第10話 意志
ゆらゆらと、穏やかに揺れる。
風は早く、波も高く、雲もすぐに視界の端へと過ぎ去っていく。
マスターブロウダーとの戦闘から四日。あれから彼女自身の姿は確認されず、されど彼女の従える死の軍勢があの村で来たる日に向けて準備は進めているようで。
ならばと彼女はそれを、傷だらけになった大盾をケースから取り出して磨き上げる。
よく見れば大きな傷はないけれど、表面は細かい傷に覆われてどれだけこの盾と共に苛烈な戦場を駆け抜けてきたかを刻み込んでいる。
あれからずっと、彼女を追い続けている。
"大切な人が犠牲にならなくてもよい世界"、それが彼女がこの二千年戦い続けてきた理由。
私はあの人に救われただけで、あの人の過去も事情も知っているわけではない。
それでも、その思想は理解できるし大切な人を失う痛みも悲しみもよく知っている。
姉さんが命をかけて私を守ってくれたから。そして姉さんを失って一度は道も見失いかけたから。
「本当に全部破壊する気なんですね……」
だからこそ分からない。
「何で全部一人でやろうとするんですか……どのみち全部壊すなら繋がりを作るだけ苦痛だとでもいうんですか……?」
私を救ってくれた貴方こそがそんな事をするなんて。
貴方こそその繋がりを大切だと思っているから、そんな世界を目指したのでしょう?
なら、どうして————
そんな問いかけは何度もしてきた。何度も彼女の足跡を追って何度も、何度もその真意を知ろうと問い続けてきた。
結局その答えは出ず、彼女から語られる事もなかった。
だからこうやってこの場所に、彼女の求める場所までやってきた。今もまだ、その真意を聞くこともできていないのだけれど。
そう想いに耽ていれば、少女が覗き込んでいる事に気づいて。
「えっと、その、こんにちは……」
「あ、はい。こんにちは!」
咄嗟に笑みを繕う。流石に自分もこんな顔をこの子に見せられないと思った。
「その、考え込んでおられるようでしたので、お邪魔でしたら……」
「あ、いえいえ。大したことではありませんし、ここで考えこんでも仕方ないことでしたから。大丈夫ですよ」
そう優しく言って、彼女の元に歩み寄る。
「それで、私に何か……?」
「えっと、その……よろしければ、その、一緒に気分転換に外にでも出かけないかな、と……」
そう彼女が言ったのは、彼女自身が七海の為に何かをしようと思ったからのようで、とても心配した様子で彼女を見上げる。
「あ……気を遣ってくださってありがとうございます」
その表情だけで、どれだけ自分がひどい顔をしていたのは何となく察しがついた。
けど、こう気遣ってもらったのならば少しでも表情を元に戻そうとする。
「それでは、その、行きましょうか。私は特に行きたいところはないですが、貴女は……?」
屈んで目線を合わせて、優しく問えば少女は少し悩んで、何か思い出したように。
「あ、えっと……その、少し前に出雲大社、に行った際に博物館、というのがあったようですので、いかが、でしょうか?」
そんな彼女の提案を聞けば、少し不安げではあるが瞳の奥を輝かせていたのに気付いて。
「はい。貴女の方で行きたい場所があるのでしたらそこでいいですよ。当てもなくぶらつくぐらいしか私は思いつかなかったので」
七海も優しく彼女の選択を受け入れる。ほんの少し、まだこの場所を知らない自分に対して苦笑いを浮かべて。
「い、いえ、私にはあまり出来ることはすくないので……」
少女も少し照れ臭そうにはにかんで、二人は優しく手を握る。
「では、いきましょうか」
「ええ」
少女に手を引かれるように七海は部屋を出て、船を降りていく。
まだ心は晴れねど、それでも知らぬ何かを彼女と見ることができる事にほんの少し期待を抱いてるような、そんな気がしていた。
—————————————————————
場所は島根県立古代出雲歴史博物館。古代、それも卑弥呼の生きていた時代からの銅鏡や銅剣が展示されている。
それこそ展示品を眺め歩くということはこの土地の歴史をなぞるようにさえも感じとれて。少女は勿論、七海さえも普段目にすることのないものばかりで興味深そうにそれらに目を奪われていた。
その中には現代とは異なる言語で記された、いわゆる古語で記された書物もあり、七海にはそれは読めずとも少女はそれを読み慣れた言葉のようにスラスラと読み上げた。
「……これなんてこういう文ですね、これは卑弥呼の銅鏡ですか」
「なるほど……よく読めますね。私もいろいろ飛び回っているから最低限の外国語はいくつか覚えていますけど、そのせいか古文とかは あんまり手がいってなくて……」
「……私からしたら
「……あー、そうですね」
少女は少し寂しげに口にして、ただそんな彼女に七海も何かを言うことはできずにいて。
「私の知っている者は全部過去のものになっていて、独りぼっちになっちゃったような、そんな感じはします」
そう続ける彼女の姿は、心ごとどこかに取り残されたようにも見えてしまった。
ただ何かを少し思い出したかのように、その心寂しげな表情を緩めて。
「でも……思い出せないですけど、満月の夜に手を取ってくれて自由を色々な事を教えてくれた人がいた気もして……そんな誰かに救われたような気がしてるんです」
まだおぼろげではあれど彼女が感じたものやその記憶は確かなようで、心なしかどこか安堵したような表情を浮かべていた。
「……救われた、かぁ」
そんな彼女の様子を見て、思わず呟き、己の道のりをなぞって。
「私も、いろんな人に救われてここに立ってますから、そう言う人達に恩返しがしたいって思ってるんですよね。まあ、恩返ししたくても何がしたいのかもよくわからない、それを肯定すると他の恩を返したい人に害をなす可能性が高い方法をとる人もいるので、どうにかそれ以外の方法はないのかって聞きたいんですけど……ろくに話もできずに終わっちゃうんですよね……」
それは彼女が胸に秘めていた想い、であると同時に葛藤や苦悩。思わず彼女を自分に重ねてしまったから口にしてしまっていて。
「あ、ごめんなさい。ついついあなたに愚痴みたいなこと言ってしまって」
言ってから気づいて少女に謝る。けれど少女も何処か、彼女に対して近しい何かを感じたのだろう。
「そう、なんですね……いえ、大丈夫ですよ。私もその人とのことを思い出せなくて、苦しいと思っていたから……」
彼女自身も、その小さな身体に収めていたその想いを思わず吐露する。
「七海光さん、貴方はもしも大切な人との約束を破ってしまったら、どうしますか……?」
それは今彼女が抱えている不安そのもので。
「約束を破ってしまった時、ですか。あまりそこまで大きな約束をしたことがないので深い答えは出せないですけど……単純に自分に非があるっていうなら謝りますよ。自分のミスとか不注意とかでなっちゃうことってありますから」
七海は答える。優しく穏やかに、彼女の不安を和らげるように。同時に、少し憂いたような表情も見せて。
「でも、誰にでも『譲れない一線』っていうのはあるみたいで、そのために約束を破ったっていう人も結構いるんですよね。私は聞いただけで実際に自分がやったことはないんですけど……」
もしかしたらいつの日か、自分もそれの為に約束を違えてしまうから。
「だから、意図せず破ってしまった時には謝罪とか粛罪とか可能な限りは行いたいですけど、意図して破った時は……謝罪はしますけどお互い納得できるまで話し合いたい、ですね。破ってしまったことより破った後の関係の方が私は重要だって思うので」
決して彼女に、そして己自身にも偽る事なく彼女は真っ直ぐと、真剣な眼差しで答えた。
ただそれには彼女も小娘の薄っぺらい言葉なんですけど、なんて苦笑しながら付け加えた。
「納得できるまで話し合う、ですか……。私も、できたらいいな……」
「はい、ぶっちゃけるとそれでみんなが納得できる結論が出ることなんて理想論以外の何物でもないんですけどね。それでも、私は理解しようと努力することはやめたくないんです」
「理想と現実の矛盾、というものでしょうか……?」
「そんな所かもしれません」
そんな彼女の言葉を聞いて、少女は浮かんだ疑問をふと投げかける。
「もしも相手が抱えてるものを話してくれなかったら、どうしますか……?」
その問いかけは彼女自身がずっと向き合っていたものだった。結局まだ答えは出ていないから少し言葉に詰まったけれど、それでも徐に口を開く。
「……私は戦闘能力はないので『はっ倒してでも聞きだす』って手段はとれないので、言ってくれるまで何度でもぶつかっていきます。自分で勝手に結論付けて思考を止めるなんて私はしたくないですから」
「……とても強いんですね。きっと七海光さんに報われる時が来ます」
「だといいんですけどね。悪あがきとか自己満足っていわれたらその通りですし」
一瞬苦笑して、それでも微笑んで確かな口調で。
「だとしても、『もっと話しておけばよかった』って後悔はしたくないですから」
それは確かに彼女にとっての『譲れぬ一線』であり、確固たる意志そのものであった。本人は気づいていないようであったけれども。
ただそれは少女にも届いたようで、彼女の揺れていた心も今は落ち着いていて。
「私ももしその人にまた会えたら……ちゃんと謝りたい。ちゃんと話してみたいと思います」
「ええ、きっと貴方ならできますよ」
確かに少女には、確固たる意志のようなものが宿っていた。
「ありがとうございます……七海光さん」
「あはは、私の方こそ気分転換に連れてきてくれてありがとうございました」
そういって彼女は頭を下げて礼を述べて、そうしていれば少女が彼女の手を再び取る。
「その、もし良ければもう少し見ていきませんか?」
「はい、良いですよ。色々ご教授お願いいたします、先生」
「先生?」
純真無垢の、それこそ揶揄いのひとつもない真っ直ぐとした七海の言葉に少女はキョトンとして。
ああそういえばなんて先生の事を七海は説明をしてそのまま二人は楽しげに嬉しげに。まるで姉妹のようにその足を弾ませながら進んでいった。
そうして綴られた四ページ目。確かな意志がその胸に宿り、白紙だったはずの物語の余白はもう僅か。
古代にはじまりし物語は、
ただ少し、黒に滲んだページは未だその姿を見せることは無く。
————満月が昇るその日まで、あと二日。
続
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