第13話 岩田刑事

 教育委員会の指導職は、教員上がりの管理職経験者が殆どを占める。事務職は市町村職員がなっている。教育長は退職校長などで、教育委員会の職員は、学校の管理職とつながりが深い。そのため、必然的に教育委員会は学校擁護目線になる。いじめに関する調査が行われることになると、まずいじめが “あったかなかったか” で多くの時間が費やされるのはそのためである。被害生徒にとって、その時間は絶望的に長い。

 教育委員会は第三者委員会を設置し、「いじめの事実はなかった」というお決まりの文言に再発防止策を盛り込んだ報告書を教育委員会に提出するという儀式が行われる。ここでは教員間及び学校と保護者の情報共有の連携は隔絶されたまま完結される。

 “運悪く” 学校にいじめがあったことが証明されると、加害者は警察に書類送検されるが、殆どが年齢や精神鑑定など法の壁で被害者の苦痛が置き去りにされ、泣き寝入りの結果が待っている。加害者は時が経って更生期間を経て無罪放免で社会に復帰しても、被害者が永久に帰って来ない現実が残る。

 日本国憲法第31条の条文は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」とある。被害者だけがこの先も悪夢を背負ったまま一生過ごさなければならない。被害者は加害者が社会復帰した時点で完全な犬死となるのだ。


 岡本もいじめで息子を失っていた。かつて岡本も長く広域指定暴力団や外国人犯罪などを扱う部署である捜査4課でならしていた。ある組幹部が600人程を引き連れて分裂し、実質、民間軍事会社であるが表向きの運営として弁護士と違った角度から、勿論合法的に司法で捌けぬ事案を請け負い、解決に導く会社『無縁商会』を結成した。捜査4課の岡本はその監視役に回された。経営者となった藤原来道は男気で正義感が強く、岡本も一目を置いていた人物である。請け負う “仕事” は詳細な調査をして依頼人のことの真意を確かめてから行動に移していたため、警察も梃子摺る反社会的で “理不尽なターゲット” に関しては、岡本もかなり見て見ぬ振りをしていた。

 或る日、岡本は来道に、定年後に『無縁商会』に相談役で来てくれないかと誘われたが断った。断ったが、退署して “いじめ被害” 専用の依頼を受ける『片付け屋』という会社を興した。息子の供養のためだった。男気の来道は大層感銘を受け、頼まれもしないのに付かず離れず陰ながら何かと協力するようになっていた。


 岡本は息子を自殺に追い込んだ青年とその家族の所在は在職中に把握していた。刑事だった手前、手出しは出来なかったが今は違う。20年間こころに蟠っていた邪念を晴らすべく職を離れた。加害者らは相変わらずの家族だった。息子を自殺に追いやった瀬島満は派手な生活を送っていた。プー太郎がありきたりに称するWEBデザイナーを名乗ってホストクラブに勤務し、女に貢がせて暮らしていた。その父親・邦夫はパブで働く妻・マリエルの紐生活が長かった。岡本は事業開始に当たり、その条件としてこの家族を完璧にCleanupすることを考えていた。警察は当然、岡本の退職の目的を警戒していたが、何事もなく数年が過ぎた。

 そして、絶好のチャンスがやって来た。、岡本は鳥肌が立った。満が観光地の斜面の別荘を買って両親と住むことになった。岡本はその豪邸には覚えがあり、中の構造を隅々ま把握していた。偶然にも岡本がかつて別件の詐欺事件で扱った邸である。

「岡本さん、済みました」

 そう言って、漆原武雄はビニール袋に入った遠隔操作のリモートスイッチを渡した。彼は発破技士の資格がある元解体屋だった。薬中で暴れ回る息子を殺害し、刑期を終えても身元引受人が不在で岡本が引き受け、勤め先の建設会社を世話した相手だ。岡本が警察を離れると聞いて、漆原は真っ先に付いて来た。

「反応距離は200m前後。スイッチを押したら30秒後に作動します」


 引越しの日、瀬島家の郵便物の中に茶封筒に入ったリモートスイッチがあった。最初に明けたのは瀬島の妻・マリエルだった。

「引っ越しの忘れ物かしら…これ、何のスイッチ?」

「荷物を解いてから押せばどれかが反応するだろ」


 数日後、瀬島邸が大爆破を起こして炎上した。焼け跡から瀬島邦夫・マリエル夫婦と満の三人の焼け焦げた遺体が酷い破損状態で発見され、プロパンガスの爆発事故として処理された。


 あれから5年の歳月が流れ、『片付け屋』には社員がふたり増えた。芦川梨乃と野崎一夫。ふたりとも堺と同じような特殊な能力を持っていた。調査を終えて帰ってきたばかりだったが、見知らぬ来客には目もくれず、寧ろ無関心に自分の席に着いてデスクワークを開始した。

 来客は岩田忠彦だった。岩田は岡本の刑事仲間だった男で、今はなぜか処理されたはずの5年前のプロパンガス事故を追っていた。

「驚いたことに岡さんの息子さんの件で前歴のある男とその家族だったんだよ」

「それで私に容疑が?」

「違うよ、報告に来ただけだよ」

「知ってたら今の私だったら殺ってたかもな」

「よしてくれよ…ただの事故なんだから」

「ただの事故を追うほど今の警察が暇になったんなら辞めるんじゃなかった」

「どう思う?」

「どう思うって?」

「プロパン爆発だよ」

「どう思うって聞かれてもだな…ただの事故ならどう思いようもないだろ。それに、どう思ったって息子が帰って来るわけじゃないし…」

「嫌なことを思い出させてすまん…でも、やっぱり何か引っ掛かるんだよ」

「刑事の感って奴か?」

「感って、おれにはそんなものはないけど、何かしっくり来ないんだよね」

「5年間もか?」

「そうなんだよ」

「刑事の仕事は大変だな。辞めて良かったよ」

「岡さんは何でいじめ問題専門の会社にしたんだ?」

「被害者の最後の砦の警察が機能してたかな?」

「必死に取り組んでいたと思うよ。多少、手が回らないこともあるかもしれないけど…」

「多少で年間300人を越えてるんだよ」

「いじめだけとは限らないだろ」

「でも、罪のない未来ある子どもが自殺してるんだ」

「・・・・・」

「 “いじめはやめましょう” とお体裁の張り紙をしたところで、加害者生徒を放置してることは事実だ」

「…息子さんが亡くなって何年になる?」

「5年前の火災を、どうしても息子の死に関連付けたいようだね」

「そういうわけじゃないが、生きていたら立派な社会人になっていただろうと思ってね」

「死んだ息子は社会人にはならないし、帰っても来ない。あれこれ考えたところで無意味だよ」

「岡さんは変わったね」

「飲み屋で酔っ払った教育者が面白いことを言ってたよ」

「お酒を呑むようになったのか?」

「いじめ防止対策推進法なんかお飾りだそうだ。誰も守ろうとするやつなんかいないと言っていた。校長からも、問題提起して騒ぐなとお達しがあったそうだよ。被害者は不登校になってくれたほうがいいともいったそうだ。自殺ならもっといいんじゃないか?」

「それは極一部の学校のことだろ」

「私が教育者なら…同じことを考えたかもしれない」

「岡さん…」

「勘違いしていた。学校や教育委員会は指導力も更生に導く力も掛けていると思っていた。そうではなかった。敢えてそうしなかったんだ。最後の砦の警察がいじめ問題には積極的でないということは、いくらいじめ問題に取り組んでも受け皿がないということだ。いじめは一教師が背負える問題ではない」

「警察の介入にも限界があるんだよ」

「クソみたいなコメントを返すなよ、岩さん」

「オレも言ってて、嫌なものに染まった感があったよ」

「岩さんも知ってるだろ。半グレまがいの加害者の父親の話。被害者児童の親は話し合いがしたいと校長室に呼ばれたら、そこにいたんだ。その地元の半グレ親父は、女房もすぐにキレる厳しい親だった。その子どもは鉄拳制裁などを受けて育った。学校では、親にされたことを他の子にしていた。当然、被害者側の親は加害者生徒を叱り、学校に抗議をした。すると半グレ親父は大学病院で受診した子どもの診断書を種に、叱ったせいで精神的にショックを受けたと被害者側の親に言い掛かりを付け、今すぐ子どもに謝れと迫った。学校は騒ぎを治めるために被害側保護者の抗議を封じようと、半グレ男に協力せざるを得なかった。結局、学校はこの半グレ男に被害者側を脅迫する場を提供したことになった。明確な強迫が行われたにも拘らず、警察は介入しなかった。忙しくて手が回らなかった300分の1なんだろうな」

「・・・」

「この一件もそうだったんだが、加害者側の論理は共通しているんだよ。殴られるには殴られる原因を作ったほうが悪い、避けないから大事になって殴ったほうが全面悪者にされると、被害者児童に責任転嫁して自分の立場を保身する」

「・・・」

「ある精神科医は、いじめの加害者がいじめを続けることで、脳が支配型関係嗜癖という病に変化するといっている。いじめ加害が常態化している子は最早まともではないようだ。精神障害のある子のために死に追いやられたうちの息子には、法的にも勝ち目はない。それが現実だ。息子の死を嘆いたところで始まらない」

「岡さんは、前に進んでるということか」

「5年前の火災に付いては、岩さんの納得がいくまで頑張れ。陰ながら応援してるよ」

 岩田は大きな溜息を吐いた。

「また来てもいいかな」

「コーヒーぐらいで良ければ」

「悪いな、また聞き役になってくれよ」

「事故じゃなくて犯人がいるなら、私は容疑者の一人だ。容疑者のもとへ通うのは捜査の鉄則。私はいつでも歓迎だよ」


 岩田は漆原にちらっと視線を送った。漆原はお代わりのコーヒーを持って向かって来ていた。

「岩田さん、もう一杯召し上がってからでも…」

「折角入れてもらったのに悪いけど…」

「ごっつい男が入れたんじゃね」

 そう言って漆原は梨乃を見た。

「漆原さん、私はお茶汲みじゃありません」

「そんなんで見たわけじゃないよ」

「そんなんで見られました」

 岩田は笑いながら事務所を後にした。漆原は大きな溜息を吐いて岩田がいた場所に腰を下ろし、コーヒーを飲み始めた。


 事務所の裏の樹木で涼む、残夏の蝉の鳴き声が一層騒がしくなった。


〈第14話「いじめの後片付け」につづく〉

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