で様子をうかがっておくから。るきあが来るまでに大体の事情とか向こうの作戦を把握して、るきあに伝えるからね。
――わかった。10時に部室Bの前で待ち合わせしよう。
今朝の月樹との会話を思い出す。
今私は、壁にもたれてドアの隙間から中の会話を盗み聞きしている。
そろりそろりと近づいてきている足音は、シルエットからしておそらく玲香のものだ。
楽器庫に向かっているように思える。
しかしここで私が様子をうかがっていると玲香にバレたら、止められたり話しかけられたりするかもしれない。
そんなことになると月樹との約束を果たせない。
だから絶対に、私の存在を気づかれてはいけないのだ。
私は必死に体を玲香と反対側に向けながら、ドアの中を覗き見た。
太ぶちメガネの1年生が、巻き髪の3年生に何かを訴えている。
「先輩、また玲香ちゃんが悪口言ってきたんですけどぉ……」
嘘つくなよ、と心の中で毒づきながら続きを待つ。
「また?あの子サックスパートを馬鹿にしてるよね。今日ちゃんと呼び出して心入れ替えさせるから、安心して」
呼び出す……?
今日は月樹だけじゃなく玲香も呼び出すのか。
私は胸ポケットから出したメモに走り書きをした。
ここでは少し聞き取りにくいので、廊下の奥のほうのドアの近くに移動する。
「そういえば何時くらいに山田を呼ぶ?」
「そうだな、まぁ山中月樹を呼んだ後でいいんじゃないか?」
「たしかに。山中と山田ってたしか友達だから、山田を謝らせるのに山中使えると思う」
「なるほど、先輩天才ですねっ!」
許せない。なんなんだよこいつら。
私はそう思いながらもさらさらとメモを取った。
必然的に筆圧が強くなる。
「じゃあ山中はどうやって撃退する?」
「さすがに男子に暴力使うのはきついな」
暴力……じゃあ女子なら使っていいと思ってるのかな。
ひどい人たちだ。
「撃退するよりこっちの味方につけたほうがいいんじゃない?」
「それもそうだね」
「同情を誘うようにしたらどう?泣きまくるとか」
「いいね」
月樹優しいから本当に同情したりしないかなぁ。
少し心配になってきた。
「じゃあこうしよう。山中が部室に入るとサックスパート全員が悲しそうにしている。理由は山田にひどい悪口を言われたから。それを知って山中は同情して私たちの味方になる」
「おー素晴らしいシナリオ」
メモを取っていると、楽器庫から出てきた玲香が階段へと向かっていくのが見えた。
腕時計はもう10時5分を指している。
そろそろ月樹が来る頃なのだが。
遅いなぁ。
私はメモ帳を見返した。
先に作戦を知っておけば月樹は大丈夫だろう。
「……リンス、来たよ」
肩越しに小さな声がする。
振り向くと、月樹が立っていた。
「遅い、るき君」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。このメモ帳を読んでほしいんだけど」
私はびっしりと字で埋め尽くされたメモを月樹に渡した。
じっくりメモを読む月樹。
「……この場所から応援してるから頑張ってね」
「ありがと。なんとしてでもレイを守ろう」
「うん」
「じゃあ僕はサックスの人たちが僕を呼び出しに来るまで美術部に行くから、一旦バイバイ」
そう言ってメモを私に返し、月樹はあっさりと帰っていった。
昨夜から私たちは少しだけ気まずい。
理由はもちろん私があんな行動をとったからだ。
あぁ、思い出すだけで恥ずかしい。
正直、月樹への恋愛感情のようなものはなくなってきた。
一緒にいても前と違って別段ドキドキすることはないし、普通に話せるようになっている。
「……竹下さんのことも応援しようかな」
ドアの中から聞こえる声のメモを取りつつ、ぼそっとつぶやく。
そのときだった。
「呼んだ?フリーズドライ。私あんたに用があるんだけど!」
背後からばかでかい声がした。
そんな大きい声がしたら中にいる人たちに気づかれてしまう。
ヤバい。
私は後ろにいた竹下さんを楽器庫側に押しやった。
「な、何すんの?!用があるって言ったでしょ」
「竹下さん、ちょっと声が大きい」
私が小声で非難したとき、部室のドアが開いた。
あーあ。ばれた。
やってしまった。
一貫の終わりだ。
「サックスパートに何か用なの?騒がしいんですけど」
巻き髪の3年生が話しかけてくる。
終わった……
「別にサックスパートに用はないですよ、サックスパートリーダーの先輩。私はフリーズドライに用があってきたんです」
「あー、君は確かフルートパートの……竹下さんだっけ?フリーズドライって誰?」
竹下さんが3年生に答えてくれる。
ちょっとありがたい。
「フリーズドライは私ですが。あ、私は山脇です」
私も返事をする。
「ふーん。じゃあなんで竹下さんは山脇さんに会うためにサックスパートに来たの?」
「フリーズドライを探してたら、玲香が『リンスは部室B前だよ』って言ってたから来たんですけど」
玲香が?
目の前が真っ暗になるのを感じた。
気づかれてたんだ。
「山田がそう言ったのか?」
「はい」
先輩の血相が変わったのを感じた。
今の話で、私が玲香のために盗み聞きしていたと思ったんだろう。
「おい山脇、私たちの部室前で何してたんだよ!」
ほーら、やっぱり。
どうしよう、何かいい嘘はないだろうか。
「え、えっと私、次に書く小説にサックスを登場させようと思ってて、ネタを集めに来たんです!」
「小説……?」
「はい、私文芸部なので!」
先輩はほっとしたような顔になった。
こんな嘘でも信じるのか。
よかった……
「小説を書こうとしていただけなんだね。ごめん。じゃあ今からサックスパートの練習の見学に来なよ。きっと部室の中のほうがたくさんネタが集まるから」
「えっ」
見学?どうしよう。そんなつもりはなかった。
中に入ればもう作戦のことを話さないだろうし、メモも取れない。
断るしかないでしょ。
「あ……いや、大丈夫です」
「遠慮しなくていいから、来なよ。ねっ?」
目から圧力を感じて、私は瞬発的に頷いた。
この人に逆らうとヤバい。
行くしかない。
先輩は微笑んで私の手を掴み、部室のほうに引っ張っていった。
うーん、このままじゃ月樹が困るかも。
何か月樹にメッセージを残さなきゃ。
でも今何かを書くわけにはいかないし……
よし。これだけでも。
私は掴まれていないほうの手で胸ポケットからメモ帳を出し、入り口付近に落としておいた。
可愛くデコられた部室のプレートが、目の前にある。
先輩はドアを開けて私を中に連れ込んだ。
「さぁ、見学していってねー」
ガチャリとドアが閉まる。
先輩が振り向く。
「……なんて言うとでも思った?あんな程度の嘘を私が信じるとでも?」
先輩は私の手を離し、部屋の奥のほうへと私の背中を押した。
勢いづいて前のめりになりつつも体勢を取り戻す。
やっぱりバレてたんだ。
私、どうなるんだろ。
先輩は手をメガホンの形にした。
何を始めるつもりなんだ?
「みんな聞いて!この子が山田のために私たちの会話を全部聞いてた!」
あはは。
これはどうにもできないな。
はぁーあ。もう吹っ切れた。
しょうがないな、私が相手してあげるよ。
部屋中の視線が私を刺すのを感じ、私はそれを反射するように彼女らを見返した。
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