第23話 民間軍事会社
来道は張茂宣と北朝鮮国境の山中を越え、目的地であるミサイル発射基地の傍にある『護衛総局』の施設を遠く見下ろしていた。施設の中には拉致被害者18名が攻撃を阻むための盾として居住させられているという情報を得ていた。そしてその中に拉致被害者のシンボルである緋本さくらが居ることも確認されていた。間もなく倉田が北朝鮮護送車で現れるはずである。倉田との合流まで来道班の拉致被害者救出決行の時間が迫っていた。
日没前の薄闇の先に、来道はある男の言葉を思い出していた。ある男とは、関東公安調査局統括調査官である。公安庁は、頼むときは平身低頭に頼んで来る。しかし、その人物が受難に陥ると、知らぬ存ぜぬを通すのが常套手段である。国家が善意の国民に協力を求めたら、受難に対して公的謝罪や補償がなければ、誰も安心して協力しなくなる。
かつて沈没した工作船から、日本製携帯電話が見つかり、アドレス帳の中にその男の電話番号が発見された。さらには、覚せい剤取引を行っていた暴力団関係者との通話記録も発見されたが、公安庁は北朝鮮とその男の関係については沈黙した。その男は本庁の査問を受け、即日異動となり、マスコミ逃れのために片田舎に転勤となった。その男はそれまでに、いわゆる日本政府に雇われた情報ブローカーとなって国家のために命を賭して活動していたのだ。彼の集めた情報は、金正日やミサイル、核開発などの動静で、その正確さは内外で高く評価されていた。しかし、その男が政府に裏切られた。政府を信用したからに他ならない。
来道は、自身も今その男と同じ道筋を辿っている。そのことが分かっていながら、何故自分はこの危険な山中に命を賭して潜んでいるのか…もし、この場で発見されれば、拷問の後殺される運命にある。政府の見殺し体質は変わったわけではない。しかし、来道の根底には父の教えが色濃く流れていたと同時に、岡本の存在があった。
来道はこれまで、任侠復活のために、脱「反社会的集団」のヤクザという大義に向けて、数十人規模での治安維持や民間軍事会社の貢献グループの準備をこつこつとしてきた。
では、来道はどうやって組の軍資金を生み出そうというのか…それは社会貢献にある。例えば、社会に密接した部分での反社会的行為を続ける不良外国人グループや半グレ集団の善導、世界規模では政府の対策が憲法の壁で頓挫している海外在留邦人の警護。それらには法外の国家予算が組み込まれることは来道の計算づくだった。そして今、最も喫緊の課題としては、1970年代から1980年代にかけて、極秘裏に多数の日本人が北朝鮮に拉致された 国際犯罪事件である。
来道は拉致被害者救出にこそ任侠復活の最初の活路を見出そうとしていた。迫る北朝鮮危機に日本政府は憲法9条が足かせとなり、十分な戦闘行為ができない現状だ。平成14年(2002年)10月15日に米国の圧力によって、辛うじて5人の拉致被害者が帰国を果たしたのみで、それは拉致から20~30年も経ってのことである。決して日本政府の功績などではなく、米国による圧力の賜物なのだ。北朝鮮の拉致犯罪から既に半世紀を越えようというのに、未だ日本政府は独自の解決の目途すら立っていない。来道は、拉致被害者の家族が生存中に拉致被害者全員の奪還こそが、国家ではなく日本国民の威信を掛けた最重要課題であると位置付けていた。
自衛隊が独自の武力行使で北朝鮮の領土から拉致被害者を救出するということは現憲法下に於いてほぼ不可能に近い。現行憲法に於いて、自衛隊は外務大臣からの依頼があり、防衛大臣が安全と見なさない限り、全く動くことが出来ない。だからといって、2002年の拉致被害者5名奪還のような日米同盟を根拠とする米軍の圧力を当てにするのも的外れである。その後、帰国した両親のもとに子どもたちが無事に帰されるまで2年近くも要した。
拉致の日、監禁されたボートや船を乗り継ぎ、死の恐怖と背中合わせで絶望にもがきながら生き抜くしかなかった。拉致から24年後の2002年9月「日朝平壌宣言」の約1カ月後、5人の拉致被害者が日本に一時帰国してきた。彼らの帰国は子どもを残しての一時的なものだと考えられていたが、その子どもたちは2004年5月に無事日本に帰国させることに成功した。しかし、彼らは一時的にしろ、取り残されたという測り知れない絶望感に見舞われたに違いない。同時に一時帰国から外された他の拉致被害者の落胆はもしかしたら憎悪に変わったかもしれない。
一時帰国者は帰国者となり、家族まで帰されたことで、他の拉致被害者に対して未だに自責の念に苛まれている。誘拐された人間が救助されて尚苦しまなければならないとはおかしな話である。
仮に憲法が改正され、自衛隊が独自で軍事行動を執ることが可能になったとしよう。その事に最も警戒感を持つのは米国である。日本独自の武力行使による救出に対して米国ばかりか、韓国が妨害する可能性がある。韓国は、朝鮮半島に於ける政府は自国のみであり、北朝鮮は半島の北半分を不法占拠しているとみなしている。従って、日本が北朝鮮で軍事行動を執ることは、韓国にとって主権侵害を意味する。当の北朝鮮は、日本帝国主義が金日成将軍率いる朝鮮人民軍に敗れた後、アメリカ帝国主義が朝鮮半島の南半分を不法に占領し、大韓民国を置いて植民地支配を続けているという位置付けなのだ。
北朝鮮第一の国是は、労働党規約にも明記されているとおり、朝鮮半島民族の仇敵であるアメリカ帝国主義から、南朝鮮を解放し、労働党の主導の下、統一を成し遂げることなのだ。
かつては眠れる獅子とまでいわれた支那も反日を貫かなければならない事情がある。建国前の日中戦争に於いて、毛沢東が日本軍と共謀していた事実を隠蔽するためには、反日を叫び続けなければならない。拉致被害者救出の壁は合法的には途方もなく厚いのだ。
日本は国内治安に於いても危険な状態にある。他国の実力組織の日本人拉致に対し、守ってもらえるはずの警察力はこれまでの経過を鑑みれば無力と見るべきだ。では自衛隊はというと、自衛隊の警備権は駐屯地や基地に対してであり、我が国領土それ自体に関する警備権はない。つまり、平和なはずの日本国民は無防備な中で外敵に晒されている状態なのだ。
金正恩の父親・正日は、自分が命じれば、どこの国の誰であろうと暗殺できると豪語していた。他国である日本国内でも誰構わず暗殺できるというのだ。ミサイルの脅威よりも恐ろしいそうした現実が隣り合わせにある現実を、日本国民の殆どが全く認識できていない。安全は同盟国である米国が担っていると信じ切っている。米国は、日本と北朝鮮が友好国になっては困るという本音を日本国民の誰が見抜けるのだろう。米国にとって、日本は北朝鮮と敵対していなければ都合が悪いのである。結局、国民にとって現実的に機能するのは日本政府ではなく、来道が説く民間軍事会社(PMC)のみとなる。脱「反社会的集団」にするために民間軍事会社設立に至った『 任侠精神に則り国家社会の交流に貢献せんと期す 』ところの任侠魂こそが国民にとっての治安の要ということになる。
来道は日本が真に目を向けるべき現実に至り、元自衛官や右翼人、各国の傭兵などにも接触し、時間を掛けて準備を進めてきたのだ。
「おまえらに何が出来る。散々悪行の限りを盡しているおまえらが、暴対法逃れの苦し紛れに社会貢献だと? 世間の笑い者になるだけだ」と国民に悪行の限りを盡している政局の連中が豪語している。しかし今、大きな神風のうねりに突き動かされ始めた多くの賛同者たちが現れた。確かにヤクザ界は末期症状だった。いつの頃からか、盃が諸悪の根源になっていた。組長が盃を下ろすまでは子分思いで、盃を下ろした途端に子分からお金の吸い上げ自由、自分の勝手と考えるような現状に、来道は盃は要らないと考えていた。子分は、親分からどんな理不尽なことを言われても飲み込み、耐え抜いてこそ子分だといった変な美学がまかり通っていることにヤクザの未来はないと予測していた。この理不尽な厳しい上下関係を機能させるのは、平和時ではなく、異常時の作戦遂行の時のみであると来道は考えていた。
指定暴力団は米国に入国できないが、東南アジアに民間軍事会社の支社を作り、それぞれとのジョイント契約で “社員 ”を派遣し、邦人警護の依頼は可能である。来道がその包囲網組織を結成したことで、目標を見失って暴走するしかない若い組員は現地の邦人に感謝されながら仕事に喜びを越える使命感すら覚えるようになっていた。
来道が社会貢献に未来を託したのには大きなきっかけがあった。来道は高齢者の選択肢の中に徴兵制を置くことで高齢者の勇退の花道を作ってやることは自然の流れのはずだと長い間考えて来た。しかし、世論は圧倒的に否定的だった。民間軍事会社を経営するに至ったのは、そこに目を付けたからである。
来道は時に団塊世代限定の人材募集も図った。予想どおり、最も多かった応募数だった。家族間の人間関係に問題を抱えている彼ら団塊世代の高齢者たちで、独居老人、ホームレスや前科者などの生活困窮者は数えるほどしかいなかった。
限界を越えた拉致被害者家族が、政府の遅過ぎる裏切りの対応に精根尽き果て、来道の存在を知った。緋本茂美・咲子夫妻は思い切って来道に会った。北朝鮮崩壊が薄らと見えて来た今、夫の緋本茂美は入院中にも拘らず、闘病生活を押して出てきていた。来道は緋本夫妻をしばらく見つめていた。そして、その時が来たと思った。来道は緋本夫妻にゆっくりと頷いた。
「わたしの花道にさせてください」
「・・・?」
「あなたたちの望みは娘さんの救出。私の望みは組織が社会的市民権を得ることです。それは私が辿り着いた夢です。あなたたちの夢とは、私にとって大きな価値があります!」
機は熟したと確信した瞬間だった。そして今、拉致被害者救出劇は佳境に入っていたのである。
北朝鮮に於ける拉致被害者たちは、政治犯収容所で警備兵監視の元、労役に就かされるのが常だったが、若年で拉致された者は北朝鮮の工作員によって日本語で義務教育を受けて育った。そして徐々に工作活動のノウハウを教わることになる。優れたものは北朝鮮の工作活動に深く関わり、日本への帰国が不可能なポストで地位を得ている者もいた。13歳で拉致された緋本さくらもそのひとりだった。来道がこの部隊にいるのは彼女の救出が大前提にあったからだ。
ほぼ時刻どおりの合流で拉致被害者の収容を全て済ませた来道のもとに倉田清が掛け来んで来た。
「緋本さくらさんが救出を強く拒絶しています」
来道は予期していた。緋本さくらを見捨てて車を発車させるべきだったが、来道は張と倉田を伴って、彼女の説得に戻った。緋本さくらは今回の計画の最重要人物であり、来道の部隊の最期の救出者だった。それまでほぼ順調に来道班のトラックに15名の拉致被害者が揃っていた。こうした事態に至るまでもなく、来道は緋本さくら救出に危惧はしていた。彼女は日本に戻れる立場にはないほど、北朝鮮の工作活動に深く関わっているはずである。日本にとって不利益となる活動に深く手を染めているに違いない。それ故に彼女も帰国を深く拒んでいるに違いない。この国で得た家族もいるのだ。しかし彼女は、日本の拉致報道の象徴的存在であり、彼女の救出なしにこの計画のゴールはなかった。既に2名の予定者は健康上の理由から救出を断念せざるを得なかった。しかし、彼女に限ってはいかなる状況であろうと「救出」以外の選択肢はなかったのだ。
「あなたの両親はあなたの帰国を望んでいる」
「わたしは帰れません」
「あなたの存在は今やあなただけのものではない」
「わたしは…帰れません」
「あなたの考えは聞いていない」
「・・・!」
「拒否は認めない。猿轡で確保しろ」
「猿轡?」
「自殺させてはならん!」
「緋本さくらの身代わりを炭にしろ!」
これ以上時間が遅れれば、既に救出した15名を危険に晒す。そればかりか、救出に来るオスプレイにも危険が及ぶ。一分一秒が、この計画に携わる全員の延命に直結していた。来道は非情だった。さくらには、救助から除外した被害者と同じくセルシン注射をする以外になかった。次第に気を失って無抵抗になる彼女をトラックに運びながら、来道は北朝鮮での拉致生活に於ける彼女の全てが剥される日本での未来を思い、気が重くなった。張と倉田は緋本さくらの身代わりを仕立て、その現場から全速力でトラックに追い付いた。
逃亡が再開された。さくらの代わりとなる敵の監視役女性工作員の死骸が赤い炎を吹いていた。
来道たちが急いで集合地点に到着したが、オスプレイはまだ到着していなかったため、ホッとした。しかし、来道は違和感を覚えてた。案の定、暴動が罠と気付いた敵の部隊が200m先まで近付いて来た気配がしてきた。この数分間の間に事態を感知した北朝鮮の軍隊が先にやって来たら全ては水泡に帰す。真空のような緊張の闇だった。来道は己を奮い立たせるために、これまでの血の滲む過去を思い出していた。
拉致計画は金正日の国策でる。そして、来道が最も慎重に説得を仕掛けた工作は、北朝鮮国内の反体制派組織だった。拉致被害者救出の代わりに、計画に加わった工作員らの希望する国への亡命の補償である。そして彼らはその計画に乗ったのだ。拉致被害者大量奪還は現体制を崩壊させるに値する醜態になる。金正恩暗殺計画などより数段効果的なのだ。金親子は日本が軍事行動を起こせないと高を括っていた。それはあくまでも日本国憲法に縛られている日本政府に照準を当てているからで、民間によるテロとなれば別である。
潜入した北朝鮮は想像以上に極端な個人崇拝と監視社会だった。見知らぬ余所者には警戒心が徒ならぬ強さだった。ここで『無縁商会』の脱北組メンバーは驚異的な活躍を見せたのである。北朝鮮における庶民生活の経済破綻も限度を越えていた。現地で日常を送っている者が一緒でなければ潜入はまず不可能である。市場では、商売不振の上、当局が価格に介入するなど干渉を強め商人たちの反発を招いており、取り締まりの保安員との間で口論やいさかいが頻発している。新型コロナウイルスの流入を遮断するため、北朝鮮は1月末に支那との国境を封鎖、貿易が中断した。これら来道の計画にとっては絶好のチャンスであった。国境封鎖が長引くにつれ、取り締まり機関との間でいさかいや言い争いが頻繁に起きるようになっている今、一旦火が付けば警察権力が及ばない程の暴発が起こる。作戦は救出ポイントを避けて、その暴発を同時多発的に起こさせ、その騒ぎに乗じて拉致被害者を救出しようとするものであった。
来道は何名救おうとしたのか…それは重要なことだ。現地調査は殆どが現地人で行われた。拉致被害者の中には、長く救出の手を及ぼさない日本政府への反感が頂点に達している者も少なくなかった。また、洗脳がMAXに至っている者、国籍が日本人でない者は救助から除外した。来道に偽善の心はなかった。時間がないのである。20の調査隊に別れて慎重に吟味した拉致被害者の数は凡そ200名。それを9班のオスプレイ救助部隊が数ヵ所の国境の村近くに降り立ち、救出した拉致被害者を収容して脱走させる手筈になっていた。しかし、拉致被害者らには自分たちが拘束されて連れ出されるのは北朝鮮軍だと思わせることで、彼らが無抵抗に従うことを利用した。今、正にオスプレイの救出場所以外の何か所もの国境では、一斉に反共産主義の暴動が起こり、救出計画も同時進行で執行されていたのである。
「いくぞ」
あの日、腹心・張茂宣はそういう来道と共に日本を発った。そして今、愈々の時を迎えている。
「ボス、そろそろですね」
来道の目は獲物を仕留める鋭さになっていた。罪のない人間を国策のために使い捨てにしてきたことへの報復をついに果たすときが来たのだ。あとはオスプレイの到着を待つだけである。しかし、来道は張茂宣の時計を見て愕然とした。止まっていたのだ。彼は救出の途中でどこかにぶつけたようだ。来道の一瞬の情がこのとんでもない事態を招いてしまった。恐らくオスプレイは時間どおりに来たが、定刻になっても姿を現さない来道たちの部隊を見切り、計画中止で去るしかなかったに違いなかった。来道は天を仰いだ。
〈第24話「逆 転」につづく〉
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