第8話 願い

————硝煙と、血の匂い。


辺りに充満する、死の香り。


いつもと同じ。

引き金を引いて敵の命を奪う。

弾が尽きれば弾倉を入れ替えてスライドを引く。そしてまた引き金を引いて、その繰り返し。


あの日もいつも通り、何も変わらない筈だったのに。


『クソ……なんだよコイツら……撃っても撃っても————!!』


『嫌だ。嫌だ死にたくな————』


無線の向こうから聞こえて来る部下たちの悲鳴。それさえも掻き消す無線のノイズ。

降り注ぐ赤き矢の雨が次々と彼らの命を奪い、また一つ、一つと赤を散らしていく。


『ベータ、デルタ共に小隊全滅……!!ダメです隊長……アレは人じゃない……!!』


騙された、そう気付くにはあまりにも遅かった。気づいた時にはもう誰も彼もが倒れ、屍の山が積み重なっていて。

「っ————」

それが自分の番になるのにも、そう時間は要らなかった。


『隊長……!?』

『クソッ……隊長もやられた……!!』

『レイン、カバーを!!』

『分かってる……!!』

血が滲んで、痛みが熱となって頭の中を支配していく。


視界も徐々に闇に覆われて、音も遠くもう微かにしか聞こえない。


死が、この身を包む。

今までも隣り合わせだった。あの日、家族も何もかも失った時からずっと側にそれはあった。

だから恐怖はそこまで無かった。その時が来たのだと受け入れていた。


それでも、どうしてか彼女の事だけははっきりとその目に映り込んでいた。


戦場の中で靡く赤い髪。

死者の軍勢を率し一人の少女。

充満する死の中で凛として、その死さえも纏いし可憐な彼女。



そしてその瞳が、血よりも深い赤が————


「お前は……一体……」


私を、見ていた事も。




—————————————————————



揺れる。

ゆりかごの様に身体が、視界が揺れる。

けれどここは赤子の為の寝所ではない。

ここは任務の為滞在する事となったミカボシの中であると思い出すにはそう時間は必要なかった。

けれど額には脂汗が滲んでいて、今もまだ胸に熱は残りつづける。あまりにもその記憶は鮮明で、まるで心だけがあの戦場に残された様な気さえもする。



————あの日、私達はまだただの人間だった。

如何な重火器を扱えても超常の前には余りにも無力で、それでいて相対していたのはマスターエージェント。ただの傭兵部隊が彼女に敵う事なんてある筈もなく。

あの日生き延びたのは元々非戦闘員として後方で待機していたアンナ、あの戦場で覚醒したジャック、レイン、そして私。

それ以外は皆、あの戦場で死んだ。彼女によって赤に染められた。

我々を嵌めた雇い主にはそれ相応の落とし前は付けさせた。彼の親家族、誰も彼もを地獄に叩き落とした。



けど、それでも、まだ————




「大丈夫ですか隊長。酷くうなされていた様ですが……」

彼女、アンナの声で黒が晴れる。未だ傷は疼いていたが、それでもハッと我に帰って。

「いいや、問題ない。それよりアンナ、武器や物資の方はどうなっていますか」

半ば誤魔化すように彼女に尋ねれば、すぐに資料を取り出し確認してくれる。

「食料品や生活用品につきましては出雲支部から提供されているので問題はありませんが……弾薬や装備につきましては先の戦闘での消耗が思いの外激しく、あの規模となれば戦闘可能な回数も限られるかと」

「具体的には」

「一回、赤字覚悟でも二回かと」

彼女が、この隊の兵站や資金を支え続けてきたアンナがそう言うのであれば間違い無いのだろう。


加えて言うなればこの任務に就いている限り彼女との衝突は避けられない。ならば、次こそが決戦。

三度目の正直という言葉がここまで相応しい状況も中々ない。

今度こそ確実に、仲間達の無念を。

そう思えば思うほどに染み付いた黒が蠢く。傷痕から湧き出る様に、次第に視界を覆う程に。



「隊長」

声をかけられ、彼女の方を向く。思わずハッとして、返す言葉が喉で詰まる。けれど彼女はそのまま優しく言葉を続けた。

「本日は休息を取ってはいかがでしょうか」

落ち着いた彼女の声音。それは逆立っていたであろう心を察していたが故か。

「しかしだな……」

「仰りたいことは分かりますが、私から見ても隊長はこの数日神経を張り詰めすぎていると思います」

決して自覚がなかったわけではない。奴との対峙、そして敗走。未だ果たせぬ事が焦りとなって、隠していたつもりなのにそれも気づけば表に出てしまっていたようで。

「それに私やジャック、レインも皆、奴と決着を付けたい気持ちは同じです。その為にも隊長、まずは貴方が万全になってもらわなければ」

部下にこうも言われれば、流石に気分転換の一つでも入れねば余計に心配をかけるだけだろうから。

「……そうだな。下見も兼ねて少し表を歩いてくる」

「ええ、情報の整理は我々にお任せを。この地は有数の観光地としても知られているらしいですし、ごゆっくり」

観光に来たわけではないんだがな、なんて言いながらも思ったよりも足取りは軽く、上着を羽織って外へと繰り出して。船の外に出れば海風が強く吹き、背中を押す様に。その風に身を任せて、一歩を軽やかに踏み出した。



—————————————————————



都会の喧騒など程遠く、風に揺れる木々のざわめきだけがあたりに響き渡る。吹く風も穏やかで、温かな日差しが身を包む。

場所はこの出雲の地における象徴の一つ、『出雲大社』。

日本有数の神を祀る神社の一つであり、この島国における全ての神が集うと言われる場所。

この出雲全体が神秘的な空気に覆われてはいるものの、この場所は一段とその雰囲気を強く感じる。

そんなこの場所には参拝客や観光客もちらほらとはいるが、やはり休日でもなんでも無い日の日中だからか人通りは少なくて。

「……貴女、どうしたの?」

「ふぇ、あ、えっと」

だからこそ、一人そこにポツンと立ち尽くしていた少女をいち早く見つけることができた。


彼女が聞いていた話では少女は昨日に稲本とこの近辺を散策して記憶の一部を取り戻したらしく、支部の人間と共にこの辺りを見て回っていたとは聞いていた。けれどその支部員と思しき者もいないとなれば、だいたい察しはつくものだ。

「確か……黒瀬香苗さん、ですよね。えっとその……」

「丁度良かったわ。皆に用事があるのだけど、貴方も着いて来る?ついでに、見て回りたい所があるなら、言いなさい。そこにも寄って行ってあげるから」

少女自身も迷子になっていると自覚があるようだからと、彼女はその目線を落として優しく声をかける。それには彼女も少し恥ずかしげにしながらも安堵したようで。

「え、えっと、その、はい、お願いします……その、初めてみるものばかりで」

「気にしないの。それと、その時は素直に言いなさい。私たちが助けてあげるから」

相変わらず落ち着いた、それでいて優しい声音に少女も小さくはにかむ。それを見て、黒瀬も小さく微笑み彼女の手を優しく握って。

「少し歩こうか。せっかくの天気だし」

「ぁ……はい」

少女も少し驚いた様子を見せながらも、その手に引かれるように、小さな歩幅で軽やかに付いて行った。




二人は手を繋いで、辺りを見渡しながら境内の中を進んでいく。

少女は神については詳しかったが神社についてはあまりよく知らず、目に付く興味の湧いたもの全てに少女は問いかけ、黒瀬もその全てに優しく丁寧に答える。

そんな風に散策していれば、少女は足を止めてある一点に視線を向ける。

「どうしたの?」

「……えっと、その、一つ聞いてもいいでしょうか」

「答えられる範囲内でなら構わないわ」

「神社って沢山巫女さん、がいるのですよね?その……姿を見せていてもいいのですか?卜占ボクセンとか神事で籠っていたのですが……違うようですし」

その問いかけは今までの好奇心からの質問とは異なり少し不安げに、とても神妙な面持ちで。

「古来の巫女はそれで問題ないでしょうね。でもね、時代と共に変化して、百年くらい前からは神社における神事の補佐。 最近だと着て楽しむとか、奉職する若い女性が着る服って印象ね」

それに対して黒瀬は今まで通り、柔らかな声音で淡々と答える。けれど、顔には出さぬだけでとてつもない違和感を抱く。

少女の知識と常識には明らかな齟齬が見られる。それも知らないというのではなく、ゴッソリと抜け落ちているような。それこそ支部員が言っていたように古代からタイムスリップしてきたような。

けれど黒瀬のその疑念にも気づかぬほどに、その答えに対して少女は胸を撫で下ろして。

「そうなんですね……。もう、籠らなくてもいいんだ……」

少し寂しそうに。それでもとても嬉しそうな表情を浮かべていた。


そうして歩いて、本殿の前に辿り着けば参拝客らが手を合わせ祈りを捧げていて。それを見て少女はふとなにかを思ったのか、徐に口を開く。

「えっと、神社って願いを神様に聞いてもらったりしているん、ですよね……」

「ええ、そうね」

「黒瀬香苗さんは叶えたい願いってあるのですか?もしもその……願いが、叶うとしたら何を願いますか?」

それは今まで通り彼女の好奇心からのようにも聞こえて、けれどどこかその声には芯が通っている気がした。

「……残念だけど、今の私にはないわ」

だから彼女はその腰を落として、視線を合わせ間を置いて。

「だって、叶えたかった夢は今叶ってるし。」あとは……私とあの人の問題だからね……」

頬を緩めて、柔らかな笑みで彼女は答えた。



思い浮かべるは、世界の守り手として今も戦っているであろう最愛の人の姿。

多くの物を喪った先で出会った彼。出会いのきっかけは何だったか。もうあまり覚えていなくとも、あの言葉ははっきりと覚えている。

『君より先に死なない。だから、一緒に死が二人を別つその時まで歩こう』

俗に言うプロポーズというもの。今思えばお互い死を背中合わせに生きているというのに、それなのに共に死を迎えようなんて。

けど、ただその言葉が嬉しかった。彼と共にこの先に歩いて行きたいと思わせてくれた。

だから、私は前に進まなければならない。

あの戦場に置き去りにしてしまった心に、この胸に染みついたままの黒にけじめを付けなければならない。叶った願いの先に進む為に。ゆっくり、時間をかけすぎてしまったけれど。


「そう、なんですね……。叶えたい願い……私にはまだ……わかりません」

「焦ったって願いは叶わない時は叶わないの」

手を伸ばして届かなくとも、歩き続ければいつかその願いに触れることは出来るはずだから。

「だから、貴女は貴女の速度で、願いを叶えなさい」

どうか貴方が本当に叶えたい願いを見つけたその時、それが叶えられることを願って。

「それに、力が欲しい時は貸してあげる。先に願いを叶えた先輩として、貴女を助けてあげるから」

あの人が私に手を差し出してくれた時のように、私もこの手を彼女に差し出した。


「私の速度で、願いを叶える……うん、ありがとうございます、黒瀬香苗さん」

その言葉に少女もはにかんで、彼女の手を取る。

そうして黒瀬も優しく微笑めばまた立ち上がり、彼女の手を引いて。

「じゃあ行きましょうか。まだ見たいところもあるでしょう?」

「はい……!」

彼女もその手に引かれるように歩んでいく。まだ少しおぼつかないけれど、ゆっくりと確実に。



今はまだ願いはない。けれどゆっくりとその願いを少女は探していく。自分の速さで、彼女のその心と想いで。


神集うこの場所で記されたこの物語の、そして彼女の心を象る二ページ目。


————満月が昇るその日まで、あと四日。


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