第22話 特務計画
岡村は政府特務機関総長・楢岡重慶に呼ばれて会っていた。
「元気にやっているようだな」
「お久しぶりです、総長」
野崎一夫が同行していた。野崎は『片付け屋』に派遣されているが、その実は特務機関の幹部だった。航空自衛隊一等空尉というキャリアであり、過去に何百回となく度重なる緊急発進の憂き目に遭って来た強者である。そして彼は堺に共通した能力の持ち主でもあり、楢岡総長の特命を受けて『片付け屋』に派遣されていた。楢岡からの相談があった時、岡本は何も質問をせず、ただ了承した経緯がある。この時、拉致被害者救出の道に一本の光が射したと言える。政府はこの極秘事項に関する密命に関して、まだ蚊帳の外にあった。
「蝿が煩くなった」
「昨日、お別れに来ました」
岡本は、赤信号の横断歩道に立った有藤の前を、黒いベンツでゆっくり通った藤原来道のことを思い出していた。彼は岡本に最期の別れを告げるために来たのである。来道は以前に、堺夫婦には既に別れを告げていたが、愈々現地に向かうに当たって、今生の別れを告げるために事務所の前を通ったのだ。
来道の運営する『無縁商会』はこれまで楢岡総長の特命で拉致被害者収容施設の建設に当たっていたが、ほぼ完成に至ったため、愈々北朝鮮に向けて出発する手筈になった。拉致被害者が救出を待つ現地では、既に作戦が進んでいた。
来道の祖父は、済州島の出身だった。大阪に移り住み、親日派として財を成したが、昭和20年(1945年)の空襲で全てが灰になった。そうした中、来道の父親は焼け野原でステゴロ(素手での喧嘩)でしぶとく生き延びた。父親のお蔭で来道は敗戦の渦の中にあっても貧困に喘ぐこともなく、学業にも格闘技にも精通して育った。来道の父親は「敵は己と同じだ。臆病心がその敵を大きく見せている。その錯覚を先に乗り越えた者が勝つ」という教えだった。
建設中の施設は表向き新型コロナ肺炎患者の収容施設だったが、実際は極秘の北朝鮮拉致被害救出者の収容にあった。しかし、政府はこの時点でも新型コロナ患者の収容所建設であると認識していた。
来道の運営する『無縁商会』が工事を依頼されたのが伏せられていたのは、収容施設に救助されて来る拉致被害者の護衛にあった。外部からの侵入に対しては手段を択ばない抹殺の司令が出されていたため、限定された “有事圏” の極秘任務だった。所謂、軍事施設並みのセキュリティが布かれたのである。憲法化に於いて政府は武力解決に関わることが極めて困難であるため、あくまでも民間のクーデター色の濃い計画となっていた。
大自然の知ろしめ給うバランスを乱せば、その反動を受けるのは当事者だけではない。いわば地球に住む者の連帯責任としてその責を追わされる。それに応え得るものは神風の良心の叫びとなる。この密命には、日本が国家として成立していた時代のそうした魂が息づいていた
“神風” の用語の先駆けとなった日本海軍「
来道には秘密裏に政府特務機関総長・楢岡重慶直々に拉致被害者救出に関する打診があった。勿論、岡本の仲介で成り立った会談である。来道にとってはやっとその志を貫く絶好の機会であった。
「少数精鋭メンバーとその戦闘リーダーを依頼したい」
「戦闘の頭は、自分が行きます」
「それではあなたが倒れた場合、組織は潰れますよ。再救出の道が途絶えます」
「救出は一発勝負です。我々の必要性を国民に認知させるには、自らが命を賭けるしかありません。救出に二度目はありません」
「それにしてもあなたが実戦部隊の矢面に立たなくても…」
「これは任侠一世一代の賭けです。子分の犠牲に胡坐をかいてるようなやつらとは次元が違うんです。やくざの本意を汲んでいただきたい」
「・・・」
「なに、覚悟は出来ています。窮地に立った時、それは夢だと思え。そう思って腹を据えろと皆に言い聞かせています。窮地に立っても根を上げる者は我が社にはいません。政府とも一切無関係の行動です。我らのみで必ず切り抜けて見せます」
厳しい決意だった。
「ボス、そろそろですね」
そう声を掛けて来たのは、来道の班で北朝鮮潜入を導いた元脱北者の腹心・張茂宣だった。流暢な日本語だが、彼は北朝鮮に生まれ北朝鮮で育った。自衛隊が北朝鮮の領域で工作活動を本格展開することは難しいと言われるが、その最も大きな壁は、法ではなく “言語” にある。日本国内ですら、方言で凡その出身地が判別できる程である。国を隔てて言語による疑いを免れることは至難の業であろう。自衛隊に於いては、選ばれた一部の隊員に語学の訓練を施しているというが、北朝鮮に潜入し、原住民に偽装しての工作活動が出来る人材は殆どいない。つまり、国内に於いても捕虜への尋問力は無いに等しい。仮に本格的な朝鮮語の訓練に取りかかったとして、5年や10年掛けてもその有効性には疑問がある。
殆ど言葉の壁のない韓国軍は、既に北朝鮮に潜入させる「金正恩斬首計画」の特殊部隊の編成に動き出しているという中で、日本は未だに憲法からして躓いたままである。ところが、来道率いる民間組織『無縁商会』は、語学面でも在日三世を多数抱えているため、北朝鮮での工作活動はすぐにでも可能な体制だった。組織には異色の片腕となる人物が何人もいた。
腹心のひとり、倉田清は家族の誰にも打ち明けずに家を出た。自分の脱北がバレた時点で母国に残った親族は処刑されるかもしれない。それでも日本に行きたかったのは、彼の母が日本で在日朝鮮人として暮らしていたからだ。豆満江を渡り支那に辿り着いた彼は山越えで瀕死のところを、運よく地元に住む古老に助けられた。古老の助けで脱北ブローカーに出会い、ベトナムからラオス経由で木造漁船に乗って国境のメコン川を渡ってタイ政府に保護された。朝鮮から3600㎞の逃避行だった。やっと日本政府から短期滞在ビザが発給され、母親に会うことが出来たのである。
その後、来道に出会い、息子のような愛情を受けた彼は、特殊部隊要員としての厳しい訓練を経て、来道の先遣隊として北朝鮮国境の山中まで潜入していた。彼のような経験をした日本への脱北者は100人以上とされるが、そのうちの何人かが来道に拾われ、特殊部隊に配属されてそれぞれの班での役割を果たすために潜入していた。
来道の子分の忠誠心は、自衛隊の縦社会の厳しい規律による国への忠誠心より強い。闘争に明け暮れた彼らは、その捨て身と非常識の狂気が礎となって、武力面でも究極の状態に対する順応性がある。武器・兵器に関しての技術的な面は、秘密裏に実践向けの厳しい訓練をしてきた。訓練中に命を落とす者もいたが、彼らは母国での死より価値を見出していた。国家の使い捨てではなく、自分が決めた運命だからだ。将来の国防を担う防衛大学校を卒業する者の中に居るような給料制で各種資格を得て民間企業に逃げるような輩はひとりもいない。
この先必要となる武器・弾薬・食料などの物資は、全て現地調達をし、準備は整っていた。来道の各小隊には拉致被害者奪還後の逃走経路における殿を務める特殊部隊員が必ず配置された。彼らは罠に長けていた。来道の隊にもそのひとりが配置された。崔聡…彼の少年時代は忌まわしい過去がある。貧しさゆえの差別によって、教師を初めとする同級生からのいじめが日常化していた。或る日、窃盗の疑いを掛けられた彼は、リンチから逃れて学校の裏山に逃走した。そこは友達のいない彼の秘密の遊び場だった。間もなく、教師を筆頭にいじめの主犯格らが山に追い駆けて来た。彼はその様子をじっと見ていた。ひとりの生徒の悲鳴が聞こえた。足に蔓が引っ掛かかった生徒が勢いよく引き上げられて宙吊りになった。それを救おうと生徒の元に向かった教師が急にその場で姿を消した。穴に落ちたのだ。一瞬だけ異様なうめき声が聞こえた。主犯格の生徒らが恐る恐る教師の消えた場所に近付いて息を飲んだ。穴に落ちた教師の背中から鋭く削られた数本の丸太が突き抜けていた。教師はしばらく痙攣していたが、主犯格らが狼狽えている間に動かなくなった。
その日を境に、彼を追い駆けて行った生徒ら全員が消息を絶った。当初、警察は逃げた少年に疑いを掛けたが、決め手になるような証拠は何一つなく、少年一人の手による犯行としては現実性がないとして彼の疑いは晴れた。しかし、その事があって以来、彼に対する疑念と恐怖で、関わる教師も生徒も居なくなった。
彼のように社会からはぐれた在日二世三世は、いわゆる戦争が生んだ悲劇の螺旋を歩む。在日であるがゆえに祖父母や両親が受けた差別を見て育った。そんな彼らが憎き日本のために、命を賭けた拉致被害者の救出作戦に機能するのだろうかという疑問が残る。日本国民の血税で守られている一方で、日本生まれで外国人登録証片手に育った彼らは、母国からはパンチョッパリ(半日本人)と呼ばれ蔑視されている。その彼らが、先代・先々代から受け継がれたトラウマ的恨みの負の遺産を、どうやって乗り越え、憎むべき日本人の救助に命を賭けるまでの感謝に変えることが出来たのだろう。それは「任侠」の心に他ならない。育ててもらった国、生かしてもらった国への一宿一飯の恩義である。今、日本国民すら失われつつある感謝の心を、任侠に生きることを再確認した彼らだからこそ、来道の教えでもある『 任侠精神に則り国家社会の交流に貢献せんと期す 』に覚醒したのである。
来道は長い獄中にあって自己の存在意義を探して書物を漁った。そして得た答えが任侠回帰であり、現実直視だった。日本国民感情は親韓から嫌韓へと変化し、在日韓国人には風当たりの強い時世ではあるが、冷静に見れば北朝鮮の恐るべき謀略が浮き彫りになる。北朝鮮は「三号庁舎」対外連絡部なる工作活動機関を置き、日本人化した工作員を潜入させ、韓国に対するテロを企て、日韓関係を破壊して統一という名の朝鮮半島制服を国是としている。
日本人工作の手口は獄中で親しくなった小峰鉄男と朴尚中というふたりの朝鮮人から得た。彼らの話によると…拉致現場はひと気のない海岸が主だったという。工作員として潜り込み、家庭を得て家族旅行に出て子どもたちの写真を撮るのは情報収集の常套手段だった。人の動きや地形を把握したら、愈々拉致である。海岸を散歩している日本人に親しげに近付き、隙を突いて捕縛し、袋詰めの積荷の如くゴムボートに乗せた。沖で待機する漁船に扮した工作船に引き渡すまでが小峰と朴の仕事である。彼らはかつて、その漁船での仕事もしていた。拉致被害者らは漁船に移されると抗生物質や睡眠薬、船酔いの薬などを飲まされ、到着するまで朦朧と過ごすことになる。そして朝鮮特殊機関下の『招待所』と呼ばれるところで24時間体制の軟禁状態で、不安と恐怖と絶望との長い闘いの日々を強いられることになるのだ。一年もすると日本に帰れる可能性がゼロに等しいことも悟るようになる。当然、救助のおぼつかない日本政府に対する落胆と不信と批判が交錯することになるだろう。拉致被害者に対する北朝鮮指導者からの信頼は、散歩が許される距離に現れ、家族を持てることに現れ、そして “帰国した在日朝鮮人” という偽装身分を与えられることに現れた。しかし、北朝鮮国民は彼らが拉致された日本人であることは知る由もない。
そうした日本人拉致被害者の姿を現場で見てきた小峰と朴は、自身が獄中にある今、おのれという者の存在価値をすっかり見失っていたことに気付いた。日本への恨みなどと、まんまと祖国の策謀に嵌っていたのである。国のために使い捨ての駒になっていた自分と、国に危険人物と突き離された来道との差…彼には個人としての揺るぎない夢があった。それが、もしかしたら自分たちも共通に持てる夢の種のように思えた。そしてふたりは、公安ではなく来道に、自分たちの知る限りの情報を提供しようと決心したのである。
日本人化工作の基本は日本人拉致にあった。金正日の命令とは言え、随分と仲間に残酷なことをしてきたようだ。当時、秋田県警で韓国語の話せる人間は8名しかいなかった時代、某海岸で下半身だけの遺体が地元農家の人によって発見された。遺体は “夕方、雪の積もった海岸にカラスが集まっているので何かと思って見たら、足が突き出していた” という。
「弟が荒れる海岸で振り落とされて、船とテトラポットの間で腰を何度も打ち付けられた。必死で船からテトラポットに移った自分は、荒波に揉まれる弟の足首を引き吊り上げると、上半身が千切れて無かった。そこに激しい波が打ち付けられ、船ごとテトラポットに逆さに塞がるように乗り上げた。船内にもう一人居るはずなので何度も声を掛けたが返事がなかった。その内、迎えの工作員が現れて、弟の遺体の下半身を海に捨てろと言ったが、それは出来ないと拒んだ。すると、逆さに乗り上げた船底に乗せろと言われた。仕方なかった。せめてもの弟に対する気持ちだった。そうして二人を見捨ててその場を去った」
兄の小峰は嗚咽を堪えていた。
「日本人は、遺体を仏として扱う。決して粗末にはしない。弟さんの遺体は火葬されて、近くの寺で無縁仏として懇ろに弔われているはずだ、他の遺体と同じようにな」
来道の言葉に小峰の悲しみは堰を切った。
結局、彼らは日本の国民になりすます「背乗り」が警視庁公安部外事二課、通称「ソトニ」に暴かれて公正証書原本不実記載という微罪で逮捕された。補助工作員の朴尚中とその上司、小峰鉄男である。彼らにとっては妻子さえも諜報活動をカモフラージュするための道具に過ぎなかった。しかし、彼らも人間だった。獄中で来道と親しくなるうち己自身の生き方の矛盾に気付いたのであろう。来道に拉致の手法を全て明かしたのである。
来道にとっても、産みの母国と育ての母国を破壊しようとしている真の敵・北朝鮮に照準が合うに至った獄中生活だった。岡本朔太郎はこうした来道に寄り添い続けたたったひとりの刑事だった。そして、岡本を通して拉致被害者奪還計画があることを明かされた来道は、武者震いを覚えた。
「…やらせてください」
「保証はない」
「政府の犬になるつもりはない…が、国民のためにやらせてもらいたい。来道の一世一代の仕事にしたい」
枯葉がカラカラと刑務所の塀伝いに流れて行った。
〈第23話「民間軍事会社」につづく〉
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