第16話 三毛猫のぬいぐるみ

 日和はお茶を入れながら懐かしそうに岩田に話し掛けた。

「岩田さんは主人と捜査を共にすることが多かったですよね」

「配属が同期だからね」

「私は随分後から一課に配属になって、その節はいろいろとご指導いただいたのにお役に立てませんでした」

 日和は岩田に入れたての紅茶を出した。

「この近くに美味しい紅茶専門店があるんです。結婚以来、二人で嵌っちゃいましてね。いつも二人分入れるんです。私もご相伴させてもらいますね」

 日和は岩田の警戒を解くために同じポットから紅茶を注いだ。

「幸せそうですね」

「はい…岩田さんのことだから、この近くにも御用があったのかしら?」

「いえ、ここにね」

「え !?」

「逗子海岸に米国産の大型四輪駆動車が突っ込んで三人の死体が発見されたんだ。日和さんはよく知ってるよね」

「職場を離れてからは新聞ぐらいしか見ないから記事にないことは分からないわ」

「あんたに深い関わりのある人たちだよ」

「私に?」

「辻坂秀司…吉本将…山名慎介」

「亡くなったのはその三人なの !?」

「殺されてね」

「…そうなの…逗子海岸だと神奈川県逗子警察署管内ですね。主人は仕事の話はしないから…岩田さんは向こうの所轄にお知り合いでもいらっしゃるんですか?」

「そういう話が聞きたいわけじゃないんだ。事件のことを詳しく聞きたいんだよ」

「そう仰られても…」

「怨恨による殺人事件だよ」

「・・・」

「あなたを強姦した三人ですよ。名前は忘れようとしても忘れられないはずだが、随分落ち着いてるね」

「起こってしまったことだもの…考えたって仕方ないわ」

「憎しみは消えないだろ。だからあなたと岡本朔太郎の手で殺したんだよ」

「岩田さんらしいわね。退職してもその後が気になりますか?」

「ああ、気になるね。瀬島邦夫・マリエル夫婦と満の三人が焼け焦げた遺体で発見されたプロパンガスの爆発事故だって、オレの中では済んじゃいないよ。逗子の件もプロパンガス爆発の件も岡本朔太郎が絡んでる」

「同期の仲間を容疑者扱い?」

「容疑者じゃない。犯人だよ」

「岩田さん…」

 玄関のチャイムが鳴った。玄関に向かった日和を後目に、岩田は岡本邸の室内を舐め回した。整頓された居間の棚にはリアルな三毛猫のぬいぐるみが置かれてあるだけのシンプルな室内だった。そこから見える裏庭の芝生には穏やかな日が射していた。

「岩田さん、見えてたんですか」

 堺光太だった。居間のリアルな三毛猫の目からは『片付け屋』に繋がる画像が送られていた。緊急の時は、そのスイッチを入れられるようになっていた。これも事件後PTSDで苦しむ日和の恐怖を少しでも和らげようとする岡本の気遣いだった。岩田の訪問に異常を察知した岡本はすぐに堺を送ったのだ。岩田は飛んだ邪魔が入ったと苦虫を噛んだ。

「丁度帰るところだったんだ…暫く会ってなかったもんで、どうしてるかと思ってね。また来さしてもらうよ」

 堺は、静かに凄む岩田を無視して口を挟んだ。

「偶然過ぎますよ。岩田さんの故郷に私の大学時代の友達がいるんです」

日和が紅茶を入れる間、堺は岩田の故郷の話で場を繋いだ。

「彼も岩田っていうんですよね。岩田って言う苗字は多いんですか?」

「岩田何というんだ?」

「岩田昇です。もしかしてご存じですか?」

「いや、知らないね」

 知らないわけはなかった。岩田昇とは岩田の甥と同じ名前である。地元の農協で働いている。調べた情報ではなく実際に堺の大学時代の友達だった。どうせ俄かに調べた情報だろうと話の腰を折ろうとして確かめたつもりだったが、腰を折られたのは岩田のほうだった。

「岩田さんはこちらにはよく来られるんですか?」

「いや、久しぶりだね」

 嘘である。岩田は数日前から岡本夫妻の近辺を嗅ぎ回っていた。岩田にとって実に居心地の悪い時間となってソワソワし出した。堺は先手を打った。

「私はこの書類を置いたらすぐに帰りますから、ゆっくりなさっててください。ただ、用を言いつけられて来た社員恒例の、奥さんが入れてくれる紅茶を一杯いただいてからでないとね」

 タイミング良く日和が紅茶を入れて出て来た。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。これをいただけるんで用を言いつけられても断れないんですよ」

「会社の書類なら岡さんが持ち帰れば済むんじゃないのか?」

「さすが刑事さん、鋭いご指摘。でも、済まないこともあるんですよ。例えば、今日こうして突然あなたが岡本さんの留守を狙って奥さんを訪ねて来た時とかね」

「なに !?」

「あなたの仕業ですよね、柏木日和強姦事件は」

「下らん言い掛かりはよせ」

「言い掛かりなんかしませんよ、事実なんだから」


 突然、岩田は柏木日和強姦事件の日に引き込まれた。堺が隣に居た。

「おまえ、何でここに居るんだ」

「何ででしょうね」

 すると間もなく車のドアが開いて、中から逗子海岸で死んだはずの連中が現れて、こっちに向かって来た。リーダー格の辻坂秀司と吉本将、山名慎介の三名である。

「何で俺たちは死ななきゃならねえんだよ、岩田! 話、ちげえだろ!」

「オレの名前を気安く呼ぶな。オレはあんたたちなど知らん」

「おかしいですね、岩田さん。彼らはあなたが上げた星じゃありませんか」

「いちいち覚えてないな」

「辻坂秀司、連続強盗強姦殺人、吉本将、連続強盗強姦と死体遺棄、山名慎介、同じく連続強盗強姦と死体遺棄。何度も証拠不十分で無罪になった連中ですよ、あなたのお蔭でね。そして三ヶ月ほど前、あなたの指示で柏木日和さんを襲わせましたよね」

「バカなことを言わんで貰いたい」

「実にバカなことをなさったものですね、岩田さん。柏木さんは同僚じゃありませんか。意図的に捜査に巻き込んだのは、あなたの愚かな嫉妬からですよね」

「何のことだ!」

「同課に配属になった柏木さんに、あなたは一目惚れした。何度もアプローチしてみたが相手にされなかった。彼女が岡本さんに好意を寄せていることを知ったあなたは逆上して、あろうことか岡本さんにまで憎しみを抱くようになった。その倍増させた憎しみを柏木さんにぶつけたんですよね」

「おい、岩田! てめえ、下らねえことにオレらを巻き込みやがって、ただで済むと思うなよ!」

「岡本のヤロウの所為でこのざまだよ!」

「下半身不随ぐれえで何だよ、こっちは死んじまってんだよ!」

 岩田はふてぶてしく微笑んだ。

「知ってるよ、堺さん。これはあんたが作り出しているバーチャルな世界だろ。ここでどうにかしたいだろうが、何も変わらないよ。存在しない世界なんだからな。好きにすればいい。オレは現実に戻るまで何もしないで待たしてもらうよ」

「そうですか…実はこれも現実なんですけどね。では、あなたが言う現実に戻しましょう」


 岩田は元の岡本邸に引き戻された。汗びっしょりだった。日和に目をやると、彼女は額から血を流して倒れ、恐怖の目で岩田を見ていた。その横には岡本が立っていた。

「岩さん…やっちまったな。現役の刑事が陥れた元部下の家で傷害に至ってしまった。これまでのことは岩さんのために伏せたままにしておこうと思っていたが、自分で墓穴を掘ることになってしまったな」

「オレはやってない!」

「そういう言葉を吐かれたら、警察は何と応戦するんだったかな」

「・・・」

 救急車の近付く音がしてきた。

「警察は呼んでないよ。でも、救急隊員はどう対処するかね」


 岡本は日和の運ばれる救急車に同乗した。

「また病院に逆戻り…付いてない」

「傷の治療したらすぐに帰れるさ」


 日和を収拾した救急車は、晩秋の逆光を受けたパトカーと擦れ違った。


〈第17話「14歳未満」につづく〉

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