最終話 満月の空の下



刹那、という言葉が何よりも似つかわしいその光景。


白き刃が、闇を斬る。

数多の願いが形となって、偽神の核は確かに叩き斬られた。


稲本作一はその光景を、色が戻る両眼にしかと焼き付けた。


同時、時間切れを認識する。

今まで脳の手前で止められていた痛みが走り出す。

骨が、筋が、内臓が悲鳴を上げる。

全身という全身に痛みは駆け巡り、意識を手放す以外に逃れる術はない。

それでも彼は最後の力で刀を一つ創造し、突き立て支えるようにしながら地へと降り立った。


そして見上げれば、神話庭園の身が緩やかながらも再生していく様。

結の身体を中心に、切り口が縫われるように塞がれていく。

「葦草にしてはやるようだガ……残念だったな、お前の剣では我を殺セぬ」

どこか落ち着いて、というよりも安堵した声音。

神話庭園自身も薄々勘付いていたのだ。もしこの場があのときと同じであったならば、もし彼があの剣の担い手であったならば————


「安心しな」


右手に、先までの刀とは違う一振りの剣。


それを、偽神が見紛うわけがなかった。

己をかつて追い詰めたその刃を。

あの男の、得物を。


「今から、思う存分殺してやるよ」


即応。

残る首の一つを這わせて一気に迫る。

彼も大口開いたのを見ればその脚に力を込めんとした。


されどもう、力は入らない。

故に、目の前の大口開いたそれをただ眺めるだけ。


「残念だったなぁ、あと少しだったというのに」


嘲笑と絶望が迫る。

抗うことも、逃げることも能わず。


その運命を受け入れるかのように、牙が突き立てられるその瞬間まで、彼は微動だにしなかった。




ニタリと、口元を歪める。


ああ、まさか、ここまで上手くいくとは思わなかった。あまりのことに、つい笑みが溢れてしまった。


この戦いを終わらせることが出来るのはヒノカグツチノツルギ、ただ一つ。

それがなければ神を殺すことも、少女を救うこともできず、何もかも元通り。

担い手ごと喰らって仕舞えばもう、結末はただ一つだ。






————だから、こうなるように仕組んだ。







全ての意識が"俺に"向かうように。


俺というただの人間が脅威と思えるように。

俺を殺せば全てが終わると、誤認するように。


所詮、俺の創造は俺の知るものしか作れない。

ましてや神話の武器など、再現できるはずもない。



だが、それでも、ガワだけなら幾らでも模倣できる。

それが剣なら、尚のこと。


無論振えばバレてしまっただろうが、命の危機に瀕したお前にそこまでの判別はできなかっただろう。


大嘘つきの大博打。

大根役者でも、ここまでやれれば十分だ。


ただ一瞬、ほんの一瞬こちらに奴の意識を向けられれば良かった。

ただそれだけのために、今の今までを積み重ねた。



ほんの僅かでも、少しでも隙を作れば彼女らが繋いでくれると信じていたから。


「知ってるか神話庭園?切り札ってのはな……」


だから俺は、とびっきりの笑みを浮かべて。


「ここぞってときに切るから……切り札って言うんだよ……!!」


全てのチップを、彼女らに賭けた。





窓が割れ、吹きさらしになった宴会場に麻雛罌粟は一人立つ。


右手に握るそれを、重いと感じる。

金属の塊なのだから当たり前といえば当たり前だ。


だが、その重みは剣の重みだけではない。


それは数多の願い、そして幾星霜もの時を超えて紡がれた約束の重み。


傷だらけの身体ではそれを手にしているだけで精一杯だ。

そしてその重みがあるから、それを支えに立っていられる。


彼女の両目に映るは、何一つ疑うことなく彼目掛け牙を向けるその様。

こちらには目もくれず、守る気の一つも見せない。


ならば、すべきことはただ一つ。


「これなる剣はヒノカグツチノツルギ。生まれ落ちたその時に、母神を殺し父神に殺されし孤独の焔神を名に冠する刀剣なり」


狙うべきその場所を見定める。


「これなる船はミカボシ。日ノ本において唯なる悪神。まつろわぬ者を導きし孤独にして反逆の神を名にやつし鐵船てっせんなり」


構える。剣は扱い慣れてないが、この距離で投げて当てるのなら慣れている。


「二つを振るうはただの鬼。人の想いを繋げる私は今————、」


故に、大きく振りかぶって————


「孤独の神すら繋げ、巨悪を斬り祓わん————!!」


その剛腕で解き放つ。



————だいぶ待たせて、悪かったね。



刃は皆の想いを、彼女の願いを乗せて。



————でも、安心してくれ。



真っ直ぐとブレることなく。



「あ————ガッ!?」

「アンタの忘れ形見は、アタシたちがちゃんと面倒見るからさ」


結の身体ごと、偽神の核を貫いた。



————そして、火が灯る。

「まサか……そんな馬鹿ナ……!!」

優しく、暖かに、されど確実に偽神の身体を焼いていく。その炎を起点に、ボロボロと炭のように巨躯が崩れる。

対して刃の突き刺さった結の体からは黒き痣が剥がれ落ちて、傷という傷が塞がっていく。


ヒノカグツチ、それは産まれしその時にイザナミを殺した火の神の名。

即ち、それの名を冠し剣が為すは神殺し。

同時、火は厄を払う。彼女に巣喰いし呪いを、偽神の侵蝕をその内から祓い退ける。


かつての彼の苦渋の決断も、待ち続けた数千年の時間も、命を賭した現在も、今この一瞬のため。

一つ一つはか細くとも、全てを結集めたそれは確かな刃となりて。

「これがヒトの願いの……想いの力です、神話庭園!!」

悲しみの連鎖は、断ち切られた。




そのまま、偽神の縛りから解かれた身体が落ちる。

「結!!」

青年は駆ける。身体に穴が空いていようと、体躯を支える殆どが機能をなしていなかろうと。

「まだ……ダ……我は不滅だ……!そいつさえ取り戻せば……取り戻せバ……!」

神話庭園も残りし首と身体を這わせて彼女へと首を伸ばす。

彼らから見れば、どちらが早く少女を手にするか。


だがそれは、彼らから見た話。


はたから見ればもう—————、


「ヨモツヒラサカにかみどまりいましますヨモツカミガミ、イザナミノオオミカミの命を以て————」


決着はついていた。





あの日、約束を交わした。


とてもとても、何よりも大切な約束。


数千年が経っても、一度たりとも記憶から褪せることは無かった。


どれほどの時が過ぎようとも、この願いが消える事はなかった。


繋がりを捨て、秘密を抱えながら生きようと、何一つ苦しいことはなかった。



ただ、貴方に会いたい。

ただ、貴方と同じ月を見たい。



ただそれだけのために、ここまで来たのだ。



だから————





————一閃。

着地より早く、引き抜かれたその刃が再び神話庭園の核を薙ぐ。

「お前ハ……!?」

「このときを、待っていたのよ」

血のように赤い長髪がなびく。それはさながら炎のように、剣に呼応するように揺らめいて。


「奥の手は、最後まで取っておくから奥の手なのよ。神話庭園」


焔が、影を裂く。

斬り裂いたその断面から、火が噴き上がる。

「嘘ダ……ウソダウソダ……!!ワレガ、カミナル我ガ葦草ゴトキニ……!?」

黒き蛇がどれだけ身をよじろうともその火は消えず、もはやその巨躯を火種として轟々と燃え盛る。

そして、彼らを包む闇にヒビが入る。

亀裂から白き光が差し込む。

「ソイツを……返セェェェェ!!」

終わりが迫ることを察した、神話庭園の最後の足掻き。

崩れかけの身体で大口を開いて、白き少女を喰らわんとして————


「命は誰のものでも、ましてやあなたのものじゃない」


それも、光の盾に阻まれる。


「大人しく、死んでなさい」


弾丸、撃ち貫く。


願いを喰らいしソレの最期の願いは届くことなく。


「終わりです。貴方も、一連の悲劇も」


「テメェの負けだ。クソッタレ」


プツンと、糸が切れたようにその動きが止まった。


「アァ……ソンナ……マダシニタくない……」


ボロボロと崩れ落ちる。燃え尽きた炭のように、白き光に照らされながら。


「マダ————」


ただただ無情に、穏やかに呆気なくそれは終わりを迎える。

偽りの輪廻は、所詮偽りでしかなかった。

彼らは何を発するもなく、数多の願いを喰らいし神の終焉を静かに見届ける。

哀れみと、それに喰われた人々の魂が安らかに眠るようにと願いを込めながら。



ただ、彼だけは目も向けずそのまま地を駆ける。

目を向けるは今も重力に引かれる少女。落ちてしまっては流石にいたたまれないと、痛みを堪えて彼は跳躍し。

「っと!」

少女を両腕で抱えて、そのまま緩やかに地へと降り立つ。


どこかよろめきながらも、少女に血の一つもつけることなく彼は無事に着地した。



そうして、稲本の腕の中で少女が静かに目を開ける。

「おはよう、結」

彼が笑いかければ、少女はどこか不思議そうに彼の顔を見て。

「あの、稲本さん」

「ん?」

「……夜ですよ?」

それには彼も力が抜けたようにガクリと。

けれど少女は笑って力強く空高く指を指す。

「だってほら、見てください」

その方角に目を向ければ、彼は思わず笑ってしまう。

彼女らも同じようにそちらを見れば、思わず笑みを溢す。


戦いの終わりに気を取られて気づいていなかった。彼らの真上、夜空の中心に。



「あんなに綺麗なお月様が、昇ってるんですから」



澄み渡る夜空に浮かぶ、大きな満月。

優しき月明かりが彼らを照らす。



そして今この瞬間、誰にも知られぬ一つの神話が、静かに終わりを迎えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る