第14話 神話庭園

————白き光に、赤が散る。


短くも長き喧騒に喧騒を重ねた死闘。

それは音もなく放たれた一つの刃によって終わりを迎える。

「これで……お終いかしら……?」

「はぁ……はぁ……」

「とりあえず、マスターブロウダーを拘束して下さい。彼女からは聞くべきことがあります……」

「終わってくれた……か……?」

彼らも満身創痍。もはや立っていることが奇跡な程に傷は深く、その体は揺らめいていて。


だからこそ————、


「なるほど……とても強い……」

「っ……!!」

「それでも私は成さなければならないことがある……!!」

「まだ動けて————」

「まだ、終われない……!!」


彼女がまだ戦えるのは、誰からも想定外だった。


「今すぐ彼女を————!!」

麻雛罌粟が声を上げようとした。黒瀬が発砲しようとした。七海が飛び出そうとした。稲本が一歩踏み出そうとした。

「ヨモツヒラサカにかみどまりいましますヨモツカミガミ、イザナミノオオミカミの命を以て————」

だがその祝詞を聞いた途端、そのどれも叶うことなく彼らはその場に力なく崩れ落ちる。

「何だよ……これ……!?」

体の内より縛られる感覚。体全体が、いや魂が彼女に立ち向かうことそのものを拒絶するように。

「ヨモツノリトの幾千の呪祝詞をのれ。かくのらば穢れを飲み込み咎を背負う母神の抱擁をし給え」

彼女が一言一言続ける度にその体からは力は失われ、身体の内からその祝詞に蝕まれて行く。


そしてその場に立つは、赤き髪の少女一人のみ。

「奥の手は……最後の最後まで隠すから奥の手なのよ……」

その身体を引きずりながらも少女はゆっくりと彼に向けて歩んでいく。

「くぅ……この重さ……安倍ちゃんの陰陽術と同じ……いや、それ以上かよっ……!?イザナミノミコトの巫女、貴方そこまでして何を……!!」

麻雛罌粟は問いかける。だが彼女は答えずその足を前に進めるだけ。

「ぐっ、あ……させ、ちゃ、ダメ……。起き、てよ。また後悔するの、私は……あの時の二の轍ふまないようにって、椿さんに誓ったでしょうが……」

七海は歯を食いしばり無理やり身体を起こそうとする。だがその身体は戦いの傷に悲鳴を上げ、彼女の歩みを止めることは叶わず。

「…………」

黒瀬は言葉は発さず、ただ明確な殺意と銃口のみを向ける。それでもその引鉄を引くことは能わず。


そのどれもが彼女の意識の外。

ただ彼女は一人青年向けて足を運んで。

「七海光……貴方はあの時よりも強く、そして護り抜いた、あなたが生きていてくれるのが、私にとっての……」

その声音は優しく、彼女の手を引いたあの時と同じ声。それは彼女の成長を喜んで、されど悲しげに。

「大王……貴方のようなおせっかいやきの噂は知っていた。貴方ならとても素晴らしい指導者になれるでしょう……」

長く生きていたから。彼女が長きに渡り人々と共存し導いてきたことを知っていたから、賞賛するように。

「ノワール……貴方の大切な人を殺してしまった過去は消えないし、恨みをぶつけられるのも理解している……けれど誇りなさい。貴方は誰よりも、強い」

向けられるそれが殺意だと、憎悪だとは理解していた。それでもなお己を追い詰めた彼女に微笑んで。

「懐刀……数日前とは動きが違い貴方の強さは理解できた。できるのならば、別の形で会いたかったわね……」

幾度となく刃を交えたからこそ理解できたものがあった。互いに譲れぬものがあることも、その刃に意志があった事も。故に穏やかに声を発して。


「けど、神話庭園は使わせない……叶え……させない……!!」

一歩、彼に迫る。

その手を首にかけて気道を塞ぐ。

「何のことだかさっぱりで殺されるわけには……!!」

彼も抵抗しようとその腕を掴む。

だがそこに力はなく、もはや彼女が意志だけで立っているのは明らかだ。

それでも、その僅かな力に抵抗することさえ叶わない。

「願いは、叶えさせない、遺産継承者……!!」

「あ……がっ……!!」

もはやその先に待ち受けるのは死のみで———


「遺産"神話庭園"は、神ではない……!」




『ああ、ああ、なんということか』


————音。

頭の内側に響く、声。


『このままではあやつらは死んでしまうなぁ……あの日の、お前の家族のように』


その声は囁くように、同時に蠢くように。

同時、おぼろげながらも記憶の一部が蘇る。目の前で死んでいく家族、村の人々。

確かな記憶ではないのに光景だけはあまりにも鮮明で。


「い、嫌……それは……それだけは……!」

『ならお前は叶えるしかない。安心しろ、願いを叶える力はその手にあるだろう?』

その声はとても落ち着いて優しく。されどそれはその恐怖を煽るように。


焦りが彼女から冷静さを奪っていく。目の前の光景が記憶に重なっていく。


そして————

「お願い……私はみんなを……」

『ん?ハッキリ言ってみるがいい。お前は何を願う?』

「私は……みんなを死なせたくない……!!だから……みんなを助けて……!!」

『ああ、そうか……ようやく願いを告げたか……』

それは彼女の言葉に安堵したように、満足気に。

『ならば、叶えてやろうではないか』

黒き影は、静かに嗤った。





————衝撃。


いや、そう錯覚するだけの力の奔流。

「な……に……!?」

止め処なく溢れ出す黒きワーディングがこの場を埋め尽く。

触れるだけで己のレネゲイドが暴走し、蝕まれる感覚に陥る。

これはあの神代の村で彼女と対峙した時と同じ。あの時は何もかも分からなかった。何が原因で、何がその根源か。

それはほんの数秒まで変わらず不確かなもので、手がかりのひとつさえも掴めずにいて。


けど、今は一目瞭然だった。

「結……?」

その発生源は結、その人。

彼女を中心としてその黒き力は溢れ出し、神々しき白き光さえも飲み込んで。

『ああ、ようやく、ようやく救済の願いを告げた。叶えてやろうとも』

————声。

蠢くような、禍々しき声。

それは魂を逆撫で、本能がその存在を拒絶する。

それほどに禍々しき存在が結から溢れ出たことにこの場の誰もが驚きを隠せず。

そして何より、誰より————

「う……そ……?」

「マスターブロウダー……?」

その場の誰よりも彼女がその光景を受け入れる事ができなかった。


「—————!!」

瞬間、叫ぶ。

結を、その名ではなく彼女が知る名前で。その手を離して、力強く地面を蹴る。

ボロボロだというのに。もはや立っていることさえ危ういというのに。

そこに彼女イザナギの巫女がいるということだけがイザナミの巫女を突き動かして。

だが、それさえもその影は嗤い。

『代償は巫女道具二個分だがな!』

黒き力は蛇の形となる。その大口を開けて、真っ直ぐ進む彼女を食らわんと襲い掛かる。


イザナミの巫女も気づいた。それの狙いも、今まで隠し通してきた彼女の姿を何故今になって己に見せたのか。

だがもう、何もかもが遅い。

「っ……クソっ……!!」

稲本も立ち上がろうとする。その身体を突き動かして守ろうとする。

けれど間に合わない。黒き蛇が彼女を飲むまで一秒もなくて————


「——————ッ!!」

一つの影が、横切る。

それは地に足を付けず。もはや言葉さえなく、それは本能に近い行動で。声にもならない叫びと共にただ真っ直ぐ、一つの目的のためだけに飛んで。


—————光の壁。


淡い、命の光。それは彼女の守り。

僅か一瞬。されど確実に解き放たれたその守り。それは確かにその闇を、影を打ち払いて。

ほんの少し安堵したような表情のまま、少女はイザナミの巫女を守るように彼女と共に地に伏した。


『ふむ、残念だ』

その黒き蛇は彼女を喰らえないとなれば、結を逃さぬようにと戻る。

『ああ、だが……お前の願いのお陰で我はようやく力を解放できる。お前の願いのお陰だ、神の傀儡』

それはとても満足そうに、嘲笑うかのような声音で告げて。

「わ、わたし……そんなつもりじゃ……」

『これがお前の願いの結果だ。対価を支払うがいい』

少女はただ震えることしか、ただ怯えることしか出来ず。

飲み込む。

影が少女を覆って、己の身体の一部に取り込んで。

「結ちゃん……!!」

叫びも虚しく、彼女の姿はもう黒の中。

その黒もうねりにうねって、誰も動けぬこの場で誰よりも自由に動く。それこそ数千年ぶりの自由を謳歌するように。

そしてそれはそのままガラスにその身を叩きつける。走る衝撃は伝播して、隣り合うガラスの全てを砕いて破片が一斉に舞う。


音という音がその瞬間だけこの場を支配して。直後全ての音は消えて、先程までの戦いが嘘のように静寂が訪れた。

だが、何も終わってはいない。

「支部長、無事ですか!!」

その場所に入ってきたは支部員たち。その誰もがこの惨状を目の当たりにして僅かにたじろぐ。

「副艦長……直ちに出雲市に厳重警戒態勢を発令……少しこの町は大変なことになる。私達が守らなければ」

「了解。艦長、手を貸します」

「私の事はいい……他の奴らを……」

「分かりました」

副官も事の重大さを理解していたが故、彼女よりも彼女の命令を優先して動いていく。

「支部長、手を貸しましょうか?幸いうちのロボットは無事なので」

その中で黒瀬は麻雛罌粟に近づいて手を差し出す。よく見れば彼女が装着しているAIDAが彼女をしっかりと支えている。

「すみません黒瀬さん……少し肩を借ります」

そのまま麻雛罌粟はよろめきながらも立ち上がる。レストランだったその場所はもはや跡形もなく荒らされに荒らされて。


「ちょっと!その怪我でどこにいくつもりですか!」

声の方を向けば、足を引き摺りながら窓の外へと向かう彼の姿。

「モルヒネでもなんでもいい……鎮痛剤を頼む……!!」

焦りで前が見えていない。その怪我で剣を振るえるはずもない。

「七海ちゃんはちゃんと守ったんだ……だから今度は……俺が……!!」

それなのに彼は今にも飛び出して行ってしまいそうで。窓から飛び降りていってしまいそうで。

それを見た黒瀬はため息を一つついて、つかつかと彼の元まで歩いていく。そしてその手を振り上げて。

「そうか、なら喰らっておけ」

瞬間、衝撃。

顎に一発、確実に意識を刈り取る。

「っ……!?」

恨み言を言おうとしたのだろうか。どちらにせよ殺気立っていた彼は仲間に対してさえも鋭い眼で睨みつけて、されど彼女の一発にそのまま意識を落とした。


「流石に、今行かせるわけには行きませんし……何から何まですみません。黒瀬さん」

麻雛罌粟が礼を言えば黒瀬は何事も無かったかのように。

「構いません。とは言っても彼には灸を据える必要があるでしょうし……まあ死ぬほど痛い目にあってもらいましょう」

そう言って彼女は彼を部下のジャックに引き渡す。

「二つ下の階に医療室があるから、そこまでお願いします」

「了解。隊長は」

「私は……そうね、少ししたら行く。彼の治療の準備だけ進めておいて」

「イエスマム」

その言葉を聞いて、彼は力抜けた稲本をそのまま運んでいく。そして彼女、黒瀬は二人の元へとゆっくりと歩いていく。



「…………」

地に伏した七海。肺が破れたのか、喉が潰れたのか声は発せない。けど幸い視力ははっきりとしていて、目の前のイザナミの巫女が無事であることに安堵する。

そして少し見渡せば、イザナミの巫女が持っていたであろう古い手記に目がいった。

落ちてしまったのなら拾って返さなければ。そう思って、初めて今の状況に彼女は気付く。

片方ずつの腕と脚が、あらぬ方向に曲がっている。

あのとき無理に拘束を解いたその代償。それでも痛みは感じず、それ以上に目の前のその人の暖かさを感じる。

ゆっくりと抱き締めて、その手を握って。

守りたかったその人に、生き延びたその人の存在に心から安心して、少女は静かに瞼を下ろした。


そしてその光景を、彼女は少し離れたとこで見ていた。

その手には愛用のガンソード。弾倉にもチャンバーにも弾丸はしっかりと残っている。そして黒瀬は、その銃口を確かに彼女へと向けた。


巡る思考。

今なら、確実に殺せる。

たとえ古代種であろうと脳がやられれば死は免れない。それもこんな戦いの後なら尚更。

復讐を果たすなら、今しかない。

そんな思惑が彼女の脳裏によぎった。

引き金にかけた指に力が入る。ただほんの少し曲げるだけ、それだけで全てが終わる。


『死なせるつもりなんて、ありません』


それでも彼女が、記憶の中の彼女の言葉がそれを遮った。


初めは絵空事だと、まだ何も知らない少女の"もしも"の理想とさえ思えた。

誰も、敵さえも死なせずにこの場を潜り抜けるなど不可能に等しいとさえ思った。


けれど彼女は成し遂げた。この場にいる全員を守り切った。

己の身を犠牲にしてでも、本当に守りたかったその人を守り抜いた。

「……そこまでして守りたかった、か」

彼女は"もしも"で終わらせる事なく、己が譲れぬ一線を貫き通したのだ。


静かに、ため息を一つ吐く。

銃口を下ろして、弾倉マガジンをその場に落とす。

スライド引いて、弾丸が地に落ちる。

二人に背を向け、静かに前へと歩み出す。

「お前が救ったんだ。誇っていいぞ、七海光」

そして彼女は一歩進んで、小さく微笑んで。

「これは、その報酬だ」

眠りし彼女に、最大限の賞賛を投げかけた。



こうして、彼らの戦いは確かに終わりを迎えた。


だがこれは、終わりではなく始まり。


目覚めしは神を騙りし厄災の獣。

現れし黒き影、それは民を謀りし獣。


偽りの神、『神話庭園』との戦いはまだ幕を開けたばかりだ。



————満月が昇るその日まで、あと一日。


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