第7話 片付け屋

 晩秋の晴れた日、またあの男が現れた。堺はそれまでその存在をすっかり忘れていた。初老の男、“片付け屋”の岡本朔太郎である。

 思い返せば、杏奈の不思議な一件があって以来、不思議が不思議でなくなりつつあった。堺が違和感を覚えた不条理がもう一つの世界に吸収され、その不条理を消滅させる展開になる。恐ろしいことに、堺は不条理に導いた人間が全て抹消されることを是としていた。

「わたしは何人殺せば気が済むのでしょう」

 堺の口からとっさに出た言葉である。しかし岡本は即答した。

「死に値する人間が死んだだけです。あなたは生きるべき人間の死をくい止めただけです。殺したのではない。生きるべき人間を生かしたまでです」

 岡本はいつになく真剣な面持ちで堺に近付いて来た。

「堺さん…あなたはご自分の能力を充分自覚なさったと思います。そろそろ我々にその力を貸して頂きたい」

 岡本は責任能力の是非について論じた。718年に制定された日本最古の「養老律令」に於いて、残疾・癈疾・篤疾の三段階に分け、税負担軽減や減刑処置が定められていた。江戸期には故意・過失を問わず、社会的見せしめで未成年者でも刑罰が行われることもあったようだ。現在、責任能力の有無が強調され、犯罪行為を非難することも科すことも意味がないとされている。その刑法では39条第1項に於いて心神喪失者の不処罰、41条に於いて14歳未満の者の不処罰、39条2項において心神耗弱者の刑の減軽が定められている。つまり、被害者の苦しみは加害者の事情次第でどんどん置き去りにされていく傾向にある。

 法は物事の分別に欠ける“責任無能力者”と、心神喪失や14歳未満のものを“限定責任能力者”として刑の減軽を定めている。そして、言い訳めいたいくつかの法律を添えて殊更に責任能力を強調している。そのことが今や悪質な犯罪者の逃げ道となって、弁護士の腕の見せ所となっている。

「殺人を犯しても金の力で無罪になる世の中です。あなたのお嬢さんのように、死と背中合わせの状態に追い込まれている人たちは限りなく存在し続け、運よく生き長らえて大人になった今も、過去の亡霊に捉われたまま悩んでいる人たちが五万といる。一方の責任能力の傘に逃げ込んで自己都合の欲望のままに他者を自殺に追い込んだ加害者は、そのことへの責任など感じもせず、追い込んだことすら忘れて幸せに送っているいるんです」

 岡本は、法で裁けない被害者の無念は合法である超能力で補うしかなく、法の下に被害者の存在が欠落している欠陥に、自分が起業した会社の存在価値があると説いた。堺は自殺に追い詰められた娘に対する責任の所在と追及に至らしめる困難さ、そして下った法の裁きの虚しさを想像すると、岡本の誘いに断る理由が見出せなかった。当分の間、教鞭を執る学校内のみでの協力という事で話が付いた。何故なら、堺の勤務する学校も他校と同じ類の問題が山積していたからだ。

「この学校に関しての依頼も受けています。本来、ウラを取った詳細を実行役に再確認していただく作業に入ってもらうのですが、この学校の内情はあなたの方が詳しいはずです」

 そう言って、岡本は堺に資料を渡した。

「これがこの学校に付いて私どもが知る限りの調査資料です。内容に齟齬がある部分は後でご指摘していただけますか? もし、この内容のとおりであれば、すぐに実行に移していただきたいのです」

「分かりました」

「ところで…その後、あの男から連絡がありましたか?」

「あの男?」

「『無縁商会』の藤原来道氏です」

「いえ、何も」

「そうですか…」

 岡村は何か言いたげだったが、堺に微笑んで去って行った。堺は急いで渡された資料を確認したが、齟齬は全くなかった。恐るべき調査力だと思った。しかも、堺についての過去の記録も調査内容にしっかり報告されていた。

 かつて堺が務めていた学校での記録に目が止まった。あの三人の記録…蒲田徳次郎、荒巻公彦、金田隆司・・・


 薄暗い部屋で三人が椅子に掛けていた。堺は彼らに静かに話し始めた。

「汚い、臭い、近寄るな、プールが黴菌で汚れる、うざい、死ね…こういうことを言われ続けても “いじめ” ではなくカン違いなんですよね、校長」

「・・・」

「新しく担任になった荒巻先生が、班ごとに給食を食べるよう指導してくれたそうですが、寧ろ琉生ちゃんは一人で食べることが多くなった…これも校長の言うように偶然ですかね、荒巻先生」

「・・・」

「一連の “勘違い” に加担していたのはクラスの男女5人前後。担任発言の揚げ足取りが得意で、教室が非常に汚くなっていった…これって学級崩壊じゃないですか?」

「・・・」

「琉生ちゃんは両親に、どんな遠い学校でもいいから歩いて行くので転校したいと、何度もすがっていたそうです。学校を休むんで電話する両親に、先生は何を言ってもダメだから、いじめの話はしないでと頼んでいる。どう思います、荒巻先生?」

「・・・」

「後日、荒巻先生から電話があった。明日は社会科見学があるから出るようにと伝えたそうですね」

「・・・」

「琉生ちゃんは先生の優しい言葉に藁をも縋る思いで登校したんだと思いますよ。ところが一部の同級生から、普段はずる休みするのに何でこういう時だけ来るのかと罵倒された。荒巻先生は何かフォローしました? 取り敢えず誘っただけですか?」

「・・・」

「これも琉生ちゃんの “勘違い” ですかね、校長」

「・・・」

「彼女は次の日、自らの命を絶っている…何のための登校だったんでしょうね」

「・・・」

「琉生ちゃんの元担任の糸魚川先生と元校長の重井先生は “いじめ” の事実を認めているんですが、加害者生徒の中心だった文也くんの保護者のあなたとしては、“いじめはなかった” と主張してますよね、金田隆司さん。その根拠とかあるんですか?」

「・・・」

「 “いじめ” があったから、琉生ちゃんは命を絶ったんですよ。あなたの子どもに責任がないとすれば…その責任は親であるあなたにあるという事になる。子どもの責任で手打ちにした方が宜しいんじゃありませんか? いじめ被害者をないがしろにする法律は未成年加害者には優しいですからね」

「・・・」

「わたしはね…そうは思わないんですよ。加害者の年齢に関わらず、罪は罪だと思っているんですね。法律が裁けないなら、代わって裁くのが一国民の義務だと思っているんです。精神異常で罪が消えるとか、恩赦と聞くとバカらしくて笑いが出るんですよ。罪は罪です。ですから、あなた方はひとりの人間を死に追いやった罰を受けなければならない。ただ、残念なことに、あなた方が罰を受けても、琉生ちゃんは戻らない。だから、せめて同じ犠牲者が出ないためにと納得するしかないんでね」

「・・・」

「ご清聴、ありがとう。生きてたら皆さんジタバタするところでしたね」

 椅子に掛けた三人は、既に死体だった。堺は加害者の父・金田隆司の別荘を後にした。暫くして大爆破を起こし、粉々になって空高く飛散した“ゴミ”は無気力に地面に降り続けた。


 資料には堺の行動が克明に記録されていた。これまでにない堺の怒りが頂点に達した時の不完全な “片付け” 作業だった。監視されていたことなど全く気が付かなかった。恐るべき調査力だ。これで堺は岡本を信頼すると決心した。そもそも杏奈の命を救ってくれた岡本の依頼を断ることは出来ない・・・自分の特殊な能力が役に立つなら応じる以外にないと思った。


〈第8話「依頼された初仕事」につづく〉

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