第7話 約束

空は青が澄み渡り、浮かぶ雲も穏やかな風に乗ってゆらゆらと緩やかに進んでいく。

海原には白き光が差し込み、水面は青き宝石のように輝く。

そして遠方に目を向ければ白き砂浜が広がり、空気が澄んでいるおかげか小さな一つの島に赤い鳥居もはっきりと見える。


そんな景色を一望することの出来る『海上展望レストラン ミカボシ』ことUGN出雲支部の宴会場。昨晩ミーティングと称した彼らの歓迎会が催されたその場所で青年、稲本作一は資料を読み漁っていた。

他の面々は執務室やそれぞれ与えられた部屋にて行っているようだが、彼は折角の景色を堪能したいとその場所を選んで資料に目を通していた。


そんな彼が目を通すは支部員らによってまとめられた紙の束。

「昨日の今日でよくここまでまとめてくれたもんだ……」

恐らくはこの出雲支部に蔵していただろう資料の中から"神話庭園"に関わるであろう物を全て抜き出し、そして綺麗にまとめ上げていて。

彼がそこから行うは実際に現地で見て、聞いて感じた点の情報と線で結びつける。ただやはり単純ではあれど、あの苛烈な戦闘状態の中で得た断片的な情報と結びつけるのはやはり困難が極まっているようで。

「仮説なら色々と結びつけられるんだが……どれも確証には繋がらねえな……」

髪の束を一旦置いて伸びをして、支部の人が用意してくれたお茶と菓子で休息を取って再度資料に目を通す。

が、やはり難解。

どうしても点だけでは線にならず、間を紡ぐものが足りず。


そう途方に暮れていれば、視界の端には外を眺める少女の姿が。

何処か遠くを黙って見つめている。ただそわそわと、ちょっと背中を押せば足がそちらに運ばれていってしまいそうで、思わず気になって目がいってしまう。少女もそれには気づいたようで。

「……えっと、あ、その、はしたなかった、ですか?」

「ああ、いやいや。何かお嬢ちゃんの中で気になるものでもあるのかと思ってな」

「えっと、その……」

稲本がしゃがんで目を合わせれば、少し恥ずかしそうにして。

「あの、浜に行きたくて」

そう彼女が指を指したのは小さな島と赤い鳥居が目印の白い砂浜。"稲佐の浜"と呼ばれるその場所。

「稲生の浜か……支部⻑殿には許可はもらってねえけど……」

ただ少女には記憶がなく、それでもそんな彼女が行きたいと願うという事は何か手がかりが思い当たるような事があるのかもしれない。

何より、海が綺麗で飯も美味いからといってここに閉じ込めておくのは忍びないと思ったから。

「よし、じゃあ行ってみるか!」

「いいんですか?えっと、その、この国の大王オオキミさまとかに許可貰わなくても?」

「オオキミ……ああ、支部長の事か」

大王オオキミ、それは古き日本の集落、"ムラ"の長を示す言葉。彼女はここをムラと認識し、麻雛罌粟の事を長として認識していたようで。

「まあ、ちょっと外に出るくらいだし……散歩に行ってきましたって言えば大丈夫さ」

そう彼がにこやかに言えば彼女の表情も途端に明るくなって。

「っし、となれば善は急げだ!」

「はい!」

二人はそのまま笑顔のままに宴会場を後にする。遠くに見えた浜もいざ行くとなれば近くにあるように感じて。軽やかに、心躍らせながら彼らはその場所へと向かっていった。





「ぜぇ……はぁ……」

「大丈夫ですか……?」

「ああうん、大丈夫……」

近くに見えたのはもちろん、錯覚だったのだが。


そんな彼らの眼前に広がるは白い砂浜。

「……綺麗な浜」

「いやあ、支部から見ても綺麗だったが、実際に間近で見てみると綺麗なもんだ!こりゃ来たくなるよな!」

広く一面、雪とはまた違う輝きを放ち、ミカボシからは青く見えた寄せる波際も淡く、白に混じるように溶け込んいて。海と空の境界線も曖昧になる程に空は青く、様々な色が溶け合うように一つの絵画のようで。

それが今、現実のものとして彼らの前に広がっている。


「えっと……その……」

少女も今にも飛び出してしまいそうなくらいに浮き足立っていて。

「ああ、ちゃんと俺が見てるから好きに駆け回ってきていいぞ」

そう聞けばその表情はぱぁと明るくなり、駆け出し、はしなくとも緩やかに解き放たれたように白き砂浜に足跡を付けていく。

今までは様々な事柄に困惑し、おどおどと遠慮がちに振る舞っていた彼女だったが、この場所は記憶のない彼女にも馴染みのある場所であったのかとても年頃の少女らしく波打ち際ではしゃいでいる。

その様子を念のための事後報告がてらに麻雛罌粟に送りつつ、彼も履き物を脱いで波打ち際に腰掛ける。そうして辺りに目を向けてみれば、改めて神がかっている場所だと思えた。


絵画のように幻想的で神秘的で、それでもこの場所が実在していて。ここが神の集まる場所だと古くから言われているのも何となく頷けた。

そしてきっと、この場所は幾星霜の時を経ても変わって居ないのだろう。彼女が本当に神代から来たのなら、ここは数少ない彼女にとっての想いの拠り所でもあるのだろう。

彼女が楽しげに、浜辺で軽やかに足を運ぶのを見ていればそう思えて。


ただ、そうしていれば彼女は少し寂しげに静かに俯く。

「ん、どした?」

「えっと、その、今日の月って満月、なんでしょうか?」

「えーっと、どうだっけ……」

流石に彼も月齢までは記憶しておらず、端末を開いて確認してみれば五日後との事だ。

「残念!今日は満月じゃねえみたいだ」

「そう、ですか……」

彼の答えを聞けば少し残念そうにして。

「嬢ちゃん、お月様が好きなのか?」

「あ、えっと、ツクヨミノミコト様の月はとても好きですよ。けどその……」

儚げに空を見つめる。今はまだ月の昇らぬ淡き青い空に、遠い記憶に目を向けて。

「誰かと、満月の夜にここで約束をしたような気がしまして……」

きっとそれは、気がしたなんてものではないのだろう。他の記憶が失われていてもそれだけは決して失われない、そんな大切な記憶なのだろう。それは彼にとっても同じような、大切な記憶があるから。

ただ、今は届かない。その記憶にも、その約束にも。だからこそ今の彼女はとても揺らぎ、今にも消えてしまいそうに見えて。


その中で彼女はふと何かに気づいた、というよりはふと何かを思い出したように口を開く。

「えっと、聞きたい事があるのですが……」

「ん?」

「その、どうしてあの場にいた私を助けてくれたんですか?」

「え、何で……って聞かれてもなぁ……」

その問いかけに稲本は少し答えに悩み、詰まりながらも微笑んで、にこやかに答える。

「そりゃまぁ……あんな危ねえとこに女の子一人いたら、助けるのは当たり前だろ?」

「怪しいとは……思わなかったんですか?」

「そういうのは助けた後に考えりゃよかったしな」

「でも、その……当たり前、でしょうか……」

それに対しては変わらず、青年は笑顔を向けたままで。

「マスターブロウダーもいたし……ほら、大人が子供を守るのは多分昔からずっとそうだろ?」

少女は理解できない、というよりは少し驚いた様な表情を見せ、それでも納得したように小さく頷き。

「私は……その、ずっと籠っていたのもあったので、よくわかりませんけど……とても、強い人なんだなって、思います」

彼が笑顔を向けるように、少女も年頃の少女らしく小さくはにかんだ。


それに対して彼は少し照れ臭そうにしながら、けれど目を伏せて。

「俺は強くなんかねえさ。マスターブロウダーにはボッコボコにされちまったし、皆が来てくれたからどうにかなっただけだしな」

彼自身、あの状況で死者は出さずとも重傷者を出したことを悔いていた。仲間であった彼らも救えず、少女さえも危険に晒し己の弱さを改めて思い知って。何より、あの場で一番誰よりも心を強く持っていた彼女を知っているから。

「それこそあの状況で悲鳴一つ上げなかった君の方が十分強いよ」

彼は笑いかける。そんな彼女を称賛するように、記憶はなくともきっと前から強い子だったのだと。

「悲鳴を……どうしてでしょうか。けどその、なぜか安心感もありましたし、それにマスターブロウダー……あの人はその、わかりませんけど、知っているようなそんな気もして……」

「どちらにせよ、よく我慢したってもんよ」

様々な要素があの時の彼女の心を支えていたのだろう。それこそあのマスターブロウダーという少女に似た誰かと彼女も面識があって。

それでも稲本からすればあの戦いを悲鳴の一つも無く乗り越えた彼女に、関心さえも抱いていた。


ただやはりというか、今の彼女には心の拠り所が少ないからか、その寂しげな表情は消えることなく。彼もそれには気づいていて、けれど自分は彼女の拠り所になどなれるような人間ではないと分かっていたから声をかけられず。

「……あの、えっと」

けれどその沈黙を打ち開くように、少女は小さく口を開く。

「ん?」

少女は少し俯いたまま、不安げな表情を残したままそのまま言葉を紡いで。

「記憶も何もないのですが、私と約束してくれませんか……?」

「約束……か」

彼はそれを聞き、少し憂いたように俯いて。それでも気付かれぬようにすぐにそんな顔も拭い、ニッと笑顔を浮かべて。

「ああ、俺で良ければいいぜ」

その答えを聞けば彼女も少し安堵したように言葉を続ける。

「もし記憶が戻っても、満月の夜にここに連れてきてくれませんか?」

約束。きっとそれは彼女の唯一の心の拠り所で、彼女の中でも揺らぎ始めているそれを確かな物にする為。

そして、かつて約束に救われた彼だからこそどれ程掛け替えのない、大切な物だと分かっていたから。

「なんだいなんだい、そんなことならお安い御用さ。別に記憶が戻っても、戻ってなくても何回でも連れてきてやるよ」

答える。たとえ己が誰かの代わりでも、どんな結末を迎えようと、そんな事は些事だと言わんばかりに優しく。

「ありがとう、ございます」

彼女もその答えを聞いて儚げに、今にも消え入りそうにはにかんだ。


ただそんな言葉だけじゃ契りもすぐに消えてしまいそうだったから、彼は笑顔と共に小指を差し出す。

「じゃあ、指切りだ」

それを見て少女も真似するように指を差し出せば、彼がすかさず指と指を重ねて。

「ゆーびきーりげーんまーん嘘ついたら針千本のーます」

馴染みのあるフレーズとともに彼が指を動かす。それは約束を交わす時のおまじない。

「指切った……っと!よし、これで約束完了!記憶が戻っても、ちゃんとここに連れてきてやるからな」

そして同時に、決して約束を違えぬという彼の誓いをその歌に乗せて。

少女もその歌は知らずとも、約束が確かな形となった気もして。

「針千本も用意はできませんけど……はい」

嬉しそうに、小さく微笑む。

その青紫色の瞳には、彼の姿に重ねる様に安堵を宿す。


きっと今はこれでいい。

まだ一つしかないかもしれないけれど、この約束は彼女の今を繋いでくれるから。

「さ、遅くなったら支部長やみんなにも心配かけるからな。そろそろ帰ろうか」

「はい……!」

二人は立ち上がってその場所を後にする。


砂浜に付けた足跡が波に流され消える様に、形ある物は時の移ろいと共に変わりゆく。


けれど二人が交わしたそれは決して変わる事はない。それは月が夜空に昇る様に、月が夜闇を照らし続ける様に。


確かに結ばれた一つの"約束"。

神宿るこの地で紡がれた物語の大切な一幕、そして彼女の記憶を彩る一ページ。



これはまだ彼らにとっての始まり。

けれど同時、彼女らにとっての終わりも、確かに近づいていた。



————満月が昇るその日まで、あと五日。


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