第26話 月樹・夢彩色と優彩色
れいれいと竹下さんが部室を去ると、僕はまた絵の続きを描くのにとりかかった。
今日は、水彩画で
授業中に教室の窓から見える中庭の紫陽花があまりにも綺麗だったからだ。
「山中君、今日は何描くの?」
「中庭の紫陽花です」
「おー、すご。がんばれ」
「犬井先輩は何を描くんですか?」
筆に水を含ませながら問うと、猫矢先輩がひょいと顔を出した。
「ちょっと山中?犬井に何描くんか聞いても答えは絶対あれしかないやろ」
「ねぇ猫矢さん……僕だって犬以外を描くときもあるんだよ」
「はぁ?ありえへんわ」
「ふっふっふ、今日僕がチャレンジするのはね……」
犬井先輩は、学校で一人一台支給されているタブレットの「junior high school pad」略して「jPad」で何かの画像を開き始めた。
「ほら、これ!今日僕はこれを描くんだ」
「「えっ?!」」
「そんな驚かないでよ」
「驚くって……でも、この画像って、」
僕は画像を指さして首を傾げた。
「これ、猫ですよね……?」
「そうだよ」
「犬井が猫描くん?!なんでそんな発想に至ったん?」
「鉛筆画が描きたくて。でも犬だと鉛筆画の繊細で幻みたいな感じに合わなくってさぁ」
「だから猫描くことにしたん?!」
「うん」
「猫はうちのもんやぞ!盗るなし!」
「なんでよ」
鉛筆画の繊細で幻みたいな感じ、か。
犬井先輩と猫矢先輩の言い争いを聞きながら考える。
たしかに鉛筆画はそんな感じがするかもしれない。
僕は前に描いたミモザの絵をカバンから出した。
ぼやっとした線、パキパキした線……
「あっ、それこの前描いてたミモザ?」
「はい」
「完成したんだね」
「はい。まだちょっと調整が必要なところはありますけど。犬井先輩のアドバイスが欲しいです」
「じゃあいくつかあるからあとで紙に書くね。それにしても上手だなぁ……そういえば馬場君もこの前花の絵を描いてたよ」
馬場君?誰だろう。
美術部員だろうか。
「あれ、知らない?1年C組の馬場君だよ。
「他クラスなので……」
「あ、そっか。そうだよね」
「えっとその馬場君?が描いた絵って今あったら見てみたいんですけど……」
「あるよ。こっちに来てみな」
てくてくと歩き出す犬井先輩の後に続く。
部員が描いた絵を保管している棚の前まで来た。
改めて見ると棚にある絵はもの凄い量だ。
――そりゃそうか。部員25人もいるからなぁ。
そう考えたら部員を一人覚えていないなんて普通か。
馬場君、どんな人なんだろう。
「これだったかな。ほら、これ」
棚から紙を出す犬井先輩。
「たしか
「鈴蘭ですか……」
鈴蘭は、下を向いて咲く小さくて美しい花だ。
下を向いて咲く……なんだかリズさんみたいだなぁ。
いつも無表情だけどたまにひっそりと笑うリズさん。
花言葉は「再び幸せが訪れる」。
まさにぴったりだ。
んー、じゃあれいれいは花にたとえるとなんだろう。
明るくて、周りにも明るさを伝える……
いや、それよりももっと奥が深いイメージの花じゃないと。
あ、わかった。乙女椿だ。
たくさん折り重なった花弁と淡い色彩がとても可憐な花。
花言葉は「控えめな美」。
そう、彼女は「控えめ」だ。
前面に出すものが全てじゃなくて、背後に隠しているものがある。
……って、絵を見るために来たのにいつしか兄弟のことについて考えてしまっていた。
「山中君も手に取ってみてみなよ」
僕は無言で絵を受け取った。
画面いっぱいに描かれた、鈴蘭の花。
色鉛筆で描いたものだった。
正直、上手……ではない。
形が歪んでいるし、影のつけ方だってめちゃくちゃだ。
でも、なんだろう。
柔らかで、暖かくて、包み込んでくれるものを感じた。
……優しさだ。
この絵からは、溢れ出る優しさを感じた。
よく見ると、鈴蘭は白い花なのに陰に黒っぽい色を使っていない。
ピンク、水色、黄色を交互に重ねて陰の色にしている。
そう考えると、同じ陰でも、場所によって色が違う。
「なんだか、とても優しい感じがします」
そう、あの歌のように。
「そう言ってくれたら馬場君も喜ぶよ。彼、美術部に入る前は絵を描くことなんかまったく興味なかったんだって」
それでこんな色を作り出せるなんて……こんな雰囲気を作り出せるなんて、すごい。
「ピアノが大好きで、絵なんか描かずにずっとピアノを弾いてきたんだって」
「じゃあなんで馬場君は美術部に入ったんですか?」
「それがね……」
犬井先輩は少し躊躇ってから僕にウインクした。
「言っていいのかわかんないけど、馬場君は山中君と仲良くなりたくて美術部に入ったんだって」
「え、僕と?!」
こっちは名前すら知らなかったのに、僕と仲良くなりたいって……
嬉しいような、むず痒いような、そんな気持ちになる。
「詳しくは知らないけどそうらしいよ。だからまぁ仲良くしてあげてね」
「は、はい!喜んで」
鈴蘭の絵を棚に戻すと、絵を描くスペースに戻る。
jPadで撮ってきた紫陽花の写真を開いて、絵の具を溶く。
この深みのある紫色はどうやって作ろう。
そんなことを考えながら、一心不乱に筆を動かした。
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描きかけの紫陽花を手に靴を履き替えると、れいれいは既に靴箱の近くで待っていた。
「やっほー、るき」
「あぁ、お待たせ。帰ろっか」
横に並んで歩き出す。
校門を抜けると夕焼け空が眩しかった。
「るき何もってるの?」
「あー、これは今日描いた絵」
「みーせーてっ」
「はいはい。どうぞ」
画用紙をれいれいのほうに向ける。
おお~と驚嘆するれいれい。
「すごっ!るきがそんなに絵が上手いなんて知らなかった」
なんだか照れちゃうなぁ。
小学生時代に絵を描いてることを友達に言ったら、みんな僕のことを女子みたいだとからかってきた。
もちろん施設で生活していた時も。
ふん、男子が絵を描くなんて別に普通じゃないか。
「レイは今日部活何したの?」
「私はね、部活としては楽器決めだったんだけど、フルート志望の人で集まってフルートを実際に吹いてみたよ」
「へぇー。楽しそうだね」
「楽しかったよ!でもフルートパート志望多すぎて、最終的に各パートに分けるときオーディションになるかもしれないの」
「あらら……レイなら大丈夫だよ」
「そうかなぁ。家でも練習しなくっちゃ」
「頑張ってね」
「るき兄も手伝ってね」
「ちょっと、呼び方が家で呼んでるのと同じになってるよ」
「もう学校からけっこう離れたから家での呼び方にしていいんじゃない?」
「そうかな。じゃあそうするね、れいれい」
角を曲がってスーパー前を通り過ぎ、丘に続く道を進む。
初夏の鮮やかな緑色の葉っぱ。
向かい側から歩いてくるパンクファッションの少年。
どこかで鳴っている、5時を告げる音楽。
――平和だなぁ。
日常という、日常。
そんな日常も、僕が最近手に入れたものなんだ。
「ちょっとるき兄、話聞いてるの?ねぇ!」
「……ん?あ、あぁごめん、何?」
「もう!リズ姉ちゃんと家事できてるかなぁと思って」
「たしかに」
「大丈夫かなあ」
「でも大丈夫じゃない?リズさんちょっと最近お母さんみがあるし」
「わかる!なんか言動がお母さんっぽいよね。るき兄もそう感じてたんだ……」
「けどリズさん不器用そうだよね。料理とかするとき包丁で指切ってないか心配」
「あー、ありそう。晩御飯どんな献立なのか楽しみ!もうリズ姉料理あきらめてコンビニ弁当買ってきてたらどうする?笑」
「そんなわけないでしょ」
アハハっと二人で笑う。
帰り道が同じだからいつまでも話せる。
――幸せだなぁ。
と。
そのときだった。
「あっれー?玲香と山中君?なんでここに、二人で?」
はっと後ろを振り返って、僕らは真っ青になった。
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