第14話 いじめの後片付け

 岡本朔太郎は息子の死を後悔し切れなかった。家庭の事は妻の日和に任せっきりで警察の仕事に駆け回っていた。日和は息子・隼人の異常に気付いて何度も朔太郎に相談を持ち掛けたが相手にされなかった…のではなく、朔太郎はその話題から逃げていた。それには朔太郎なりの訳があった。朔太郎は隼人がいじめに遭っていることは知っていたが、自分自身も小学校の頃の忌まわしい記憶に引き擦り込まれることに抵抗していたのだ。いじめ被害者共通の数奇と言えるのかもしれない。しかし、学校でのいじめは事態が収拾不可能になっていることで、日和はどうしても朔太郎に相談しなければならない状態に追い詰められていた。


 日和は、我が子がいじめの被害者であると気付いた時には、いじめの開始からかなりの年数が経っていた。どうすることもできないまま刻一刻と経過する中、心のどこかで、隼人に限ってはきっと切り抜けてくれるだろうという何の根拠もない期待があった。しかし、隼人は既に限界に来ていた。

 今なら分かる。いじめに遭って苦しんでいる我が子を、どうやって救えばいいのかということが・・・とにかく、本人が安心できる居場所に早く避難させるべきだった。親が我が子のいじめに立ち向かうのは戦争前夜であり、そのためには防衛体制をしっかり布かなければ闘い切れないが、まず傷付いて敗北意識に染まった我が子に自信を取り戻させなければならない。親に打ち明けてくれた勇気と信頼の証への感謝、加害者ではなく被害者であってくれたことへの忍耐に対する称讃、そしてこれから戦争をするという親としての決意表明を隼人にすべきだった。


 被害者生徒の親は誰しも、加害者への理不尽に対する仇を討ちたいと思う。罰を与え、仕返しをせずにはいられない。だが、冷静になれば、まず我が子のことを最優先に考えなければならない。建前と本音の乖離をコントロールできなければ勝負には勝てない。そのためにどう考えるのか…加害者の家庭の子育てに関わる必要は一切ない。加害者が懲罰を受けようがどうなろうが、今そこに捉われている必要などないということだ。要は常識と世間体の落とし穴に落ちないことが大前提だ。


 落とし穴…これから戦場となる学校とは一体何だろう。学校の義務のひとつは生徒に平等に接することだが、いじめが起こっている状況ではどうか…いじめ被害者を低く見てはいないか…言い換えるならば、いじめの存在を認めた瞬間、学校のスタンスは加害者側に立っていないか…そうだとするならば、それは当然のことと考えなければならない。なぜならば、教育現場でのトラブルはタブーである。何もなかったことにするには、弱者と位置付けた被害者を黙らせることで解決する。そしてそれは最も容易なのだ。“子どものやったことだから今回は丸く治めましょう” というまやかしに、加害者側は勿論のこと、被害者側まで納得するしかないような空気になる。闘う決意をしたならば、ここでその “まやかし” に気が付かなければならない。それは、学校は敵陣地であるという事だ。敵陣地で戦うリスクは高い。即刻、戦場を学校の外に移すことなのだ。


 学校を戦場にすると大体に於いて被害者家族はその落とし穴に嵌る。いじめられていることに気付き、慌てた保護者は学校を頼る。“うちの子供がいじめられている。どうにかしてください” と来る親に、“様子を見てみます” という返事が帰って来る。しかし、いじめが治まるどころか、追い詰められて刻々変化していく我が子を見て、再度学校に訴えると、“いじめがあったと言えるだけのものがない” と上目線の回答が帰って来る。その時点で被害者生徒は学校だけではなく、親も頼れる存在ではないことに落胆する。心の拠り所である最期の砦の親が消える。悲劇はそこにあることに親は気付かないのだ。居場所を失えばどういう行動に向かうか言わずもがなである。

 仮に被害者が弁護士を頼ったところで、学校側はそのことをとっくに想定している。そして、被害者が弁護士に依頼しても解決が難しいことも学校は把握しているのだ。


 なぜ解決し難いのか…弁護士は被害の証拠を必要とする。その証拠を集めるのは弁護士ではなく、被害者側なのだ。証拠がなければ弁護士は動かない。彼らは法律や訴訟の専門家なのだ。証拠集めに多額の予算を投じて調査機関に依頼するか…負ける確率の高い裁判に強引に持ち込むか…少年法の壁を考慮して泣き寝入りするか…被害者側には負荷の掛かる現実しかない。

 仮に予算を投じることが出来たとしよう。いじめに関する証拠の収集は困難を極める。学校はそれを知っている。証拠さえ証明されれば損害も慰謝料も請求できるのだが、そこまでの道のりは遠い。更に前述したように、少年法というあまりにも大きな壁が立ち塞がっているのが現状なのだ。


 岡本がやっと戦う決意をして帰宅したその日、息子の身元確認の一報が入った。全て遅かった。その後悔を背負ったまま、岡本の警察人生は過ぎて行った。妻の日和も警察上がりだった。隼人の死後、朔太郎を責めることなく傍にいて忍耐の日々を送った。朔太郎は今でも葬儀の日の妻の言葉を忘れない。

「隼人がいじめてる側でなくて良かったわね。子育て…間違っていなかった」

 朔太郎は救われた。冷静になれた。葬儀を終えた夫婦は隼人の死の真相を調べるのがライフスタイルになって行った。


 裁判は証拠が不完全で有罪と言う決め手がなければ「疑わしきは罰せず」が基本理念である。その法諺ほうげんの追い風を受ける加害者側は、我が子を守るために必死になる。仮に裁かれる結果となっても、このご時世、判官贔屓の日本のネット界は加害者側にとって強い逆風になる。どこで手に入れたのか証拠となり得る動画や加害者の顔写真、実名、住所、過去の経歴などの流出、拡散が待っている。加害者ばかりではない。被害者を追い詰めた一端を担ったことになる学校や教育委員会がその権化に立たされる。更にその先には、少年法に守られて社会復帰する加害者を待ち受けるスクープ狙いの記者たちが蠢いているのだ。


 憲法21条第1項に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とある。報道の自由は過去の判例でも認められている。ただ、“報道のための取材”に関しては自由が認められているわけではないが、取材陣の口撃は手慣れたものである。

「お子さんに暴力を振るうようなことはありませんでしたか?」

 この質問には根拠がある。親からの暴力や暴言が当たり前になっている家庭の子は、外で同じような振る舞いをする。それは子どもは親の姿を見て育ち、それが当然の行いであると学習する。同じように、他でいじめを受けた子どもはその腹いせで別の子、別の場でそうした行動を取る。記者は親に隠された日常を突いているのだ。加害者に弁護士がいれば、すかさずガードする。

「父親が子どものことを皆さんに話さなければならないという義務でもあるんでしょうか?」

 弁護士の取材陣を黙らせる常套句である。法的には私的なことを強制的に答えなければならない根拠はない。取材陣は二の句がないので次の口撃を打つ。

「最近になってお子さんに何か変わったことがありませんでしたか?」

 この質問にも根拠がある。劣等意識を植え付けられた子どもは、他をいじめることで優位を保とうとする。いじめ加害が常態化している子どもは上機嫌で帰宅する。驕りが目立ち、悪口、目つき、金遣いなどに勢いが付く。親からの暴力に対処するために聞き分けも良いいい子を演ずるようになる。“うちの子はいい子です” という親の答えが返ってくれば、取材陣は子どもに変化があったと認識するだろう。

 時が経ち、少年法の傘で社会に出た加害者が、普段どおりの生活に戻った時、“いい子” を演じている裏を暴こうと音もなく近付いていくのが、報復に目覚めて生き残っている被害者の運命でもある。被害者側は報われる事のない日々を過ごし続けているのだ。


 岡本が職を辞して息子の供養のために『片付け屋』を興してから数年後、瀬島邸が大爆破を起こして炎上した。焼け跡から発見されたのは岡本の息子への元いじめ加害者・瀬島満とその両親であることから、岡本と親しい藤原来道の組織『無縁商会』も捜査の対象となった。しかし、関係証拠となるものが全く上がって来なかったため、岡本の運営する『片付け屋』だけが捜査の対象として残った。岡本は事業開始に当たり、瀬島一家を完璧にCleanupすることを目的とした。そして待望を果たした。元同僚の岩田が再捜査に動き出したのは皮肉な結果になったが、ことはあっけなく終わりを告げた。岩田はホームレスに刺され、ホームレスはその場で自らの命を絶った。


 警察は岡本と藤原来道の『無縁商会』との接点を洗ったが、その繋がりは全く見つからなかった。一方、ホームレスには強盗傷害で岩田に逮捕されて刑務所送りになった過去があったため、大方の見方は個人的な恨みによる犯行と目された。


 意識を取り戻した岩田は、下半身不随となる重傷を負っていた。回復して退院した岩田のもとに、岡本から全快祝いの花束が届いた。岩田はその花束を壁に向かって投げ付けた。瀬島邸のプロパンガス事故には岡本が深く関与している…その思いを募らせていたが、一線に戻ることが出来なくなった岩田は、与えられた事務職を辞退した。

 老いた両親の住む何十年ぶりの故郷は、今が紅葉真っ盛りだった。


〈第15話「朔太郎と日和の絆」につづく〉

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