第12話 堺父娘

 もうすぐ、夏休みという或る日、杏奈がリビングで待っていた。

「お父さんと話しをしたくて…」

 堺家は諸々不穏だった嵐が治まり、また新しい課題を迎える予感がしていた。そろそろ娘の杏奈と話さなければならない時期に来ていると思っていた。ふたりはいつものように食卓に向かい合って掛けた。妻の杏子は気を利かせて買い物に出掛けた。

「学校で、何か問題はないか?」

「平和だよ…今はね」

「…そうか」

「お父さん、学校辞めてから…どうしてるかと思って」

「前より肌に合ってるかもな」

「お父さんの “アレ” に関係あるお仕事?」

 堺は静かに頷いた。いつの頃からか、堺は岡本の会社に根を下していた。

「いじめは無くならないよね」

「杏奈の学校でまた始まったのか?」

「…怖がってる」

「怖がってる?」

「誰かをいじめると殺されるって…そんな空気が流れてる。わたしと朋子はあれ以来、何となく不気味に思われてる」

 杏奈は力なく笑った。

「いじめへの恐怖などすぐに風化するだろうな。また誰かが犠牲になる」

「でも、お父さんが何とかしてくれるんでしょ?」

「依頼があればね…今はそれが仕事だから」

「朋子もわたしと同じ大学に進学するって言ってる」

「そうか」

「いじめが怖いからって」

「いじめは1回の被害で起こるPTSD(心的外傷後ストレス障害)より、もっと複雑な障害になるんだよ。傍に信頼する人がいないと、どんどん悪化していく」

「今でも夢で見るんだって…私も…」

「夢でなくても、何かのきっかけで今起こっているように感じる場合がある。フラッシュバックっていうんだ。聞いたことあるだろ」

「治らないの?」

「そんなことはないけど…時間が掛かる」

「あいつら、無責任だよ。先生には、ふざけていただけとか、冗談のつもりだったとか…問い詰めると、いじめられるほうが悪いと言って居直るしね」

「周囲も自分に害が及ばないように感化されて、いつの間にかいじめられて当然だと思うようになったんじゃないか?」

「文句を言うと、今度は自分がいじめの対象になっちゃうからね」

「自分を正当化するために“あいつはいじめられても当然”だと思うしかないんだよ。人は劣等感をごまかして優越感を持ちたいと思うものだ。だから、いじめは悪いことだと分かっていてもやってしまう。いじめ行為が長引けば長引くほど、いじめが普通になっていく。いじめの被害者はそうした反復性の心的外傷を受け続けることで段々病んでいくんだ」

「私が一番悔しかったのは、いじめを止める人が誰もいなかったこと。孤独で怖くて…」

「焦燥感が募ると毎日死にたいと思うようになる」

「お父さんに発見してもらわなければ、私はもうこの世にいなかったのよね」

 ふたりはしばらく無言になった。思い出していたのだろう…あの日の屋上でのことを。堺に時間を戻してくれた天命が今の堺を突き動かしている。そのゴールが未だ堺には見えていなかった。

「私は、自分が死ねばいじめた側は反省すると思っていた」

「人権問題の立場からすれば、いじめられっ子は何も悪くない。いじめっ子が100パーセント悪い。被害者にとっては毎日が地獄だし、自分を守ろうとすれば不登校しかない。でも親は登校を無理強いしがちだ。その間で神経症になって行く…と分析しているけど、謳うだけじゃね」

「理由は誰にも言えないのよ。仕返しを恐れてるだけじゃない。いじめを受けてる自分が、弱くて小さな人間だとは思われたくないの」

「自尊心を傷付けられるのは、時に死よりもつらいことだからね。ただ…いじめがどれだけ卑怯でも、いじめる側も援助を必要としているというのが心理学的、教育的な見方なんだ」

「どんな理由があったって、いじめは間違ってる! 正当化できない!」

「そうだね。いじめっ子への援助は別の問題だ。彼らが穏やかな家庭で育てば、加害者になることもないかもしれないが…ただ、父はその子が持って生まれた資質だろうという思いが強い。貧しい家庭に育った殆どの子は家族想いのいい子だ。そうした温かい家庭に育てば、運悪くいじめに遭ったとしても、相談ができる。いじめを訴え出る勇気は強さの表われでもある。冷静で賢い証しなんだ。大人も含めてそれが理解出来ればいじめは存在しない」

「いじめはなくならない」

「そう…存在してはならない者がいるからだ。私はそのことを岡本社長に気付かせてもらった」

 父の言葉に杏奈は言葉が止まった。だが、思い直して一番聞きたかったことを聞くことにした。

「お父さんは犯罪者?」

 堺も、これが杏奈の一番聞きたかったことだろうと読んでいた。

「超能力が犯罪になるなら犯罪者かな」

 すると杏奈は意外な言葉を口にした。

「私にもお父さんのような能力があるのかな」

 堺には予想外の言葉だった。

「どうかな…もし、同じ能力があったらどうする?」

「怖いけど…お父さんと同じことをすると思う」

「…そうか」

 そう答えるしか言葉が出なかった。しかし、何かは話さなければならいと思った。

「自殺は交通事故死の3倍だそうだ。いじめによる自殺は、その人が自分の命を粗末にしたわけじゃなく、大切だと思うからこそ傷付いて死ぬしかないと思い込んでしまうんだよ。親に心配掛けたくないから打ち明けられないでいるんだが、親に心配掛けるなというのは、悪いことをして心配掛けるなと言う意味であって、悩んでいることの心配は掛けるべきなんだよ。そのほうが親は安心だし、嬉しいんだよ」

 杏奈の目から涙が溢れた。

「お父さん…」

「なんだ?」

「私…まだ、立ち直ってない」

 杏奈は泣き崩れた。堺は安心した。娘の傷の深さを今更ながら目の当たりにし、それが確認できたからだ。

「急ぐことはないじゃないか…お父さんにだって悩みはある。お父さんも実は未だに立ち直ってなんかいない」

 杏奈は父の意外な言葉に驚いた。

「死ぬ前に立ち直れればいいと思ってる。ま、長期計画だな」

 力ない父の笑いに、杏奈の心も和らいだ。父の心にも傷がある…でも、その父が精一杯自分のことを愛おしんでくれていると思うと勇気が湧いた。

「悩んでいる時に人に安易に通り一遍の説教をされるのって逆効果だよね。だから、お父さんは人に相談なんてしなくなった。悩みを解決すれば、その分勇者に近付けると思って一人で頑張った。どう頑張ればいいか…学ぶしかないんだよね。賢くなるしかないんだ」

「私も賢くなりたい」

「期待してるよ」

 堺は、この数分で娘が逞しくなったような気がしていた。

「いじめ自殺の報道があると、自殺した子への同情が凄いよね。逆にいじめた側へは辛辣だ。特にネット上での加害者の晒し方は尋常じゃない。住所、名前、写真からその人の過去や家族にまで及ぶ情報漏洩、そのことが次の自殺へと誘発することになるなんてお構いなしだ。父さんはね、いじめ事件に群がる大人たちも好きにはなれないんだよ」

 妻が買い物から帰ってきた音がした。ふたりはそこでひとまず話を切り上げた。リビングに顔を出した杏子の後ろに立つ見覚えのある顔に驚いた。藤原来道である。

 杏奈は空気を察して2階の自室に向かった。


「私の伯父なの」

「えっ !?」

 杏子の親戚にやくざが居るなどとは聞いていなかった。藤原来道が伯父であることなど、堺にとっては寝耳に水である。

「別荘暮らしが長かったオレのような親戚がいたら厄介なだけなんだが…岡本さんの時には失礼した。今まで会うのを出来るだけ控えていたんだが、そうも行かなくなった」

 堺にとっては実に迷惑な出現であったが、何をどう言っていいのか言葉に窮していた。

「今日はお別れに来たんだ」

 いきなり現れて、いきなりお別れとは益々理解不能な展開だった。

「生きていれば何れまた会うこともあろうが、その時には、あんたに認めてもらえる人間になっていようと思う。それだけ言っておきたくて。驚かして済まなかったな」

 そういうと来道は部下の運転する黒い外車に乗って消えて行った。

「杏子、どういうこと?」

「さあ…でも、伯父さんは死を覚悟してるわね。だからお別れに来たのよ」

 堺は未来の展開を読もうとしたが、全く浮かばなかった。杏子が冷水に滑らせたスイカが揺れていた。


〈第13話「岩田刑事」につづく〉

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