第2話 襲撃
空には白い雲が浮かび、それが果てを知る事なく広がる。水面は鏡のように空の青を映し込んで、まるで対岸の白き砂浜と空が繋がるような。
その海原にゆらゆらと浮かぶのは海上レストラン"ミカボシ"。
戦艦の外見を有していながらも中はガラス張りで。この絵画のような景色を一望できる作りになっており、それと共に子供から大人まで洋食から和食に中華と幅広い料理を最高の技術で堪能する事のできる日本屈指の料理屋となっている。ちなみに目玉料理は「三種の薬味蕎麦と天ぷらのセット」との事だ。
ただ、それはあくまでも表向きの姿。
裏の船の真の役割はUGN出雲支部、そしてこの支部が有する最大戦力そのものだ。
そしてその艦長室、もとい支部長室にてこの船のオーナーたる
彼女が目を通す資料には遺産"神話庭園"について記されており。
「精鋭のアイツらに、日本支部の稲本さんもいるから余程の事がなければ大丈夫なはずなんだけどねぇ……」
その資料を机の上に置いてはまた目をやって、他の仕事も片付けなければと手をつけるが、どうしてもその事に気を取られてしまう。
そんな彼女の悩みの種が蒔かれたのは数日前。
「マスターブロウダーが出雲地方にて遺産、"神話庭園"を狙い潜伏しているという情報が入りました」
「……っ! 神話庭園ですか。あれを狙ってきたのですか……」
日本支部の支部長、霧谷雄吾からの突然の連絡。彼が急を要したのもあるが、彼の口から出たその遺産の名前が彼女の精神を強く張り止めた。
"神話庭園"、それはこの地に神代より伝わりし遺産。
神代を知る者ももう生きてはなく、詳細は不明な事だらけだが、出雲支部には数多の文献が残されている。その一つ、「神代総書記」にも幾つかの記述が残されていた。
この遺産を制する者はあらゆる願いを叶え、または神へと昇華するだけの力を得ると。この遺産は数多の豪族や権力者の手に渡っていた事も記されていて。
そして今は何者かによって封印されていることも麻雛罌粟は把握していた。
その封印が解かれ悪しき者の手に渡ればこの地が、いやこの世界が危険に晒される。
「了解です。こちらの戦闘員を幾人か出しておきます。大丈夫、下手なマスターエー ジェントならそのまま倒せる程度には選りすぐりのメンバーですから」
故に彼女は惜しむ事なく最大戦力を投入することを判断して。
「ええ、頼りにしています。こちらでも直属のエージェントををそちらに一人支援として向かわせます、そちらの指揮下でお願いします」
「了解です。こちらも彼と連携して作戦行動を行います」
「ええ、ではそのように」
手短に、簡潔に、それでいて過不足なく現状を彼は伝えるとそのまま通信は途切れる。
「ふぅ……神話庭園ですか。あの危険なものに手を出そうとする人がいるなんて……」
一息つき、端末を操作しながらひとりごちて。
「取り敢えず、こちらからは先に遺産を確保するほかない……ですか。こればかりは仕方ない」
麻雛罌粟の端末には既にその直属のエージェントの彼の情報と連絡先が送られてきている。相変わらず仕事が早い人だと思いながら連絡先にコールをかけつつその資料に目をやる。
ツーコール、そのタイミングで彼が応答したようで。
「え、えっと……稲本さんでしょうか?」
「あー、もしもし?稲本ですけど……どなたです?」
気の抜けた声。本当に彼がエージェントか疑わしいほどに、緩みに緩み切った声が受話器から響いて。
「ちゃんとつながったようで良かったです。私は出雲支部支部⻑の麻雛罌粟と言います」
「ああ、出雲支部の支部長さんでしたか。改めて日本支部の稲本と申します」
途端に彼の声音が変わる。軽やかではありながらも真面目そうな声で返して。
「今回霧谷さんからの依頼で神話庭園という遺産を確保して、と言われまして……」
「一応こちらでも遺産の件については伺っております。明日には現地に入りますので、連携を確認後に回収作戦に移るという事でよろしいでしょうか」
「はい、稲本さんには現地につき次第回収作業の手伝いをして欲しいのです。こちらの支部からも既に数人メンバーを出していますので、 一緒に。もしかしたら途中でマスターブロウダーとの戦闘に入るかもしれませんので十分な準備はしておいて下さい」
「了解です。戦闘には多少慣れていますが、マスターエージェントとの戦闘が考えられる以上、万全の態勢でそちらに向かいます」
「では、何事も無ければ当日に会うことは無いのですが……頑張って下さい。応援しています……じゃなくて!よろしくお願いします、ですね」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
若いながらにも落ち着いて、それでいて物腰柔らかで。むしろこちらが慌ててしまってはいたが、電話越しの彼には好青年という印象が最も相応しいと思えた。
と、同時にある項目が彼女の目に留まる。
「なになに……?」
"過去に命令違反、独断行動多数。十分に注意されよ"
と記されていて。
「……まさか、ねぇ?」
彼女の不安の種が、もう一つ蒔かれたようだった。
そして現在、その彼は一人の少女と相対する。
「ふぇ、え、えっと」
ボロボロの布一枚だけを身につけた10代半ば程の少女。
対照的にその髪は穢れの無い月明かりのような白で、淡い青紫色の瞳は稲本を映していて。
「ん……迷子……じゃねぇもんな」
彼もゆっくり穏やかな歩調で彼女に近づいていく。
手の届きそうな距離になれば膝を折ってしゃがんで、目線を合わせて柔かに口を開いた。
「初めましてお嬢さん。このあたりに住んでるのかな?」
なるべく警戒させないように、怖がらせないように優しげに。
それでもまだ戸惑っているようではあったが、少女も彼に応えるように小さく頷く。
「え、えっと、その……旅の、人でしょうか?」
そして今度は彼女から問いかけるように。稲本もそれには少し悩んだ後に口を開く。
「あー、まあ旅人……とはちょっと違うけど、俺たちはここに探し物をしに来たから、探検家の方が近いかな?」
彼女はその言葉を聞けば、首を傾げる。具体的には"探検家"という言葉を聞いたその時に。まるでそんな言葉、知らないかのように。
その背後、ヒソヒソ声が聞こえる。出雲支部の彼らが何か内緒話をしてるようで。
「お、事案か?」
「なるほど、事案か」
「よしここは通報をだな」
「ってあのぉ!!」
確かにはたから見ればこれは事案だ。悪い大人がいたいけな少女に声をかけているという絵面。通報されれば確実に彼が捕まるのはまず間違いなかっただろう。
彼らが若き青年を揶揄っているのが一番だったが、やはり少しいけない空気が漂っているような気さえもしてきて。
————いや、違う。
そう、青年は感じ取る。
空気が今この僅かな間で張り詰めた。それも、極めて強大な殺気によって。
同時に匂う。鉄の混じった、命のやり取りの度に嗅ぐ、あまりにも嗅ぎ慣れた匂い。
これは血の匂い、そして死の匂い。
それが今この場所に、充満し始めていて。
————足音が、聞こえる。
軽やかで、同時に力強く踏み出される足音。
「今ここにイザナミノオオミカミの命を以て」
声が、聞こえる。
落ち着いた、それでいて厳かな芯の通った声。
「死の穢れを齎し咎を喰らいたる」
一歩、また一歩とその足音が近づく程に匂いは濃く、むせ返るほどになっていき。
そして振り返れば、そこには少女が一人。
「死の刃を持つヨモツイクサをここに顕現れさせたまえ」
同時、死が溢れかえる。
一人と思っていたはずの気配は一つ、また一つと増えていき、最後には彼の眼前を赤き死の群れが覆い尽くしていて。
「……どうも、初めまして」
相対するは禍々しき穢れを齎し、咎を負う者。
「"マスターブロウダー"さんよ」
死を司る、赤髪の少女がそこにいた。
続
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