第18話 遺したもの
波の寄せる浜辺。岩にぶつかり、分かれて幾度となく散っていく水飛沫。そこは出雲の、稲佐の浜。
「麻雛罌粟、お前に頼みたいことがある」
————それは彼が有りし日の、旧い記憶。
「……なん、だい?」
「お前も気付いているかもしれないが、私はもう長くない」
そう語る彼は決して老いてなどいない。むしろ知らぬ者が見れば、彼は年相応の青年に見える。
けど彼女は知っている。彼が彼女と同じ、いいやそれ以上に生き永らえてきた者であると。そんな彼が、自分はもう長くないと告げたのだ。
「そうかい……。まあアンタ、見た目の割に老けてるもんねぇ」
「そう言ってくれるな麻雛罌粟。だが、私と同じ長命のお前が友であって今日ほど感謝する日はない」
その声音はとても優しい。それは何度も聞いてきた彼の語り口。けど今だけはどうしてか、これが最後にも思えた。
「それで、わざわざ呼び出して何用だい?」
「私も長く生きてきたが、一つだけ心残りがあってな。お前にそれを託したい」
「……まさか、アンタから頼み事をされるなんてねぇ」
少し悲しげに。その口調から、本当に彼がもう永くないと確信させるには十分だった。それでも彼女はいつもの豪胆な様は崩さずに。
「それで、何を頼まれればいいんだい?」
「いつかは分からない。今から数日後かもしれない、数千年後かもしれない。だが確実に奴は目を覚ます」
「奴……?それは……」
「今は言えない。奴は狡猾だ。どこで何を聞かれているかも分からない。それでも確実なのは、奴は貪欲にこの土地の人間を……いいや、この世界を喰らい尽くそうとするだろう」
「全く、厄介な因縁を一人で抱え込んできたんだねぇ……アンタは」
「本当にその通りだ。その因縁も、私の手でカタをつけられれば良かったんだがな」
それに彼は笑う。感情と心がちぐはぐにも見える笑み。そんな彼に、麻雛罌粟は真っ直ぐな眼差しで応える。
「分かったよ。そいつが目覚めた時、アタシがぶちのめせばいいんだろう?」
「ああ、話が早くて助かる」
「なぁに。アタシたち鬼はお節介でね。それが親しきアンタなら、尚更さ」
そんな彼女の答えに、少しだけ笑って。
「お前が友で、本当に良かった。アレをお前に託すなら、心配はないな」
「アタシも、アンタの最後の願いを聞けて良かったよ」
そんな、二人の会話。
「ああ、そういえばもう一つだけ心残りを聞いてくれないか?」
「なんだい。ここまで来たら一つも二つも変わらんよ」
まだ物語が始まる前の、僅かな一時。
「あの子を救って欲しい。私が救えなかった、あの子を……できれば、幸せにしてやって欲しいんだ」
「分かった。約束するよ」
「ああ。頼んだぞ、麻雛罌粟」
それは浜辺で交わされた、もう一つの約束。
それからしばらくの時が経ち、彼はこの世を去った。
—————————————————————
現在。
場所は旧出雲支部。前支部長が執務をおこなっていた、その部屋。麻雛罌粟を先頭に、稲本と七海がその部屋へと入っていく。
「かふっ……かふっ……ほこりが積もってんな。ま、仕方ない。あの人が死んでから何故か開かなくなってたし」
彼が息を引き取ってからは一度たりとも開く事の無かったその部屋。長い時を経て風化してしまってはいるが、彼がいた頃そのままに残っている。彼が床に臥してからもよくこの部屋を訪れていた麻雛罌粟からしたら、まるでつい昨日まで彼が生きていたかのように。
「なんかお宝でもありますかい、支部長殿?」
「さあな。私もここに入るのは久々だから……」
けれどだからこそ、
「前にあんなものあったか……?」
最後に見たその場所にはなかった、寝台に置かれた手紙と、布に包まれたそれに気づいた。
一度手紙は机の上に置いて、布に包まれたそれを手に取る。
布はボロボロで、掴んだだけで崩れてしまいそうだったが、それでも今日この日が訪れるまでその刀身を守り続けていた。
「これが……神器……?」
彼女が手にしたのは両刃の青銅の……いや、青銅ともまた違う、神代の金属で造られた一振りの剣。それはどこか無造作に置かれていて、そんなところも彼らしいと笑う。
それを二人も覗くように見て、それがただの剣ではないと確信する。
「……なるほど、確かに前支部⻑殿は最高のお宝を残してくれてたわけか」
「色々、備えていたんですね」
「まぁ、安全だと判断した場所に重要な物をほおっておくことはあったからなぁ……アイツの数少ない悪癖だよ」
そう懐かしんで、やっぱり彼が昨日まで生きていたかのように感じて。
「そういや……その手紙は?」
「そうだったね。生憎と、私にもこれが神器ってことしか分からないしな」
彼女は一度剣を置いて、手紙を手に取る。驚くほどにしっかりと形を保ったままのそれは、まるで彼女に読まれるのを待っていたかのように。
そうして開けば、懐かしき文字で彼女らへの言葉が綴られている。
それはきっと、命果てるその直前に書いたのだろう。綴る文字はどこか不安定で、それでも伝えなければならないという彼の意志が読み取れる。
そんな手記に残されていたのは、確かな情報。
奴、神話庭園はいつか必ず目を覚ます。そして彼が遺した神器こそが、神話庭園を数千年に渡り封じ込むために使われた、"ヒノカグツチノツルギ"。
古代より生きし者の命、そして寿命を火種にして起動する遺産の一種。
かつて彼が対峙したときにはその血を糧にその剣を振るい封じ込めた。
だが彼一人ではそれを滅するには足りず。その真の力を、神殺しの力を目覚めさせるには二人分の血が必要となる。
そして彼はこの切り札を誰にも明かすことなく、悔恨と覚悟と共に封じ込めていたのだ。
「つまり、私の血がこの剣……ヒノカグツチノツルギに必要と。流石に用意がいいな」
死してなお、一矢報いようとした彼。その為に誰にも何も明かさず、全てを隠し通し、一人で抱え込んだ。
そんな彼の想いの一端を見て、麻雛罌粟は静かに下唇を噛む。
「あいつ……その生の間際はもはや記憶すらあやふやだったようだからな。だったら口で伝えてくれれば良かったのに……全部ギリギリまで独りでしょい込もうとして……」
「どこからも漏らすわけにはいかなかったからってことだと思います。万に一つの可能性も出してはいけなかったから」
「隠し玉は最後まで隠し通してこそって事か……にしても、相当な覚悟だったんだろうな……」
彼の願いもわかる。彼の覚悟は理解できる。だからこそ、何もできなかった自分に対して怒りが込み上げてきて。
けれど、それが今は何も成さないことを彼女は分かっていたから、表情を戻し。
「取り敢えず……神話庭園を滅ぼすには二人分の血が必要だ。一人は私、麻雛罌粟の血でいいだろう。もう一人は……本部から古代種を呼ぶ時 間はないし……一人程、思い当たる人がいないでもないが……」
確認を取るように二人の方を見る。それには二人も納得したように。
「……相談してみましょう。目的は同じはずですから」
「俺は別に誰だって構いやしねえさ。結を救えるんだったら、どんな手だって使うつもりだったからな」
その答えを聞いて、麻雛罌粟は安堵したように一息ついて。
「じゃあ、戻るか!時間はないし、手早く彼女にも手伝ってもらいましょう。結ちゃん、救うために!」
「はい!!」
彼ら皆、確かな決意と共に一歩を踏み出す。
彼が遺した想いと願いをその手に、部屋を後にしようとして。
————振り返る。彼が遺したそれに想いを馳せて。
彼はその手紙の最後に、「すまない」と書き残していた。その続きに誰かの名前を書こうとしていた痕跡もあった。記憶が薄れていたから書けなかったのか、それとも誰かではなく、彼を知るすべての人に向けて書こうとしたのか、今となってはその真意はもう分からない。
けれど貴方が遺してくれたものが、今この場で結たちを救う希望を繋いでくれた。だから私は「すまない」で返さない。
そのまま前を向き、踏み出して。誰にも聞こえぬ声で、ただ一言。
「ありがとう」
そう告げて、私はその場所を後にした。
日は傾き、
白き丸い月が、東の空から顔を出す。
物語の終わり、満月が昇り切るまで、あと三刻。
続
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