第24話 三日月




『お前はその剣で、何を斬る?』




————声。

聞き慣れぬ、それでいて誰よりも聞き慣れた声。なにも見えない暗闇の中で、ただ一つ俺が認識できる感覚。

『殺さぬと、殺させぬと誓ったその剣で、お前は何を断つ』

重ねられる問い。

その言葉に自分の手を見ればその手は真っ赤に濡れていて、俺がどれだけの過ちを重ねてきたかをまじまじと見せつけられる。


お前の剣は所詮殺すために在るのだと。

その刃は他者を傷つけるためにしかないのだと、そう思いだせと言わんばかりにはっきりと俺の目に映る。



————けど、今はそれでいい。



「このクソみてぇな因縁と、あのクソ野郎をぶった斬る」

俺の剣は殺す為に研ぎ澄まされた剣だ。それはきっとこれまでも、これからも変わることはない。

それでも、それだけが俺の剣じゃない。

「そんでもって仲間たちと……結との約束を守る。それ以上の答えが必要か?」

俺は守る。この手で、この剣で。

たとえなまくらだと、純度が低いと言われようと、俺は俺の信じるもののために剣を振るうとあの人と約束したのだから。


『そうか……。なら、ハメは外しすぎるなよ?』

彼はどこか嬉しそうに答える。そして一歩前に、俺の前に姿を現す。

そして俺の姿をした彼が、俺に一振りの刀を握らせる。

手に付いた赤なんて振り払うほどに、白く輝く一刀。

『思う存分ぶった斬ってこい、稲本作一』

「おうさ。派手にやってきてやるよ」

笑みで送られ、笑みで返す。

そうして視界が次第に白け、開けていく。


感覚という感覚が研ぎ澄まされて、雑念という雑念が消え去っていく。


俺の意識は現へと戻る。


ただ一つの願いをこの手に。

それを為す刃と意志を、しっかりと握りしめて————





音もなく元からそうであったかのように、重力に引かれるように首が静かに落ちていく。

「きさ……マ……!?」

だがそれは、異常そのもの。先までの斬撃とは何かが違うと知らしめるには十分だった。


「っ……!」

彼目掛け振るわれる長尾。

空中で回避は不能。斬り落としたとしても慣性で飛来するその質量物を受け止めれば死は免れない。

ならばと彼はその刃を投射。迫る尾に突き刺して————

「っ……らァッ!!」

衝突するその瞬間、突き刺した剣の柄を足場にして、右足に力を込めて一気に飛び上がる。

そしてそのまま左足でその体躯を蹴り上がって。


再創造。斬線、闇を断つ。

「こ……ノ……!?」

尾が落ちる光景で偽神は確信した。先までと違うのは斬撃のみならず。ただの葦草と思っていたはずの彼の気配が、明らかに変わった。

ヒトのそれよりももっと鋭い、それでいて殺意のない存在。

斬ることが、戦うことが当たり前だと言わんばかりのその様は、形容するならば刃そのもの。


「なンだ……貴様は……!?」

得体の知れぬそれに、えも言われぬ不気味さを抱いて、大口開いて宙に浮いた彼を喰らわんとする。

彼はそれを見て物怖じすることも、表情も変えることもなく。

「テメェの言う、葦草風情の一つだよ」

砲弾、着弾。

エネルギーは即座に熱波となり、大口開いた偽神の頭部を弾いて仰け反らせる。

彼は即座に黒衣を広げ、帆としてその風を受けて地へと加速。


着地と同時、骨が軋んだような気がしたが今は些事。

「流石に抜かりねえか」

彼目掛け飛びかかる三体の黒影。人の形を成してないものもあるが、それでも彼を殺すには十分なほどに形は整っている。

即応、右手に剣。左手に拳銃グロックを握り対応しようとした。


それより早く火線が頭部を貫き、刃がその影を裂く。先を読んで彼を守りしは厄災の主たる彼女。

「稲本、時間は」

端的に彼女は問う。彼女自身も彼の様子が異なると、時間制限があると勘付いたから。

「二分だ。それまでに、奴の核をぶった斬る」

彼もまた最低限の言の葉で彼女に伝える。それを理解して、両の手の武器を構えて。

「なら、雑魚と支援は私に任せろ」

その答えに彼は頷く。

そしてそのまま、再度地を蹴り一気に駆け出す。




————彼の目に、色は映らない。


その目で捉えるのは輪郭と殺気のみ。

思考も最低限。その脳は敵を斬るためだけに目の前の情報を処理する。


彼は今、一つの理由以外を切り捨てた極致に在る。


ただ戦うため。

ただ殺すため。

それだけに特化した無我の境地。

全てが戦闘のために最適化された彼が、己を顧みることはない。


故に、その一歩————



「捉えた」

「ッ……!?」

玉兎が如く跳ね、即座にその距離を詰める。

縮地を想起させるその速さに、神話庭園も動揺をあらわにする。

だが、それでも狡猾な蛇は未だ狩る側であることに変わらず。

「愚かナ!!」

彼の進む直線上、大口開いて迫り構える。

相対速度は時速100km/hを遥かに超えた速度で迫るそれを見て、彼は足の親指に力を込めて。


————衝突。

鱗が刃を舐める。肩口から一寸にも満たない距離を巨体が後方へと過ぎ去っていく。

刹那にも満たぬ間での判断と反応。咄嗟の横跳びで回避。

紙一重。回避と接近、攻防一体の動き。

死が形となって迫る中でも、彼が臆することは一切ない。

むしろ今がその好機と彼はそのまま一気に跳躍。


飛び出したその先は、拓けた大空。

眼前には己を喰らわんと大口開いて待ち構える、三つの蛇頭。

「臆病に見えるぜ、神話庭園」

一手二手先に備えた守り。最低限の攻撃に防御。どちらも人間風情からすれば致命に至る一手。


ただそれは、彼らではなければの話。

「全弾、撃てェーーッ!!」

着弾、炸裂。その砲撃が一つの頭を弾いて焼き尽くす。

それと同時、迫る船体。数多の対空機関銃が火を吹いて影に無数の穴を穿つ。

それを広げんと言わんばかりに放たれる赤き矢の群れ。死の軍勢の、イザナミの巫女に付き従う彼らの反撃。

弾丸と矢の雨は蛇の頭を擦り潰し、二つ目の脅威を消し去った。


そして、三つ目。

「命中」

先読みの先読み。下方より放たれた弾丸、二発。魔眼に後押しされたそれは9mm弾とは思えぬ威力で、頭部を砕くには至らずとも大きく仰け反らせ彼の道を開く。



その全てを信じていた。故に、迷わず。

構えるは一刀。核までの目算距離は20m。

間合いに捉えた、瞬間————



抜刀。黒き刃が、砕け散る。

「っ……!」

いいや、元より刀身が耐えられないのは織り込み済みだった。命中のその瞬間だけ刀身を伸ばせば自重を支えられずに折れるのは幾度となくその目で見てきた。


驚くべきことは、その斬線が鱗を裂いたこと。核には至らずとも、確かにその一撃が意味をなしたと言う事実。

そしてそれが—————

「年貢の納め時だ、神話庭園……!!」

終わりへの一端へと繋がった。


「ほザけ……!!」

「ぐっ……!!」

瞬間、溢れ出す黒きレネゲイドの奔流。咄嗟に戦闘服を翻して自らの身を護る。

だが力そのものは遮れず、宙に浮いた体は一気に後方へと放られる。

空中で体勢を整え、着地点に目を向ける。


「っ————」

頭に走る、ノイズ。

いや、これは痛みだ。

全身という全身からその信号は発され続けていた。

それもそのはず、今の俺は火事場の馬鹿力で常に動いていた。いくらオーヴァードだろうともあれだけの動きをすれば骨は軋み、筋は千切れていく。


ただ、今の今まで脳に届く前に遮断していただけ。

それを認識し始めたということは、終わりが近い。

残された時間は少ない。

だから、せめて着地は無駄なく————


「稲本さん!!」

後方、声。聞こえた瞬間は驚いたが、即座に体勢を変えて。

「着地、任せた……!」

「はい!!」

衝突。地ではなく、暖かな力との。

衝撃は走るが、地にそのまま足をつけるよりも遥かに身体への負担は抑えられて。

「助かった、七海光」

「これくらい……!」

小さく笑みを浮かべ、満身創痍の二人が並んでいた。


「さて、それで、ここからどうする?」

聞こえてくるのは、こんな状況でも落ち着いた彼女の声。

淡々と、されどその声音には確かに信頼が表れている。

故に彼は、ただ一言。

「虚を突いて、真正面からぶった斬る」

「え、それって……?」

「なるほど、そうきたかい!!アンタらしいじゃないか!!」

七海は少し混乱して、麻雛罌粟は豪快に笑う。そして黒瀬は理解して小さく笑みを浮かべて。

「了解した、コマンダー」

最後の弾倉マガジンを装填した。


「みんな、悪いが残り一分ほど付き合ってもらうぞ」

「ええ。命令とあらば」

「応さ!!派手にかますよ!!」

「はい!守りは任せてください……!」

皆の視線が一点に集まる。

ただ一つの願いのために。約束のために。


そして一気に駆け出す。

迷いなく、躊躇うこともなく、最後の死地へとその身を投じた。





その様に、黒き偽神にはかつての光景が蘇る。


己が初めて、恐怖を覚えたあのとき。

数千年も昔、あの白髪の剣士と対峙した時。


相手取ったのは、ただの葦草のはずだった。

いつも通り願いを喰らうだけの、餌同然の存在のはずだった。


だが、彼は違った。


類稀なる剣戟を以てして、人の身でありながら神を追い詰めた。

火の神の剣を持って、初めてその存在に死を自覚させた。



目の前の剣士が、その彼に重なる。



「この……この葦草ガぁ!!」

「そいつは、もう見た」


幾らその願いごと喰らわんと大口を開こうと、幾らこの力で意志ごと消し去らんとしても、彼らが止まることはない。その刃が、幾度となく命を掠める。


ならば、仲間を狙えばいい。

あの男が娘を盾にされて戦えなくなったように、仲間が窮地に陥ればその足取りにも揺らぐはず。


そんな思考と共に狙いを変える。

「悪いがもう、その程度じゃ止まらないよ……神話庭園!!」

「もうあなたには何も奪わせない……!!」

それが無駄だと、そんな事で彼らの歩みが止まらないとは思いも至らず。

「クソ……クソ……クソォォォ!!」

「残り、二つ……!!」

闇を裂く斬線に、再び首が落ちる。


無尽蔵に近かったはずの力も、いつの間にかその身の再生に殆どを費やされた。


「さて、これで打ち止めね……」


撃ち抜く弾丸。

この程度なら止められた。少なくとも数分前なら、傷一つ負わずに耐えられただろう。

なのに今は、この弾丸さえ受けきれず。八つあったはずの頭はもう一つしかない。

あまつさえ、ついでと言わんばかりに繰り出されたナイフが残された一つ突き刺さり。


「終わりにしてやるよ、神話庭園」


鴉が、迫る。

黒き刃を、明確な終わりをその手に。

「ほざケ……こノ葦草がァァァァ!!」

死を間際にして、足掻きに足掻く。素早い動きで、まさしく蛇が如くうねり彼を喰らわんとする。

牙を下ろして、その尾で払って。


その全てを、彼は死に物狂いで避け続ける。命を糧に、無駄のない最低限の動きで一つ一つ詰めていく。


残り数秒。細くも確かなその糸を手繰り寄せるために、一歩力強く踏み込む。

そして蛇も真正面から喰らわんと、大口を開いた。


「そうそう、神話庭園。一つ教えてあげる」


————瞬間、炸裂。


「なッ……!?」

「そのナイフ、爆発するのよ」


偽神にとっては小さな爆発。されど一瞬、確実に神話庭園の視界を奪った。


それでも止まらず、目の前の黒き小さな影に迷うことなく喰らい付いた。



が、何もない。

正確には噛み応えのない、布切れ一枚のみ。

コンマ数秒前まで確かに、彼はそこにいたはずだった。仕留めたと、そう確信していた。


なのに、己が口の中に彼の体はない。地を見下ろしても、彼の姿はない。


まさかと空を見上げた、その瞬間————









————納刀リロード



コンマ零数秒の、瞬くよりも僅かな時間。

大空へと跳躍。遮るものは一つとしてなく、光なき闇夜に鴉が一羽。



その目が見据えるは、偽神の核たるその一点。

その手に握るは、全てを断ち切る一刀。

距離にして30メートル。


それは、彼の間合い。


神話庭園も気づいた。彼が何をしようとしているのか。何を為さんとしているのか。

そして、それを覆すだけの時間が残されていないことにも。

「ヤメろ、ヤめロ……ヤメロォォォォォ!!」

己が運命に抗おうと咆哮、上げる。力の本流が空に散る。

だが、それは意味を成さず。

大空を羽ばたく鴉に、その声は届くことはなく。


この場にいる誰もがその全てを出し尽くして手繰り寄せた未来が、その手にある。


それを今、確かなものへとするために。

交わした約束を今、果たさん為に。


「クルナァァァァァ!!」


偽神が再び白き少女を盾にしようと、彼は迷うことも止まることもなく、強くその太刀を握りしめて————






「一之太刀————」





————剣閃、空を斬る。




白き刃が、闇を断つ。




光なきこの空に差した弓形ゆみなりの光。それはさながら、夜空に浮かぶ月が如く。




そして光が過ぎ去り、白き髪のみがはらりと散る。



「馬鹿ナ……!?」

「同じ手は、二度も食わねえよ」


少女に傷は一つとなく、彼が一刃の下に斬り伏せたのは背後の黒き影のみ。


彼が振るうは、守るための剣。


大切な人たちを、交わした約束を。

そして紡いで紡がれてきた、数多の願いを守るための一振り。



そしてその天の剣は、全てを断ち切った。



長きに渡る因縁を。



数千年生き永らえた、神さえも。



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