第23話 逆転

 拉致された人々はこの国でどんな生活を送っていたのか…恐らく、日本で拉致に遭った後、船で現地に到着するまでに工作員の匙加減で命を落とした人は相当数存在するだろう。激しく抵抗する者、年老いた者、病気を抱えていた者はその場で殺されて海に捨てられたに違いない。金正日はそのように命じている。


 日本の警察が把握している拉致被害者は883人と言われている。しかし、日本政府が正式に「拉致被害者」として認定しているのは17名(12件)だけである。“認定” 事態が驕りから来る浅はかな事務処理である。案の定、北朝鮮はその数字を逆手に取り、日本が“認定”した17名のうちの5人が政治的駆け引きに於いて日本に帰国し、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と主張している。“4人は入境せず” とは、4人は拉致の船中で殺害され、海に捨てられたために “入境せず” という事であろう。工作員は殺害その他一切合財の経過を説明する必要はない。使える日本人を拉致して “入境” させることが使命なのである。挙句の果てに送られて来た遺骨は本人のものではないことも明らかとなっているが、ことは日本政府の得意とする “遺憾” で治めたままである。


 政府の見解とは逸にする特定失踪者問題調査会は、特定失踪者271名、非公開約200名、計約470名。公開者の内、拉致濃厚77名 、拉致疑惑 194名としている。この中に、拉致と関係ない者や、拉致後に殺害された者、病死した者、自殺した者、逃亡した者など様々なケースが含まれているだろう。

 1970年代に起こり始めた拉致事件が何ら解決に至らないまま半世紀以上が経った。政府の無策をファンタジー憲法が覆ったままだ。被害者家族は寿命で次々に鬼籍に入っている今に至っても、政府は “遺憾” を唱えるだけで何の策もない。拉致問題は選挙の票にならないなどと高を括っている。そういうやつらを拉致被害者と人質交換したらいいのではないか。業を煮やした政府以外の者が動き出した。その中心にいるのは、皮肉にも反社会組織の真っ只中にいて、任侠に回帰したヤクザだった。


 藤原来道は『任侠くまげら組』若頭だったが、出所後、組織と袂を分かち『無縁商会』を結成した。民間の軍事会社である。世話になった刑事・岡本朔太郎を誘うはずだったが、岡本は退官後『片付け屋』を起業した。そしてその岡本から思い掛けない話を聞くことになる。「テロ」である。国家特務機関黙認のテロ、つまり拉致被害者奪還の話である。来道には渡りに船だった…というか、岡本は来道の考えを熟知していての話だった。アジア圏、特に朝鮮半島周辺に顔の利く来道にとって、拉致被害者奪還準備の調査はお手の物だった。朝鮮半島に点在している自分の腹心は現地工作員として緻密に機能した。現地工作員の活動は秀逸だったのだ。

 そして今、拉致救出者たちを乗せた8機のオスプレイが計画どおりに次々と瑠璃色の空に脱出して行った…来道の部隊以外は。来道の部隊は救出名簿の一人に拉致被害者のシンボリックな存在である緋本さくらに梃子摺ってしまった。来道ら民間部隊は、迫る無政府状態の暴徒化の最中を狙って、救出した拉致被害者を伴い、オスプレイ到着の目的地に急いだ。どの部隊もかなりの犠牲者が出ているが、仲間を救出している時間はなかった。

「今は無神経になれ」

 それが救出部隊が無心に念ずる呪文だった。長年に渡る未来を消された拉致被害者の苦痛から見れば、自分で決めた目的に向かって生きている。裏切り続けられた国にも出来なかった「拉致被害者救出」を、今自分たちはやっているという自負があった。

 しかし、来道はその無神経を自ら破ってしまった。攻撃されて全滅してしまう。そう思った来道は、土地勘のある張に拉致被害者の逃亡を任せて敵の部隊に向かった。張茂宣は来道の背中に叫んだ。

「私が行く!」

「言い合ってる時間はない! 言うとおりにしろ!」

 そう叫んで来道は見る見る遠ざかって行った。来道の火炎放射器が炸裂し、標的になる仲間への目視を懸命に阻止した。その時、奇跡が起こった。上空の闇にオスプレイの音が響いた。瞬時に着陸し、張茂宣の機転で拉致被害者を収容すると直ちに離陸した。その下から走り出して来る者がいた。来道の懐刀の崔聡さいさとるである。追い付いて来て来道に並ぶと、持っていたロケットランチャーを放ち敵の部隊を翻弄させた。崔聡は来道にオスプレイに振り返るよう必死に合図を送った。よく見るとオスプレイから救助ロープが垂れていた。来道と崔聡は走った。そしてロープに掴まり二人ともオスプレイに収容されたのである。崔聡は救助ロープから尚も決死でランチャーロケットを放った。敵の部隊が態勢を立て直して一斉射撃をする頃には、夜明けの空に吸われ、母国を目指していた。

しかし、来道の顔色は曇っていた。

「5分ほどしたら北の空軍が追って来る」

「え !?」

「今度こそもうこれまでかもしれない。自分の責任である」

 来道の予測通り、既に北朝鮮の軍事空軍機が10機編成でオスプレイを追っていた。その機影がレーダーに現れた。その時、前方から世界最強と言われる5機のF・22ラプターが現れ、オスプレイと擦れ違って行った。絶体絶命の彼らの前に現れたのは何れも名うての元・予備自衛官らだった。彼らは救助のために法の網を縫ってこの場に急行した自衛隊が黙認したチームだった。というのも、航空機は多重国籍が禁止されているため、売却する前に登録を抹消して無国籍状態になることは暗黙の了解を得ている。その最中の専守防衛に於ける対応だった。北朝鮮の軍事空軍機が “国籍不明機” に次々と撃墜されて行った。F・22ラプター5機の消息は日本政府の与り知らぬところである。一方の北朝鮮は日本政府に強く抗議したが、逆に北朝鮮は日本政府から “北朝鮮に於ける” 消息不明者の照合を要求され、答えに窮した。日本政府は “事態解決のため” という名目で再三に渡って北朝鮮政府に消息不明者を問い合わせたが、その後一切答えは帰って来なかった。


 救助された拉致被害者らが完成した例の隔離施設に収容され、警備体制が整った頃、政府を引っくり返すような事件が起こった。施設に収容した私設軍隊となった予備自衛隊チームは、政府に誘拐の身代金と憲法改正要求の声明を発表したのだ。

当初、身代金要求を手動したのは来道だと考えられていた。しかし、来道は施設に救出者たちを収容させてすぐにその任を予備自衛官チームに委ねた。つまり、身代金要求計画に対する阻止はしないまでも、賛同は拒否し、極秘任務の依頼を終えたのである。一方、岡本は収容者の保護を貫く意味で、身代金要求には関与せずとも、収容者に危害を加えられることに関しては阻止の立場を執った。予備自衛官チームは抑々収容者に危害を加える気はなく、計画に於いて『片付け屋』も『無縁商会』も無関与の立場となった。


 物々しい警戒態勢の中、大勢の報道陣が集められ、会見が行われた。

「要求の首謀は我々です。『無縁商会』は任務を終えている。この計画には無関係である。指定時間までに要求を受け入れなければ、10分経過ごとに我々は一人づつ自害する。あなたたちの優柔不断なクズ政治家ぶりを国民に存分に認識させ、国家崩壊の前に果てるつもりである」

 自衛隊員の誰もが、あの『楯の会』のメンバー森田必勝(25歳)、小賀正義(22歳)、小川正洋(22歳)、古賀浩靖(23歳)の4名が「武士たる自衛隊に憲法改正の決起を促し、天皇にお返しする30分に賭けた」陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での三島事件を思い出したであろう。1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫と森田必勝の割腹自殺で幕を閉じた事件である。


 “首謀者” によって再びファンタジーの国は神風に揺さぶられた。本件の首謀者も自衛隊時代は政府の多くの矛盾に歯軋りをして過ごした。彼は予備自衛官・猪瀬林太郎。F・22ラプター5機のフライトリーダーだった。

 会見は続いた。

「敵の横暴を武力で阻止できる法律があれば、失う必要のないものが沢山ある。敵はそのことを知って横暴を働く。その目の前で指を銜えて見ているしかなかったのは空想平和憲法第九条のためである。憲法第九条の武装解除条項がどれだけ国を痛め付けているのか…怪しげな “市民団体の活躍”で国民はそれらに無神経にされている。そればかりか扇動に乗って共に活動している愚者もいる。「諸国民の公正と信義」の金縛りに遭っている日本国民を、他国の偽装留学生や観光客に扮した工作員によって国は侵略の一途である。日本の文化や伝統を破壊し、無防備・無抵抗を美と洗脳され、すっかり自国民を守れない国のありかたにどれだけの人々が悔しい思いをしてきたというのだろう。結局、米国の戦後政策の思惑はここに来て完全に破綻を来したといえる」

 会見の最中に、施設で一発目の銃声が響いた。10分が経過したのである。施設の周囲には警察隊が包囲しているが、施設内からは戦車や重火器の砲身が今にも牙を剥く態勢にあった。マスコミが一斉に報道で騒ぎ出した。

「ただいま最初の銃声がありました。施設で犯人グループ一名自らの命を絶ったと思われます。犯人は50名ほどの組織を結成していると見られています。“10分経過ごとに我々は一人づつ自害する。あなたたちの優柔不断なクズ政治家ぶりを国民に存分に認識させ、国家崩壊の前に果てるつもりである” との声明が成されました。政府はどう対処するのでしょうか? このまま組織全員が自害するのを待つのでしょうか? 要求された身代金は10兆円と言われています。国家予算の10分の1です。このあとの動向が注目されます」

 どのテレビ局も、一発の銃声のあと一斉に同じ囀りを始めた。そして政府の説得工作中にも正確に10分ごとに銃声が響き続けた。


 楢岡特務機関総長は受話器を取った。発信先は岡村だった。岡村は自衛隊に知っている者はいないので自分にはどうにもできないと答えた。楢岡は来道への協力を取り次いでくれるよう求めた。来道と連絡を取った岡村の返事も楢岡を落胆させるものだった。八方塞の中、一時間が経過し、救急車が6台到着した。施設の裏口の一ヶ所が開いて、ブルーシートに覆われた遺体が6体運び出され救急車に収容されて現場を離れた。

「今、6名のご遺体が救急車に収容されました。政府はこの後も自殺を黙認するのでしょうか…これでは犯行声明文を証明するようなものです。新型コロナ騒動では政府の無能ぶりが露呈されました。ここでもまた政府は同じ失敗を重ねるのでしょうか」

 結局、政府は猪瀬らの要求を飲んだ。施設の収容者は外で起こっていることが一切分からなかった。快適な環境ではあったが、報道媒体になるものは全くなかった。そんな中、拉致被害者たちは家族と再会を果たしていた。そして何れマスコミの中心になるであろう緋本さくらも両親に会っていた。

「わたしはすぐに帰国するつもりです…娘も待っているので」

「…そう」


 母である咲子は穏やかに聞いていた。

「生きている間に会えただけで幸せよ。さくらちゃんにもいろいろ事情があるだろうから、あなたの好きなようにすればいい。ねえ、あなた」

 夫の茂美はじっとさくらを見つめたまま答えなかった。答えられなかった。既に高齢のため認知症がかなり進んでしまっていたのだ。

「このかたは、どなた?」

 優しく懐かしい父の声だった。さくらは愕然とした。父が自分のことを認知できていない。

「さくらちゃんよ。待っていたさくらちゃんよ。長かったね」

「そうですか。よろしくお願いします」

 一所懸命の父らしい礼儀正しい愛想だったが、娘だという事が分かっていないのは明白だった。日本に来てこの時初めてさくらの目から涙が出た。あまりにも長い時が流れてしまっていた。


〈第24話「忠 臣」につづく〉

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