第32話 月樹・こっちはこっちで
れいれいが部室を去ると、僕は絵を描く作業に戻った。
「さっきの子……山田さんだったっけ。なんだか会ったことがあるような……」
犬井先輩が呟いた。
「いや、そんなはずないと思います。レイと犬井先輩は会ったことないと思いますよ?」
そうだ。そんなわけがない。
学校で会って話したなら覚えているだろうし、れいれいは放課後とかにあまり外出しないから偶然会うこともないだろう。
「いや、でも本当に会ったことがある気がするんだ。見た瞬間にあっこの子だってなったから」
「なんや、運命の出会いっちゅうやつか?」
「違うよ!……もっと確実な何か、だと思う。うまく言えないけど」
「なんやねんそれ。抽象的やなぁ」
「だから会ったことある気がするんだって」
会ったことがあるとすればいつどこでだろう。
……ん?もしかして。
いや、まさかな。この優しい先輩に限ってそんなことをしたわけがない。
思い浮かんだ考えを振り払う。
「どうしたの?山中君、そんなに思いつめた顔して」
「大丈夫です」
でももしも、可能性は限りなく0に近いけれど、もしも僕の説が正しかったら以前この先輩は……
ちらりと先輩を見る。
だんだん僕の考えがまとわりついて、先輩の顔が歪んで見えてくる。
何?気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
大丈夫、そんなわけがない。大丈夫だってば。
入部してからずっと犬井先輩は優しくて頼りになって絵がうまくておもしろい最高の先輩だったじゃないか。
……ダメだ、調子狂う。
僕は筆を置いて立ち上がった。
心配しすぎなのはわかってるけど想像が止まらない。
「僕ちょっと抜けます」
「オッケー!」
猫矢先輩の声を聞くか聞かないかくらいでドアを閉めた。
どこか違うところに行こう。
ん?どこか違うところってどこ?
しまった、勢いで部室出てきたのに行く当てがないなんて……
あの部屋にいるよりはマシかもしれないけど。
あーあ、どうしよう……
目の前を猛ダッシュしていく三年生を目で追い、悩む。
中庭にでも行って紫陽花でも見てくるか?
よし、そうしよう。我ながらいい案だ。
僕は階段へと歩き出した。
……と。
「ねぇ、あなた……文芸部ってどこか知ってる?」
ゼーゼーと息を切らして三年生が話しかけてきた。
ふわふわの髪の小柄な先輩だ。
「文芸部ですか?そこですけど……」
厳めしい文字の『文芸部』の札を指す。
「ありがとう!!」
文芸部に何か用だろうか。
せっかくだし中庭じゃなくて文芸部に行ってリズさんと話そうかなとぼんやり考えながら、足を止めて文芸部室の方を見る。
ドアをゆっくり開ける三年生。
「ゆ、
柚本文?誰だろう。三年生の友達だろうか。
「柚本先輩ですか?いません」
「そっか、ありがとう……ていうか、文芸部に一年生入ったんだね。名前は?」
「山脇凛水です。柚本先輩に何か用ですか?」
「凛水ちゃんか、私は三原茉優。用はないんだけど柚本ちゃんに文芸部室まで競走って言われてて……」
「そうなんですね」
「まだ来てないのかもしれないから中で待っててもいいかな?」
「どうぞ」
三原と名乗った先輩はまだ落ち着かない息を整えながら文芸部室へと入っていった。
「リンスー、僕もちょっと入っていいかな?」
「る、るき君?!まぁいいけど」
リズさんがプイっとそっぽを向く。なぜかニヤニヤしている三原先輩。
お邪魔しますと一声かけて中に入ると、意外に狭いけれどシンプルで使いやすそうな部屋だ。
僕は三つある椅子のうちリズさんの隣の椅子に腰かけた。
「るき君何しに来たの……?」
「なんか美術部にいたくなくてこっちに来た」
「そう」
カタカタとパソコンに何かを打ち込むリズさん。
真剣そうな横顔が、大事なことをしているということを表していた。
「あ……あんまりこっち、見ないで」
「なんで?」
ほんのり色づいているリズさんの頬をじっと見つめる。
返答に困っているリズさんに、三原先輩はぷっと吹き出した。
「さては鈍感男子だな?『るき君』」
「え?鈍感?どういうことですか?」
「どういうことかは自分でわからなくちゃ。だよねー、凛水ちゃん?」
「え?!」
「ちょっと耳貸してみなよ~」
リズさんに何かを囁く三原先輩。
「…………しなよ、わかった?凛水ちゃん」
「わ、わかりました。たしかにそうかもしれません。ちょっと決心できました……頑張ります」
何の話をしてるのかわからなくて、リズさんの手をぎゅっと握る。
「ちょっと、るき君?!このタイミングで……」
「凛水ちゃん?顔真っ赤だけど」
「真っ赤じゃありません!」
下を向くリズさん。
なんだか気まずい。
机に手をのせてうーんと背伸びをする。
と、そのとき。
「三原ぁ!」
ドアがガチャリと開いた。
「柚本ちゃん?!」
悠々と歩いてきた先輩に、三原先輩が立ち上がる。
「ちょっと柚本ちゃん、競走してるんじゃなかった?なんで歩いてんのよ……」
「えー、なんか三原からかうの面白いから言っただけだしー」
「もー!」
あれが柚本先輩か。丸い眼鏡に、肩で切りそろえたストレートの髪。なんだかリズさんと見た目が似ている。
「ねぇ柚本ちゃんちょっと私吹奏楽部に戻らなきゃいけないんだけどもう帰っていい?」
「えー、そしたら私暇じゃん」
「暇つぶしに私を使わないでよ……あ、そうだ、じゃあ柚本ちゃんも吹奏楽部に遊びに来なよ」
「んー、わかった」
柚本先輩はリズさんの方を向くとにかっと笑った。
「ごめん凛水、三原が構ってほしそうだから吹奏楽部行ってくる。そのうち帰ってくるから~」
「わかりました」
「凛水ちゃんさっき言ったこと覚えてるよね?」
「あ……はい」
「よしよし、じゃあ頑張ってね、行ってくる~」
三原先輩がリズさんにパチンとウインクを決める。
ドアが勢いよく閉まる音と同時に、カタカタとパソコンを打つ音がやんだ。
「あ……るき君……せっかくだからおしゃべりしよ」
「そうだね」
リズさんはパソコンの画面を真剣に見つめたまま言った。
「その……前にさ、るき君、音楽作りたいって言ってたよね?」
「うん。れいっかの家の帰りで言った。音を咲かせて色んな人を笑顔にしたいな……今でもそう思ってるよ」
開けた窓から入った風が、僕らの頬を撫でる。
リズさんはキーボードから手を離して頬杖をついた。
「あのねるき君、私……」
「何?」
「置いて行かれたくない」
「え?」
「夢を追いかけてるるき君、あの時すごく輝いててさ……でもね、私も。私も、同じ夢を追いかけてる」
「……?」
「私はピアノで作曲してる。文芸部では歌詞を書いてるんだ。追いかけてる夢は、るき君と一緒なの」
「え、作詞してたの?!だからあんなにリズムよくキーボード叩いてたんだ」
「そう。だからるき君……」
リズさんが僕の手を掴んで僕に近づいた。
至近距離で目を合わせられる。
急にどうしたんだ?!
何が何だかよくわからなくなってきた。
リズさんの微かな息の音に頭がぼーっとする。
そしてリズさんは口を開いた。
「るき君と作曲したい」
柔らかな声が鮮明に響いた。
リズさんと曲を作る、か。
急すぎてよくわからないけれど、夢に近づくことができるかもしれない思いと勢いで、僕は頷いた。
「う、うん。とりあえず手を……離して……くれないかな……」
ぱっと手を離して机に真っ赤な顔を伏せるリズさん。
「何やってるんだろ私……とりあえずありがとう」
――この唐突な出来事が、僕らが音を咲かせる最初の第一歩だったのだ。
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