第9話 想い
日は高く登り、船はゆらりゆらりと緩やかに揺れる。雲の流れもさして早くなく、風も穏やかに涼やかに支部長実に窓から吹き込んできた。
その風に心地よさを感じながらも、脇目も振らずに麻雛罌粟は資料に目を通し続けていた。
マスターブロウダーとの戦いから二日。あれから大きな動きもなく、不気味な程に平穏な時間が流れた。
幸い、そのお陰で情報収集に整理に集中して時間を割くことが出来ている。作戦開始時には殆ど分からなかった事もかなりの範囲で理解が進んでいる。
仲間たちが纏めてくれた情報、前支部長が残してくれていた資料に加え、千年を超える己の記憶が幾つもの点と点を線として繋ぐ。
「マスターブロウダーの情報、もしかしてと思ったけれどかなり昔のもありますね。下手しなくても私より年上?一体いつから、こんなことを繰り返して……」
彼女は千年はおろか、二千年を超えるその時を生きてきた。
古くはこの出雲の地に存在した村にて神に仕える巫女として。その村が滅びを迎えてからは何かを探すように。追い求めるように。或いは二度と何かを失わないように。
世界を回り、そして今はFHの"マスターブロウダー"としてこの世界を変えんと独り何かと戦い続けている。
ただそれでも、一度と欠かすことなくあの稲佐の浜には訪れ続けていた。満月の昇る夜、誰かを待ち焦がれるように。
まるで、一つの御伽噺。人の理から外れた自分でさえも、彼女の生き方は空想上の話とも思えた。だが彼女は確かに存在している。空想ではなく、この現実に。ならば、彼女が戦っている"何か"も確かに存在しているのかもしれない。もしかしたらそれが神話庭園に何か関わっているのかもしれない。
けれど、まだ確証も情報も無い。それこそ全てを隠し通されているかの様にさえ思えてきて。
そう思索に耽けていれば、少女がドアの隙間から覗き込んでいることに気づく。
「えっと、その……お邪魔でしたでしょうか……えっと、
「ふふっ……
「その……外に行ってみたかったのですけど、皆さんいなかったので……」
「あー、外ですか……」
そういえば昨日は支部員と行ったはずなのに何故か黒瀬さんと帰ってきて。無論その支部員達にはこっぴどく説教しておいたが、そういえば他の支部員達も今日は立て込んでいて外部協力者の彼らも缶詰になりながら資料をまとめ上げてくれている。
と、なれば。
「まぁ、色んな人がいるし少女ちゃん可愛いから変な人にさらわれたら大変ですしね。うん、じゃあ私で良ければ一緒できますよ」
その言葉を聞いて、少女は晴れやかな笑顔を浮かべた。それは眩しくさながら太陽の様で。
「特に行きたい場所が無いのでしたら、私のおすすめの場所にでも案内しますけど。行きたい場所はありますか?」
少女は少し照れ臭そうに、けどまだこの場所を知り切れてないからか戸惑いの色も見せて。
「えっと、その、オススメ、の場所でお願いします」
「はい、分かりました。一名様、艦⻑おすすめスポットにご案内〜!」
ガラではないとは思いつつ、そんな戸惑いも打ち消す様に彼女も笑みを浮かべ、手を繋いで。
少女も楽しげに嬉しげに、跳ねる様に彼女に手を引かれていった。
—————————————————————
場所は出雲市、ご縁横丁。
出雲大社の門前に広がる商店街。小さな店々が並び、その一つ一つで特産の菓子や勾玉、占いなどといった、神が集うこの場所らしい商品が並べられていた。
「ここがご縁横丁です。私の旧友なんかもいる関係でよく足を運んでいるけれど、何か気になる店はありますか?」
この場所を紹介するように手を引いて、彼女がそちらの方を向けば、そこに少女の姿はなくて。
「あれ?さっきまで掴んでた手は……?」
そこにいるのは見知らぬ少女。その子もキョトンと麻雛罌粟の顔を見つめていた。
「……少女ちゃーん!?」
そして麻雛罌粟も事態に気付いて、その子の手を離して一気に駆け出した。
そういえばさっき大きな人混みの中を通ったけど、その時にはぐれてしまったようだ。
そして来た道を戻れば、背の高い男達に囲まれ戸惑う少女の姿が。腕も掴まれ、今にも流されどこかに連れて行かれそうになっていて。
『何してるテメェら?』
ドスの効いた一言を脳内に直接。男達は驚き慌てた様に手を離し。少女は何が起きたのか分からず不思議そうな顔を浮かべて。
「あ、見知らぬ皆様が保護してくれたんですね。ありがとうございます」
彼らも麻雛罌粟の目に光が無いことを確認して、会釈をすればさっさと背を向けて逃げるように去っていった。
「えっと、道を聞かれてちょっと困っていたのですが、その、ありがとうございます」
「特に何もされてない感じね?」
「え、あ、はい」
その言葉には彼女には嘘偽りはなく、本当にそうだと思っていたようだったからこそより胸を撫で下ろし。
「はぁぁぁぁぁぁ……なら良かったです」
息を吐く。肺の中の全部の息を吐き出す。それも終えれば先ほどまでの焦燥がまた込み上げてきて。
「ゴメン目を離しちゃって!怖くなかった?心細くなかった?」
肩を掴んではたから見れば大袈裟とも思えるほどに心配を露わにしてしまう。それに対して少女は驚きや戸惑いというよりも、不思議そうな顔を浮かべる。
「えっ、と、ちょっとその、怖いとは思いましたけど……どうしてここまで、私の事を助けてくれるんですか……?どうして怪しいはずの私を置いてくれるんですか……?」
彼女は心底不思議そうにして、けれど麻雛罌粟はそれを聞いて余計に不思議そうに。
「怪しかったら助けちゃいけないのでしょうか?怪しかったら傍に置いちゃいけないのでしょうか?少なくとも私は違うと思います。少女ちゃんがあの場で困っているように見えた。それだけでどんなに怪しかろうと私の中ではお節介を焼くには十分すぎる対象なんです」
それは彼女が千年間続けてきたから。そうやって人を助け、同じように助けられながらこの場所で生きてきたから。さも当たり前のように、けれど優しい口調で答えた。
「……その、ここで見る人たちは沢山人がいて、色々な服を着ていて巫女も意味合いも違ってて、もしかして自分は異質なのではと思ってしまって。ずっと籠っていた時はあまりなかったものですから……」
きっと皆が感じていた違和感を彼女も同じように感じていたのだろう。
「でも、大王さんもとても良い人だなと言うのは伝わりました」
そして人と触れ合うことも少なかった彼女だからこそ人の心をより感じ取っていたのだ。
「異質で良いのよ。それは"貴方らしさ"であるのだから」
そんな彼女を受け入れるように、包み込むように。
「それと、良い人って言ってくれてありがとうね」
屈んで目を合わせて、優しく少女を撫でた。
「それに、あのマスターブロウダーという人を知っているような気がして……。分からないけど、胸の奥が暖かくなった気がするんです」
笑顔のまま彼女は幸せそうに撫でられる。ただ同時にもう一つの違和感。彼女はマスターブロウダーを知っているようだったが、マスターブロウダーは彼女に見向きもしなかった。
そしてその違和感が晴れる何かに繋がるよりも早く、少女は徐に口を開く。
「そういえば大王様」
「ん、何でしょうか?」
「誰かとの約束を忘れてしまって、それを思い出せなくて怖いと思ったことはありませんか……?」
その問いかけには麻雛罌粟は少し悩む。けど、いつも通り明るげに。
「きっとそういった約束はあったはずです。でも、正直結構⻑生きしてますからね。そんな約束をしたことすら忘れてしまっているかも。少女ちゃんはそんな約束があるの?」
そう今度は問いかけられて、少し俯いて。
「ある、と思います……確証はないですけど、けど何かを約束したようなって」
それを聞いて彼女は優しく穏やかに、温かな口調で。
「大事なのに思い出せない約束があるとしたら、いっそ忘れたことを正直に言って謝るのも手かもしれません」
少し意外な回答に、少女は驚きを見せる。
「だって少女ちゃんはその約束を中身は兎も角、約束したことは忘れてはいけないという強い想いを持ってるからこそ、うっすら覚えているんでしょう?だったらきっと、相手も少女ちゃんのことを大切にしてるからこそ、そんな約束をしたんじゃないでしょうか?」
ただそれも、彼女がそれだけの想いを抱き続けていることを知っていたからの答えで。
「だとしたら、きちんと誠意をもって謝れば許してくれるはずですよ」
優しく、明るい声で。それは人の想いがそんな簡単には崩れることの無い物だと知っていて。
そして彼女の強い想いが、その約束を確かに繋ぎ止めていると確信できたから。
「大丈夫、怒られた時は慰めてあげますから!」
「うん……ありがとうございます、大王さん」
その言葉に彼女も安心したように、年頃の少女のような笑顔を浮かべた。
そして安心したからか、ぐーきゅるるなんていう腹の虫が鳴いて。
「あら、小腹が空いたのなら丁度いいお店があるからそこに行きましょうか」
「はい……お願いします」
「他にもいろんなお店がありますから、お昼を済ましたら色々みていきましょう」
それこそその歳の少女らしく、少し顔を赤らめながら麻雛罌粟の手を取って、親子のように並んで歩いてゆく。
今はまだ欠けていても、確かにその想いが彼女の約束を、その物語を綴じ込んで。
きっとこれからその書物は色を取り戻していくはずだから。
確かに彩られた想いの三ページ。
神の時代より続く物語の、その続き。
————満月が昇るその日まで、あと三日。
続
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