第11話 スワッティング

 スワッティング…一般には聞き慣れない言葉である。ターゲットの住所を調べて警察に嘘の通報をし、嫌がらせをする行為。更にその映像をネットに流し、快感を味わう陰湿な犯罪と言えば、“自粛警察” という空まわりの歪んだ正義の暴走を思い浮かべる人もいるだろう。警察はそれがスワッティングの是非に拘らず、出動する以外にない。身内殺害を装ったり、爆破予告などのテロ規模になれば特殊部隊を送らせることもある。

 警察はどんな匿名の通報でも無条件で信用せざるを得ない。名前を明かさない者の言うことを信用するのだ。それが嫌がらせであれば、被害者は不満の矛先のない大迷惑を蒙ったままになる。それが一回に留まらず繰り返される嫌がらせであれば、見えない加害者に殺意すら覚えるのは仕方のないことである。警察は結果的に被害者にとっては嫌がらせ犯罪の片棒を担いでいることになるが、事件に至らなければ、ほぼ “犯罪者” を突きとめて罰しようとはしない。


 特殊部隊が駆け付けると、いきなり入って来たことに腹を立てた母親はヒステリックに怒鳴り出した。特殊部隊は何かを持って近付いて来た母親を威嚇したが、構わず急接近して来るので、足下に威嚇発砲した…つもりだった。しかし、同時に母親は躓いて弾が急所に当たり、即死だった。横たわった母親の手からは化粧水の瓶が転げ落ちた。その時、息子の木村陽大は奥で夢中でゲームに興じていた。

「きみ! 怪我はないか!」

 特殊部隊員の声掛けに、陽大はまったく反応しなかった。部隊員の一人が陽大のヘッドホンを外すと、振り向いた陽大は初めて事の顛末に気付いた。しかし、陽大は親の惨状を見ても特に反応を示さなかった。

「これで丁度良かった…煩かったんで」

「きみが連絡して来たのか?」

「連絡?」

「きみが110番したんだろ?」

 警察の聴取でも全てに於いて陽大の無関心な態度は変わらなかった。110番通報したのは彼ではないということは後の声紋鑑定で判明された。特殊部隊の誤射が問われる中、事の真相を解くために110番通報の動悸について捜査されることになった。その結果、陽大一家の驚くべき過去のことがらが浮かび上がって来た。

 陽大は中学1年だった。大型量販店の屋上のゲームコーナーでひとりで遊んでいた男児に声を掛けた。

「きみ、名前は?」

「…峻」

「あ、そう…お父さん、お母さんは先に帰っちゃったよ…きみはひとりで帰れる?」

 そう言って誘い出し、父親がいつも使っているパーキングビルの屋上に連れて行った。陽大はその男児を全裸にし、殴る蹴るの暴行を加えてぐったりさせ、ポケットから出した鋏で男児の性器を切り付けた。男児は泣き叫び、防犯カメラの存在に気付いた陽大は、ビルの屋上から男児を放り投げた。男児は地面に叩き付けられ、無残な姿のまま絶命した。

 司法に護られた加害者である陽大は、その後も何不自由なく育てられた。まだ少年だというのに毎月のお小遣いは10万を越えていた。門限はなく、遅く帰っても叱られることはなかった。しかし、陽大への母親・涼音の愛情は希薄だった。彼女は取材に集まった報道記者たちに “子どものしたことで関係のない私がこんなに言われなければならないなんて迷惑なんですよね” と無責任な発言を繰り返した。犯罪を犯した陽大は、児童福祉法44条の傘下のもと児童福祉施設に保護されて暮らした。事件後、母親の涼音は地元新聞を利用して息子に非はないことを主張し続けたが、涼音の夫・兼重は一連の騒動には終始不在だった。被害者が報われないまま時が経過していたが、警察は被害者家族に捜査の手を伸ばしていた。


 息子を殺害された倉島慶・舞子夫妻は細々と暮らしていた。夫の慶は近くの印刷工場に長年勤務し、妻の舞子は峻が殺された量販店でパートをしていた。舞子にとってはそうし続けることが峻の悔しさを忘れない弔い方だった。


 警察は、夫婦をスワッティングの容疑などで一ヶ月ほど張り込んだが、涼音の死と結びつくものは何もなく、捜査を解いた。警察の車が引き上げていくのを、堺は物陰から見送っていた。


 兼重は涼音の父親が経営するビジネスホテルチェーンの経理課で働いていたが、その真面目さを買われて陽大の義父になった。ところが、涼音は元来の気性の激しさが元で結婚一年で兼重と離婚し、幼い陽大を連れて両親の元で暮らすようになった。根底には兼重の黒歴史があった。その異常な性癖の兼重が、小学校三年になった陽大の前に再び現れ、陽大はまたしても兼重の毒牙に罹ったのだ。

 陽大の犯行後の供述に、義父との一件が記録されている。“裸にされて怖かったけど、変な気持ちになった。中学生になったら誰かに同じことをしてあげようと思った”と悪びれる様子もなく語られた。


「木村兼重さん」

 帰途の兼重が振り向くと、堺が立っていた。

「陽大さんのことでお伺いしたい事があるんですが…」

「あなたは?」

 堺は“ フリージャーナリスト 奥田 茂 ”という架空名詞を渡した。兼重の表情は無機質になった。

「息子がどこで何をしているか私には分かりません」

「そうですか…実は、彼から私に連絡がありましてね」

 兼重は急に堺に警戒感を持った。その瞬間、見覚えのある情景に引き込まれた。幼い兼重は暗がりに敷かれた布団の上で裸にされて縛られていた。

「兼重…おとなしくしてなさいね」

 とっくに他界したはずの叔父が目の前に現れ、兼重の脳裏に深く抉られた何度目かの黒歴史が襲って来た。恐怖の中で次第に恍惚となり、下半身に恥辱な衝撃が走った。堺と対峙している元の世界に引き戻された。汗びっしょりの兼重は失禁していた。

「あなたは変わった趣味をお持ちだそうですね」

「…趣味」

「陽大くんは、中学生になったら同じことをしてもいいと思ったそうですね」

「私にどうしろと言うんですか…」

「陽大くんは人生を台無しにされたあなたに死んで欲しいそうです」

「あなたには関係ないでしょ」

「殺してくれと頼まれましてね」

「警察を呼びますよ!」

「わたしは何もしませんよ。陽大くんの気持ちを伝えに来ただけです。陽大くんは本気です。くれぐれも気を付けてください。では…」

 堺は去った。


 数日後、兼重の家に特殊部隊が駆け付けた。兼重は異常なまでの防衛設備を布いていた。特殊部隊は半狂乱の兼重の激しい抵抗を受け、ついには兼重の射殺に及んだ。

 陽大は宿泊している簡易ホテルのモニターでその様子を見ていた。相変わらず無表情だった。モニターを見終えると部屋を出た。廊下で堺と擦れ違いざま、過去に引き摺り込まれた。

 中学生の陽大は幼い峻を全裸にし、殴る蹴るの暴行を加えていた…そうではなかった。逆だった。いつの間にか立場が逆になり、殴る蹴るの暴行を加えられているのは自分だった。峻は子どものくせに物凄い力だった。苦痛で朦朧とした陽大の目に、峻がポケットから鋏を出すのが見えた。

「やめろ! やめてくれ!」

 陽大はこれから何をされるか知っていた。峻の鋏は陽大の予測を裏切らなかった。陽大がそうしたように、繰り返し性器を切り付けられ、痛みに泣き叫んだ。峻が叔父に見えて、あの黒歴史がまた蘇った。


 翌朝、地面に叩きられて絶命した無残な姿の陽大が、チェックアウトしたホテル客に発見された。その手には血に染まった鋏が握られ、傍に転がった血塗れの性器が、初夏の木漏れ日に揺れていた。


〈第12話「堺親子」につづく〉

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