第1話 出逢い

薄暗い、無機質な壁に覆われた、大広間。

無数の機材や計器がこちらを覗いてるような気もして、合うはずの目もないのに目があったような気さえもした。

余計な音も一つとしてないから、無機質で規則的な電子音が際立ってよく聞こえた。


周りには自分と同じ年頃の少年少女が打ち捨てられるように転がっていて、その誰の瞳も絶望に閉ざされていた。

今まで地獄という地獄を見て、苦しみを味わい、いつの日か救われると願ったその先がこれだ。

もはや救いなどない。

この先に待ち受けているのは、死のみ。

『これより、新型のテストを開始する』

スピーカーから聞こえる男の声。死刑宣告とも言えるその言葉とともにシャッターが開く。

ガラスの向こう側で彼らはコンソールを操作していた。


そしてその戸が上がると同時にそれは姿を現した。

「あ、ああ……ああ……」

兵器というにはあまりに悍ましく、それが人を、命を害するという事は幼い自分にも一眼で理解ができてしまって。


恐怖。

人間という生き物の本能がその存在を恐れ、命の危機を感じとる。だが、逃げ場などあるわけもない。例えあったとしても体が、心が震えて一歩と動く事さえも出来ない。

このまま終わるのだと思えた。救いなんてなく、あの日が最後になるのだと。


「大丈夫、絶対光のことは守るからね」


そんな絶望に囚われた私をその人は、姉さんは優しく抱き寄せて頭を撫でてくれた。

決してこの先は覆らない。絶望に言葉を返すこともできない。

それでも、それでもほんの少しだけ恐怖が和らいで。


光が、集う。

黒く、禍々しい光が眼前を覆い始めて。

そこから先は定かではない。けれど意識を失うその寸前。どこか遠くで赫が輝いた、気がした。




「……ん、あれ、生きて……る……?」

次に目を覚ましたのは全てが終わった後で。気がつけば辺りは炎に包まれ、あの兵器も研究所そのものも元の形を留めていない。

「あ……お姉ちゃん……」

あたりを見回せばここにいた誰もが横たわっていて、先ほどまで自分を優しく抱きしめてくれた姉さんも同じだった。


そして顔を上げれば、彼女と目が合った。


あの地獄の中でもはっきりと覚えていて、今でも容易に思い出すことができる。

深い、吸い込まれるような赤紫色の瞳に、紫檀色が炎に照らされながらも艶やかに靡いていて。

「……へ?お姉さん、誰?」

「……そういうことね」

彼女はその光景を目の当たりにして全てを理解したのだろうか。名乗る事もなく屈んで私を抱き抱えて、優しく、優しく頭を撫でてくれた。

「貴方のお姉さんは、文字通り命を使って貴方を助けたのよ」

「そう、なんだ。お姉ちゃん私なんかのために頑張ってくれたんだ……。うれしいけど、助けたお姉ちゃんが寝てたら本末転倒だよね……」

手を伸ばす。このまま寝てたらまた怒られてしまうから。また酷い目に遭わされてしまうから。


まだそのときは、もう姉さんが動かない事を理解できていなかったから。


「かしこみ、かしこみ申す、ヨモツヒラサカにいましますヨモツカミガミ、かの者達の穢れを送り給え」

そう彼女は呟いて、もう一度私のことを抱き寄せて優しく撫でながら言葉を紡ぐ。

「今からくる人達に保護してもらいなさい。あんまり私は好かないけど、だからって私が連れていくこともできないから……」

私に触れる手も、声音も優しくて、どこか安心感を覚えて。少なくともこの人が悪い人には思えなかった。

「?うん……わかった……」

だから素直に答えた。

その人も一瞬だけ安堵の表情を浮かべて、まばたき。


気がつけばもう、そこには誰もいない。

壊れた機械と横たわる姉の姿だけがあって。

「居たぞ、生存者だ!!医療班も早く来い!!」

「あ……あの人たち、かな?やったねお姉ちゃん、私達、ようやく……」

そのまま、横たわる姉さんにもたれかかるように身体を預けて。



そこからはもう覚えていない。


UGNに保護されて、そこで姉さんが死んだことを初めて知って。

それから声にならない叫びを上げながら手当たり次第に、自分さえも傷つけて。

心も閉ざし、いつの日か死に場所を求めて。

師であるその人にその在り方が姉の献身を否定するものだと諭されて。


今はチルドレンではなく、神月正義の下でイリーガルとして世界を飛び回っている。


「"マスターブロウダー"の姿が、出雲地方にて確認されました」


電話越しに霧谷雄吾が告げたその名の人を、追い続けて。


マスターブロウダー、それはFHのマスターエージェントの一人であると同時にあの日私を救ってくれた恩人。

大切な人が犠牲にならぬ世界の為と世界を駆け回り戦い続けるその人。

けど同時にそのやり方に言葉にはできないけれども矛盾と危険さを感じて。


「そこで遺産に関係する何かしらの活動をする可能性も高いということもあり、現地の支部に連絡をする予定です、出発時間は少しかかっ てしまいますが……よろしいですか?」

「……はい。情報提供感謝します。すぐに準備しますね」


止めなければならない。理由があるなら聞かなければ。そのためにも追い付かなければ。

だからこの仕事はUGNから受ける依頼の中でも、最優先事項だ。


「"立ち続ける盾ネバーギブアップ"七海光さん。貴方の事情は理解していますが、彼女はマスターエージェント。そこは御理解いただけますね?」

「……ええ、そこは理解してます。私の私情は『可能であれば』、なので」


それでも、もし出来ることならば————


「では、ヘリを用意させます。しっかりと整えておいてくださいね」

「はい、分かりました」

通話を切って、支度を始める。


使い慣れた、気付けば傷だらけになっていた盾をケースの上から強く握りしめる。もう決して離さないように。

「……今度こそ、貴女に……」

決意をこの胸に、心に刻むように呟いた。

もう、二度と誰も失わないように。

大切な人が、傷つかないように。


いつか見たその背を追って、一歩前へと踏み出した。




広がる空は青く空気も澄んでいて、ちらほら浮かぶ雲が穏やかに流れていく。鬱蒼と生い茂ってはいるものの差し込む光は十分で、気候も丁度良いことからハイキング気分半分で彼は調査を行う。


「そっちはどうだー?」

「んー、こっちは反応ないです。もう少し奥の方に行ってみます」

ここは島根県出雲市。数千年前に人が住んでいたであろう村跡の遺跡を彼らは訪れていた。


見渡す限りは人の気配もなく、この場所には人がかつて居たという痕跡しかない。

「お邪魔しますよー……っと」

レネゲイドカウンター片手に住居跡に入るのは日本支部所属のUGNエージェント、"稲本作一"。出雲市部の精鋭たちと共に彼はある物を探してこの場所を訪れていた。

「ま、"遺産"がこんな普通の家屋にあるほうがおかしな話ってか」

遺産"神話庭園"。それが彼らの探し求めるもの。それを制する者は神へと昇華するとも言われる程の強大かつ危険な代物。

それの確保のため、今回は日本支部から直々に稲本も派遣されて来たのだ。

「にしても、ここまで生い茂ってるってことは大分前に人はいなくなったんだろうが……よくまあきれいに残ってたもんだな……」

自然に覆われながらも形を残し、歴史に疎い彼でもこの場所には確かに人がいたということを容易に想起させる。この村は数千年前に滅んだはずなのに、この場所だけ少し時の流れが緩やかなような、神秘的にさえも思えてきて。


「しかしマスターブロウダーがここの出雲地方に踏み込んでくるというのはなぜでしょう?」

その中で出雲市部のエージェントの一人が疑問を口にする。それは数日前に寄せられた報告。マスターブロウダーがこの場所に、出雲地方に現れたという事についてだ。

確かに些か疑問ではある。恐らく彼らが探しているそれを求めて来たのだろうが、彼らが違和感を覚えたのは彼女がそれを求めるとは些か考えづらかったから。少なくとも今までの報告から彼女が、神に匹敵するほどの力を求めるとは思えなかったからだ。


「はは、何があろうともこのエリートのエキスパートなエージェントの俺たちと霧谷支部⻑直属の彼がいるんだから安心だろ」

「そうだな、なんせエリートエージェントが数人もいるんだ。安心だ!」

高らかに声を上げる出雲支部のエージェント達。

「確かにそれは違いねえですわ」

稲本はこういう油断こそが一番の敵と内心思いつつも、彼らの実力ならば事実余程のことがなければ安泰だと思えていた。

ここに来る前、一度彼らと手合わせをしたがその一人一人がFHのエリートエージェントと互角かそれ以上。下手をすればマスターエージェント相当の実力を有していて、戦闘を生業として来た稲本でさえも苦戦を強いられた。

「まあ俺は所詮若造なんで、皆様の経験を頼りにさせていただきますよ」

加えて練度も土地勘もある彼らなら、余程の相手でなければ少なくとも退ける事程度ならば容易いだろう。

「いやいや何言ってんすか、懐刀さんが!」

そんな彼らも稲本の実力は身をもって知っているから、大きく笑いながらその背を叩いて。

「皆さんの半分くらいしか生きてねえんですから、過大評価ですって」

彼も少し照れ臭そうに笑って応えた。


「とは言っても、神様の集まるこの地域に遺産とは何かの縁かねえ……」

改めてあたりを見回し、彼は小さくつぶやく。出雲地方といえば日本中の神様が一年に一度集まることで良く知られており、この地域だけは十月を神無月ではなく神在月と呼ぶとの事で。

そこに"神話庭園"、なんて聞けば縁の一つも感じない方がおかしく思えてしまう。

ただどちらにせよ神話庭園が神に関わろうが関わりまいが、せよ悪しき心の者に渡すわけには行くまい。

気を取り直して探索を再開しようとした時だ。


ぴ、と電子音が鳴る。

レネゲイドカウンターがオーヴァードか何かの反応を指し示す。

反応の小ささから遺産ではないし、オーヴァードにしては不用心というか無警戒というか。何にせよ反応があった以上は確認が必要だ。

生い茂る草むらをかき分けて、一歩また一歩と近づいていく。


反応が近づき電子音の間隔も短くなって、気がつけば目の前には一つの住居跡。よく耳を澄ませばがさ、ごそと物音が聞こえて。

音の鳴る方を覗き込めば、そこには————

「ふぇ、え、えっと……」

月白色の髪に淡い青紫、竜胆色の瞳をした少女が一人。

ぼろぼろの布一枚しか身につけていないのに、何処か神秘的な気配さえも感じて。



————まるで、神の遣いのようにも思えて。



この出逢いは、全ての始まり。

紡がれし新たなる物語の、1ページ目だ。


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