第17話 14歳未満
『片付け屋』の業務も落ち着き、岩田の逮捕からも早半年が経過した。スタッフが久し振りに一堂に会してお花見がてらのひとときを過ごしていた。社長の岡本朔太郎、元解体屋の発破技士・漆原武雄、超能力の持ち主・堺光太、同じく芦川梨乃と野崎一夫の五人全員が揃っていた。
岩田嫌いの漆原は解体屋に勤めていた頃、岩田には随分と痛い目に遭っている。漆原はかつて勤務していた解体屋の爆破工事の際、暴力団『くまげら会』が関与している物件だったということで事情聴取を受けたが一切黙秘を通した。『くまげら会』とは、『無縁照会』の藤原来道が幹部だった暴力団である。岩田は漆原の家族に圧力を掛けるなど、執拗に付き纏っていた。見兼ねた岡本が間に入り、漆原を捜査対象から外した。漆原はその後も何かと岩田に付き纏われていたため、岡本が『片付け屋』を興すと同時に漆原を拾ったという経緯がある。漆原は『くまげら会』との関わりは一切なく、岩田の勝手な妄想の代物だ。
岩田にとって、日和の一件もそうだが漆原に関しても、岡本が気に入らない対象であった。
「彼はそろそろ出て来る頃ですね」
「どうしてですか! 奥さんに傷害を負わせただけじゃない、半グレ連中に奥さんを襲わせてるじゃないですか!」
「強制性交等罪教唆の証拠はない。妻への傷害も記憶になければ、場合によっては不起訴になる可能性もある」
「…あのやろう」
「漆原さん…彼は我々の前には二度と現れませんよ」
「そんな保証がどこにあるんですか、岩田ですよ! あいつは執拗なやつだ」
「私には未来が見えるんです」
「私にも」
「ボクにも」
芦川と野崎が口を揃えた。漆原も彼らの超能力は承知の上だが、岩田に対する警戒心はその信頼の息を越えていた。
「何かするつもりなのか?」
「いえ、岩田さんの運命ですよ。彼の未来がそう出来ているんです」
「漆原さん、岩田のことはもういいだろう。この会社はいじめを潰すのが目的だ」
漆原は冷静を取り戻そうと深呼吸して黙るしかなかった。
「そうでした。今日はいじめに関する法的なお浚いの日でしたね」
「今日は被害者と加害者の双方に付く弁護士らについて確認しておこう」
弁護士が付けば依頼者の言い分はまず内容証明で伝えることが通常である。それは加害者被害者は関係ない。相手の保護者に証拠を添えて内容証明を送ることでいじめが収束する効果があり、一般的に有効な手段と考えられている。しかし、内容証明でも止まらない場合、民事裁判に進む。
そこで最も重要となるのがいじめの証拠である。加害行為と損害との間に因果関係(相当因果関係)が認められれば損害を賠償する責任があると判断される。つまり、加害者側が被害者の自殺を予見できたといえるならば相当因果関係があると判断されるが、そうでなければ相当因果関係は認められない。裁判例では、自殺の因果関係を証明するのは難しく、判決で否定される場合が比較的多い。それが現実である。
そして最も困難な壁は証拠の提示である。弁護士は証拠集めはしない。依頼者側自身が弁護士に証拠を提供しなければならない。それによって弁護士は法的面で動くのだ。
証拠集めとして学校内での録音や録画は原則として同意がなくても違法性は問われないため有効である。自力での証拠集めが困難だが、予算があるならその世界のプロに依頼する方法もある。また、最近は “いじめ保険” なるものも出始めたようだ。弁護士への委任費用は最大7割が補償され、相談料は全額補償される商品もあるので需要は増えるかもしれない。
いじめに対する慰謝料請求は三年で時効になる。犯罪のリスクに期間を設けるのは、やはり加害者側に有利に働く。とにかくその間に加害者に刑事罰を与えたいなら、被害届の提出と告訴という手段しかない。しかし、学校内での問題は警察が介入を渋る。告訴も受理される可能性が極めて低い。
“運良く” 告訴が受理され、いじめの暴力に暴行罪が適用され、その暴行による怪我が傷害罪となったとしよう。精神的苦痛を受け、何らかの精神障害に至ったことが証明されれば、それもまた傷害罪となる。金銭を要求された場合は恐喝罪も加わる。
いじめでの死亡が証明されたとしよう。その場合に請求できるのは慰謝料、逸失利益、葬儀費用等である。集団でのいじめを「共同不法行為」と呼び、「不真正連帯債務」を負わせる。原則としていじめの集団ひとりひとりが同額の賠償責任となる。
損害賠償請求は可能だが、いじめ行為の加害者が14歳未満の場合、刑事責任を追及することは難しい。原則として児童相談所に送られ、そこに通って心理分析などで更生教育が施される…という効果の立証が不確実な指導が成されるだけだ。
いじめが極めて残忍であり、被害者が死をもってしか逃れられない状況まで追い詰められ、ついには自殺し、被害者家族が終生の苦しみを背負ったとしても、加害者を厳しく罰する法律はない。
ただ、民法714条では、責任能力がない加害者生徒の親が監督義務者として被害者に対して損害賠償責任を負わなければならないことになっている。その場合、親が損害賠償責任を免れるためには監督義務を果たしていたことを立証しなければならないが、その免責はかなり難しい。
一方、加害者生徒に法的責任能力が認められた場合、民法714条の適用はなくなるが、親に損害賠償責任を求める場合、その因果関係を立証しなければならないので、請求の壁はさらに厚くなる。
「表だって被害者家族の前に立ちはだかるのは加害者側弁護士だ。加害者側弁護士こそが悪の権化に見えるだろうね」
「忘れてならないのは、その陰に隠れて保身の鎧を纏っている連中だよ。一見は被害者側の味方を装っているが、本音は加害者に勝訴を望んでいるんだ。そのほうが保身が確固たるものになるからね」
「学校…ですか」
「そう…学校は信用できない。それを一番先に気付くのが被害者生徒だ。しかしその家族は学校こそが唯一の救いの神だと信じ続ける。それがそうではなかったと気付く時には、多くの場合、我が子の死の抗議があってからということになる。“二度とこのようなことが起きないように” と口を揃える親たちが、学校側には実にめでたく見えているだろうね」
「今回はいじめアンケートを学校が破棄していますね」
「いじめ加害者だけでなく、教師らに取っても都合の悪い内容が書かれていたからだ。もしそれが公になった場合の保険として、 “社会への影響を考えて…” という大義名分が残され、最後にはトカゲの尻尾切で幕となる算段になっている」
今回の『片付け屋』の任務は、学校でのさばる保身教師の根絶にある。青森県西戸(にしのへ)の中1男子の自殺事件で、生徒は“いじめがなければもっと生きていたかった”という遺書を残してこの世を去った。その三か月前にいじめのアンケートを取ったにも拘らず、学校側は確認して内容に問題がなかったとして破棄したのだ。実際、学校による「いじめ隠し」は多々散見されている。アンケート破棄は最も多く、いじめの証拠を担任に預けて焼却されたり、学校に都合の悪い内容が書かれた連絡帳が捨てられたなどの隠蔽がいじめとセットになって起こっている。従って、いじめの証拠や証人を用意できるならば学校に委ねず、弁護士に依頼するのが現状では最も適切といえる。
証拠となり得るもの、例えば破損された持ち物、怪我の状態、相手からの手紙などは継続して全て写真などに記録し、学校から提出を求められた時は唯一となる証拠の現物ではなくコピーにし、渡した日時と教員の氏名は記録しておく必要がある。学校の目的はいじめの解決ではなく、保身のための隠蔽が目的であることを認識しておくことだ。弁護費用などの経費の負担が不可能であれば、その壁の先に進むことはあきらめなければならない。
「学校には油断するだろうな」
「だから、被害者から見れば、いじめ加害者の弁護士が最高の悪に見える」
「彼らが悪質極まるいじめ加害者の依頼を受けるのは金のためですからね」
「それもと、自分の能力の誇示?」
「どちらも弁護士の仕事だからだよ」
「仕事ですか…」
「我々も仕事ですよね…法の壁に苦しめられている被害者とその家族の…」
「合法的未来に選択の自由を与える仕事だ」
「勘違いしてはならないのは、生き残るべき価値のある人間を生き残すことだ。それは必ずしもいじめ被害者側ではないかもしれない。特に被害者と加害者の家族には多々原因がある。そこを見逃してはならない。だが、今回は学校に問題がある。ターゲットは、隠蔽の根回しと指示を出していた校長の佐々木健臣とアンケートやいじめの証拠品を処分し続けた担任の山内博。彼らの担当は野崎さんと芦川くんが手分けしてくれ。加害者生徒の扱いは、堺くん…君に任せる」
数週間が過ぎた。鈴木翔平くんを自殺に追い込んだ加害者生徒・田中健剛が校舎の裏にあるゴミ焼却炉の前で日没の夕日を浴びて茫然と立っていた。足下に佐々木健臣と山内博の刺殺体が転がり、鋭い刃物が握られた健剛の手はべっとりと血に染まっていた。
健剛は14歳に満たない。刑事責任を追及されることはない。児童相談所に送られ、心理分析などで更生教育が施される。何年後かには名前を変え社会復帰するだろう…そして彼の自由を拒む目は、彼が生きている限り続く。
救急車やパトカーを取り巻く野次馬の中に、堺の冷徹な視線があった。堺は憮然とその場を離れた。怒りの矛先が何か他にあるような、もっと大きなものに吸われているような、何とも落ち着かない感覚に襲われていた。
〈第18話「食事はゆっくり楽しむ」につづく〉
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