第13話 決死

白き光が窓から差し込む。

それは闇を切り裂くように、全ての影を払い除けるように。

されどその中で輝くのは深く、光さえも呑まんほどの赤。舞い散るそれは命の煌めきにも近くて。

「これで……やっと……!!」

与えた確実な一撃。あれだけの傷ならば少なくとも歩くのもやっと。まともな痛覚があれば戦意を失うのは必至であろうだけの深い傷。


「まだ……止まるわけにはいかない……」


だが、そもそも————


「なっ……!?」

「止まってはいけない理由がある……!!」


彼女が生半可な覚悟でそこに立っているはずがなかったのだ。



彼女は流れ落ちる赤をその手に、全てを集め更なる刃へと形を変える。

それは彼女の意思の現れ。倒れる事なく何かを成し遂げんとする執念そのもの。

ジャームとも違う、彼女という人間の底から湧き上がる気迫。

数多もの戦場を、数多の強敵と対峙したことのあるここにいる誰もが彼女という存在に竦んでしまった。

「私の邪魔を……するな……!!」

瞬間、解き放たれる赫き斬撃の波。

「っ……!!」

それは麻雛罌粟目掛け繰り出され、空を裂き肉を裂く。

「うぐっ……!!」

「麻雛罌粟さん!!」

咄嗟に庇うように七海は割り込むが、強靭なる守りを有した彼女でさえその脚は揺らいで。

「退きなさい……!!」

「しまっ……!!」

叩き込まれる一撃。盾ごとその身体を打ち砕かん程の重く、鋭き彼女の一閃。

今の今までを遥かに超える重撃。受け止めきれないと反射的に受け流そうとした。だがそれが故に勢いは殺しきれず、その爪が深く彼女の身体を抉り麻雛罌粟ごと彼女を吹き飛ばす。

「テメェ……!!」

湧き上がる怒り、それに任せ稲本は一歩力強く踏み込む。しかし怒りに意識は僅かに揺らぐ。

「遅い……!!」

叩き込まれるカウンター、舞い散る鮮血。そのまま彼は宙を浮いて地を転がって。


「……ようやく、本気を出したと言ったところかしら」

彼女、黒瀬は明確な殺意と共にその視線を向ける。

「時間がない……もう……!!」

対する彼女ももはや余裕はないようで、黒瀬の方を睨み返すが、息は上がりきってその力を維持するのがやっとのようだ。

だからこそ厄介というべきか、危険さが浮き彫りになったというべきか。

手負いの獣ほど危険な物はない。己を過信し追い詰められた者の底力を侮り敗れた歴史の例もいくつもある。

それが、今まで力の多くを隠していた彼女であればなおさら看過できぬもの。


「まだ戦えるな、稲本」

「ああ、生憎と……。死に慣れてはいるもんでな……」

「私もまだ戦えるが……」

「死なせません……みなさんは……私が……!」

彼らも己が身体を奮い立たせるが既に死に体。侵蝕率もとっくに危険域に突入して、一つのミスが人ならざるものへと堕ちる綱渡り。

このまま戦えば確実にどちらかは朽ち落ちる。それはもちろん両者共倒れも含んでいて、彼らもそれは理解している。


それでも彼女らは止まれない。止まるわけにはいかない。

————因縁を、胸の内で燻るこの憎しみを撃ち晴らす為に。

————その真意を、彼女が秘めた想いを知るために。

「それを……神話庭園を渡しなさい……懐刀……!!」

「稲本さんを狙うというのなら……!!」

互いに譲れぬ意志を露わにして、マスターブロウダーはその手に真紅の鉤爪を、七海は水晶の盾を構えて稲本を守るように彼女の前に立ち塞がる。


けれど彼は彼女の肩を掴んで、一歩前に踏み出して。

「悪いが七海ちゃん、売られた喧嘩は買うのが俺って奴でね」

「今はそんなこと言えるような————!!」

「何か考えがあるんだろう、稲本?」

そんな彼女を麻雛罌粟は一度嗜め、彼に問いかけた。

「無策で突っ込むほどバカじゃねえ……と言いてえところだがほぼ無策だ。流石に一つくらい考えはあるが」

そう言って彼は上を見やる。それを見て麻雛罌粟はああ、と少し納得したような顔をして。

「確かに悪くはないけれど、相当に分の悪い賭けね」

黒瀬も彼の意図を納得しつつ、冷静にそれを分析する。

「……ある程度コントロールできるなら、可能性はあるけれど」

同時に、それが策になりうることも見抜く。

「安心しな七海ちゃん。俺は死ぬつもりで戦うつもりはねえよ。ただ一瞬起点を作るだけだからよ、だからさ————」

その手に黒刃を、振り返ることはなくとも全幅の信頼をその声音に乗せて。

「いざって時は頼んだぜ」

収まる殺気。研ぎ澄まされる精神。それが彼の全力全開の顕れ。

「わかり……ました……」

七海も彼が嘘なく口にしたのだと、躊躇いながらも小さく頷いた。


「ったく、なら彼女の従者たちはアタシが受け持とう」

そんな彼の横に並ぶように立つは麻雛罌粟、その人。

「そいつはありがてえが……いいのかい?」

「何、私たちはお節介焼くのが好きでさ」

「ああ、それもだが……口調が砕けに砕けちまってるぜ?」

それを聞けば麻雛罌粟はハッとして、けれどそのまま不敵な笑みを浮かべ。

「取り繕う余裕も……もっと言えば包み隠す必要ももうないってだけさ」

「違いねえ。何にせよ、頼りにしてるぜ」

「こちらこそな」

二人は構える。目の前のただ一人の彼女を止めるために。

そして、瞬間—————

「さあ始めようぜ……マスターブロウダー……!!」

「っ……!!」

一歩、音なく彼がその剣を手に距離を詰めた。


即座に繰り出される黒刃、その剣線は彼女の髪を掠めはらりと赤が散る。

「先ほどよりも……速い……!!」

彼女も即応、咄嗟に突き出した鉤爪は回避される。

避けたその先、構えるは槍を構えたヨモツイクサ。その着地の隙に狙いを澄ます。

「させないよ!!」

されどその着地よりも早く飛んだ麻雛罌粟の剛脚。蹴りとは思えぬ鋭さにヨモツイクサの体は二つに分かれあるべき赤へと還る。

そして彼は着地。もう片足が着くよりも早く再度その地を蹴る。

「喰らえよ……クソッタレ!!」

「誰が……!!」

抜刀、反撃。黒き刃はその身体に傷を刻み、赫き爪は彼の左肩を穿ち、肉を抉る。

「っ……!」

傷口は熱を帯びて、その身が焼かれるような痛みを覚える。

されど互いに止まらず、彼は一歩僅かに距離を取る。


それを、彼女は逃さない。

長物には距離を詰めることが有効であると知っていたから。彼が己の最も得意とする間合いを作ろうとするのは予想していたから。

足が着くその瞬間、それこそが彼の決定的な隙。

必殺。確実に仕留めんと全ての赤と力を、その鉤爪に集めて—————


————笑う。

彼は不敵に、まるで悪戯をしてやった子供のように。

「ったく、ようやっと攻撃が見えてきたぜ……」

赤は散らず、その軌跡は彼とは交わらず。姿勢低くした彼の背の真上には彼女の鉤爪。

「なっ……!?」

「マスターブロウダー……!!」

彼がいた筈のその場所には砂より生まれた円筒が一つ。

耳をつん裂く音と、焼き尽くさんほどの閃光と共に炸裂。

僅かな一手。されどその一手が彼女から感覚という感覚を奪い去り、今決定的な隙を生み出した。


「貴……様……!!」

「卑怯で結構……!!お前さんのその経験と勘が仇になったな……!!」

僅かな後退。それは確かに彼が得意な間合いをとるように見えた。

だが、それこそが彼の誘いの一手。

相手が長物であればその懐へ潜り込む。僅かな移動の隙も逃さない。可憐な少女の見た目にはあまりにも似つかわしくない、戦いへの慣れと無駄のない動き。


その純粋な白兵戦能力も、何もかもが彼より上だと知らしめるには十分だった。

ならばと彼は策を講じた。

全ての動きが読まれるならば、読まれたその先に一つの布石。必殺のその先の一手。

必殺の先に手を打つなど必要などない。それ故の明確なる隙。

無論、その必殺を避けたのは彼の執念そのものだったのだが。

「支部長……!!」

「応……!!」

感覚を奪われ反射的に飛んだ蹴り。それは衝撃と共に彼を吹き飛ばしその身体を砕く。だが今対応すべきは役目を終えた彼ではなく、彼女自身を狙う麻雛罌粟の方だった。


彼女も迫る殺気を頼りにヨモツイクサで応じんとした。が、

「っ……!」

象ろうとしたその瞬間、ボロボロとその身体は崩れてすぐさま赤へと還る。

「流石にもう出し尽くしたってところかい……!!」

繰り出された麻雛罌粟の正拳突き。鋭く重い、鬼の一撃。重力を重ねたその一撃はマスターブロウダーの必殺のそれに比肩して。

「くッ……!!」

守るに守りきれず、左手の鉤爪が悉く砕け散る。

だが、即応。

「かっ……!!」

即座に麻雛罌粟を蹴り上げ、流れるようにそのまま彼女をガラス窓に叩きつける。


それでも失われた片手の爪を作る程の血は残っておらず。

「死ね」

撃発。と同時に振り上げられた刃。

正面向けばこの攻防の中で黒瀬が距離を詰めそのガンブレードでその命を断たんと迫る。

対し彼女も咄嗟に残った右手の赤を剣と変えて、力強く振り下ろして受け止める。

だが時間差で脇腹を撃ち抜いた痛み。貫く鉛弾。

意識が僅かにそれた瞬間、二発の銃声。

それと共に右足から力が抜け、バランスが一気に崩れる。

「っ……!!」

左側方、頭部目掛けて飛んだ蹴り。崩れたバランスのままでは回避も守りも不可能。

「ならば……!!」

「っ……ぐ……!!」

故に繰り出されたソバット。それは黒瀬の右の肋骨をへし折りながら叩き込まれる。

だが黒瀬の蹴りも彼女に届き、ほぼ同時に二人は吹き飛び地を転がる。


先に立ち上がったのはマスターブロウダー。そのまま剣を手に、死に体の体に鞭を打って地を蹴り即座に距離を詰める。

もはやこれ以上の時間の猶予はない。焦りがあることはわかっていた。


それでも、———————から。

——————のだから。


ただ一つの想いを胸に剣を振り上げる。

彼女を止めればもはや彼らに手立ては無い。確実に詰みへと持っていける。

視力も聴力もままならないが、倒れた彼女一人にとどめを刺すくらい訳ない。


たとえ————

「やらせない……彼女は……黒瀬さんは……!!」

「退きなさい……七海……!!」

彼女が立ちはだかろうとも。


—————衝撃。

衝突と同時に音が、衝撃が室内に走り空気が震える。

鋭き剣尖は光の障壁を赤が切り拓かんとその鋭さを増す。

剣と盾の衝突。ガキンという音も、そのぶつかりもほんの一瞬。

障壁にはヒビが入り、突破されるまでは1秒も必要ないだろう。


それでも彼女は踏ん張る。

両の脚に、その腕に全ての力を込める。

その先へと行かせまいと。彼女をその場に踏み止めんと。

そして、何より—————






————あの日、私はただ護られるだけだった。



何もできなかった。

ただ奪われることしかできなかった。

幼い私には、何一つ守ることなんてできなかった。


姉さんと同じように私も……いや、もしかしたらもっと酷いところに堕ちるはずだった。


そんな私を、貴方が救ってくれた。

私をあの地獄から引き上げてくれた。

あの地獄の中でも、鮮明に覚えている暖かで、優しかった手。


その手が引き上げてくれたその先で、多くの人に出会えた。

その人たちと出会えて、多くを学んで多くを知れたから、ここまで堕ちることなく歩んでこれた。


けどそれでも、どうしても分からなかった。


貴方がその理想を抱えながら誰かを傷つけ何かを壊し続けていくことだけは、何度問いを重ねても答えは出なかった。


私は知りたい。

貴方がその手を赤に染めてでも戦う理由を。


たとえそこに理由があったとしても、それは間違ってると思うから。


————今は、力がある。


戦う力は無いけれど、あの日から守る力は磨き上げてきた。


もう何も失わない。誰も奪わせない。

私が立ち続ける限り誰も死なせないと、あの人たちに誓った。


それが私の戦い方で、私の意地だから。


何より、その手が赤に濡れるところなんてもう見たくないから。


だから————





「っ……ぐっ……ああああああああっ!!」

叫ぶ。体の奥底から。

両の脚と腕に力という力を込めて。

その命を振り絞って、残る全ての力を正面へと向けて。

「なっ……!?」

その叫びに応えるように障壁のヒビは修復され、その鋭き剣尖を押し返す。

「もう…………させない……!!」

それはマスターブロウダーが想定した以上の力で、拮抗はおろか彼女の勢いの全てが殺されて。


————瞬間、


「もう誰も……貴方には殺させない……!!」


想いが、命が光となって溢れ出した。


「っ……!!」

それは誰かを守るという彼女の覚悟の、意志の現れ。


その壁はありとあらゆる害意を遮る物。何人たりとも彼女が守ろうとする限りはその先に行くことはできない。


それが彼女の見つけた戦い方。そして彼女の止まらないという決意を象ったもの。


たとえどれほどの覚悟が、意志があろうとも彼女の守りを越えることなどできないだろう。


そこに彼女が、立ち続けている限りは。



そしてその障壁が、マスターブロウダーさえも弾き返した。

「まさか……ここまで……!?」

立ち続けながらも僅かに後方へと押しやられた七海。

その状況にマスターブロウダーも思わず驚きは隠せず、それでも即座に黒瀬の方向にその意識を向ける。


だが猶予は十分。

彼女、黒瀬は立て直し、その手にしたナイフを彼女へと向ける。

この距離ならば外さない。それは黒瀬自身も、彼女の実力を知る彼女自身も大いに理解していた。

守ることができぬのであれば回避一択。

まだこの距離なら避けられずとも致命は避けられる。

その一瞬の判断。全神経を黒瀬の銃口に彼女は向けた。


それが、それこそが彼らの狙いだった。


「っ……!?」

意識外の頭上より降り落ちたそれ。

それは彼女の身体を絡め取り、そして電撃がその身体を焼いた。

「これ……は……!!」

「かかってくれたねぇ……マスターブロウダー!!」

彼女の記憶にも古くない艦内防衛システムの一つ、電磁投射ネット。

それは確かに彼女のをその場に縛り止め、その動きの全てを制限する。



そして彼女がその隙を逃す筈もなく。

「……ようやく、ね」

乱れる事のなく、静かにその手にナイフを構えて————




————あの日から何年もの時が過ぎた。



力に目覚め、残った仲間たちと幾つもの戦場を駆け抜けた。


大切な人と出会い、彼よりも先に死なないと約束も交わした。


あれから何度も足を踏み出した。

あれから遥か遠くにやってきた。


家族を失って、仲間を失って、戦いだけだったはずの"ノワール"の人生に、"黒瀬香苗"としての願いが生まれた。



————それでも、まだ心はあの戦場に囚われている。



血と硝煙の匂い。

奪われていく仲間たちの声。

失われていく己の命。


未だに残る全ての感覚が、今もこの両足を掴んで離してくれない。

この胸に残り続ける憎しみが、私を先に行くことを許してくれない。


何より、このまま進めば死んだ仲間達に合わせる顔もない。


故に込めるは決別。


過去との、因縁との、そしてお前自身との。


私はもう前に進む。

この願いと共に踏み出していく。


だから—————



「さようなら」


————赤が散る。


因縁断ち切る刃が彼女の胸を、心臓を貫く。


音もなく、ただ静かに飛沫が舞う。

彼女も力抜けて、彼女が象っていた赤という赤が崩れ落ちていく。

声もなく、少女は膝をついてそのまま動きを止める。



約束が、願いがあった。

想いも意志も、それは互いに宿していた。



ただ譲れぬ一線があった。

それだけが、彼らを隔てた理由。

彼らが立ち続けた理由。


この戦いは終わりを迎える。

訪れた静寂は夜の訪れを報せる。


「まだ……私は……」


そして、それは————


「終われない……!!」


彼女の物語の終幕へと、続く。


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