最終話 ファンタジーの幻影
堺は「片付け屋」の傍ら、再び古巣の高校で教鞭に立ち、“偽装” の日常に戻っていた。いじめの加害者がろくなことにならない校舎の空気は、実に風通しの良いものになってしまった。そうなれば、堺には魅力がなくなり、最近では荒れた高校への転勤すら考えるようになっていた。尤も、いじめは厳罰化され、即、心身症扱いの措置入院の対象となったため、学校制度そのもの自体が大きな変化を遂げていた。さらに問題が起こった学校は、すぐに行政指導の対象となり、教師や関連団体にとっては災難の年が始まった。その一方で私塾が増え、良質の教育が徐々に増加し、生徒らには選択肢が増え、看板に偽りある業者は淘汰されて行った。
それにしても、岡本朔太郎が自分をスカウトに来た本意が分かり、この数年、生きた心地のする体験をしたものである。いじめ抹殺のスケールが違っていた。
大ボスの米国がいて、北朝鮮を扱けば面白いように日本を餌食にしようと圧力を掛ける。その後ろには日本の忖度で軍事大国に成り上がった支那が虎視眈々と漁夫の利を狙っていた。それらの危機から逃れようと、日本はフェイクの同盟国である米国に揉み手して縋り付き、喝上げ同然に金を巻き上げられていた。政府は国民にその不様を隠蔽してお花畑を演出するのが常だった。
あの大東亜の東京裁判以降、バカ真面目なお行儀のよい国民性を助長させ続けられている現実はうら哀しいものがあった。お行儀のよい日本人は、自分が被害に遭わなければ他人のことには無関心に過ごせる善人を満喫していた。なにしろGHQ下の憲法前文は、国民は日本国のために戦うなと唱っていた。そのために平和と血は真反対にあるものとして虫のいい大きな勘違いをしていた。
日本という国は、国民を無防備に放置したままの建前国家であった。痛々しい傷口を空っ風に晒されたままだったが 『諸国民の公正と信義』 の正体が姿を現し、日本国民は初めて危機と背中合わせの “国家たりえない国家” のもとに放置され続け、世界的にも有り得ないファンタジーの国で暮らしていたことに気付いて、さぞゾッとしたことだろう。しかし、我々日本人はそのファンタジーの国で戦後75年間確かに生きて来たのである。これは奇跡としか言いようがない。
堺父娘にとっては、この先もとっくに見えているかも知れないが、このファンタジーの領土だった日本で、これからも変わらず超能力を以って片付け屋稼業を満喫するとすれば羨ましい限りである。
その堺父娘は今、スカイツリーから東京の全貌を眺めていた。その風景は美しく、どこまでも洗練された都市の息吹が広がっているかに見えたが、堺父娘の目に映っている風景はそうではなかった。
果たしてここに、かつてファンタジーの国があったのか…堺父娘の目には、全てが粉塵に包まれた廃墟が広がって見えている。遠くには電波塔と思しき突起物が唯一その姿を晒し、あったかもしれないファンタジーの幻影を残しているだけであった。
〔 完 〕
ファンタジーの国 伊東へいざん @Heizan
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