第6話 メモのことは内緒にしろ
校舎の屋上で跪く男の前に堺が立っていた。
「長居先生、退職金貰ってずらかる気ですか。いい気なもんですね」
「責任を取って退職します」
「生徒は死んじまってるからな。退職如きで何がどうなるんですかね?」
「どうすれば…」
「ここから飛び降りて死ねば、少しは罪滅ぼしになるんじゃ…でも、自殺した生徒は帰って来ませんからね」
「・・・」
「じゃ」
堺は長居彰将を屋上に残して校舎内に消えて行った。長居は表情を豹変させた。
「ちっ! 何様だよ、偉そうに。これ見よがしに生徒の自殺現場に呼び出しやがって! 生徒の自殺現場 !?」
大きな溜息を吐いて校舎に戻ろうとした長居だったが、既に異世界に引き擦り込まれていた。
長居は急に変わった周囲の風景に狼狽えた。屋上は屋上だが、ここは学校の屋上ではない。須藤守が飛び降りたマンションの屋上である。体が勝手に手摺りを越えた。コンクリートの地面が急速に接近し、全身に打撃が走った。
「おれは飛び降りたのか!」
目の前のコンクリート面に自分の血液が拡がって行くのが見えた。次第に激痛が襲い、動けないまま長い時間を掛けてゆっくり死んで逝く苦痛地獄が始まった。
「長居先生!」
飛降り自殺した守の同級生の橋本薫子の声で、長居は我に返った。
「あ…どうした?」
「須藤君の机にメモが入っていました」
薫子は須藤が書いた生前のメモを担任の長居に渡した。
「須藤くんは一年のころからクラスの男子にいじめを受けていて、5月ぐらいからひどくなりました」
「誰がそんなことを?」
薫子は恍けて聞き返す長居にムッとした。
「澤口慶太くんと金保大作くんと村松兼人くんです。彼らは須藤くんを殴ったり、蹴ったり、首を絞めたり…お金を取ったり…」
「分かった。ところでメモの内容は見たのか?」
「いえ」
薫子は見ていたが、そう答えると長居は安堵するのが分かっていた。
「他にこのメモのことを知ってる生徒はいるか?」
「掃除中に見つけたので、私しか知りません」
「そうか…このメモのことは先生に任せなさい。秘密は守れるかな?」
「秘密?」
「このメモのことは暫く内緒にしていてほしい」
「…でも」
「君はこの件に拘らないほうがいいだろ。下手に関わったことを知られたら、今度は君までがいじめの対象になるかもしれないだろ」
「・・・」
「いいね」
「…分かりました」
薫子は長居に促されて職員室を出たが、何となく違和感を覚えて廊下の物陰から中の様子を窺っていた。すると、長居は立ち上がり、須藤守のメモをシュレッダーに掛けるのが見えた。長居はシュレッダーに吸われて行くメモを見ながら面倒臭そうに溜息を吐いた。薫子は信じられなかった。
長居は溜息を吐いた瞬間、再び異世界に引き擦り込まれた。トイレで和式の便器の前に座っていた。
「おい、須藤。これはおまえが選んだことだよな。おれはちゃんと選択肢を与えてやっただろ。金を払うか、サンドバッグになるか、土下座するかをな。おまえは土下座を選んだ。便器に頭突っ込んで土下座しろ、須藤!」
オレが須藤? 長居が混乱していると、目の前に大きなシュレッダーが現れ、“メモのことは内緒にしろ、メモのことは内緒にしろ” と何度も繰り返しながら長居を飲み込み、切り裂かれる激痛が走った。
長居は汗びっしょりで我に返った。元の校舎の屋上に立っていた。視線を感じて振り向くと、校舎に下りるドアの内側で堺が立ってじっと見ていた。堺は何かを呟いて階段を降りて行った。
「チッ、堺のやつ、何様のつもりだ」
長居は堺が階段から降りた頃を見計らって後に続いた。校舎に入るドアを開けようとしたが開かなかった。
「堺のやつ、鍵を掛けやがって…どこまで陰険なやつなんだ」
仕方なく、携帯で職員室に掛けると堺が出た。
「堺先生、子供じみた冗談はよしてくださいよ。屋上の鍵を開けてください」
「折角チャンスをあげたのに、またシュレッダーに掛けちゃいましたか…そのメモは生徒一人の命を救える重要なメモだったのに」
「何をどうでもいいことを言ってるんだ、君は! いいから早く屋上の鍵を開けなさい!」
「あなたの今居る所は屋上じゃありませんよ、長居先生」
途端に長居に切り裂かれる激痛が走った。“メモのことは内緒にしろ、メモのことは内緒にしろ”という声が響き、長居の顔面にへばり付いたコンクリート一面に血が溢れて行く光景を眺めていた。その血に枯葉が一枚落ちて来た。長居の最期の紅葉見物だった。
〈第7話「片付け屋」につづく〉
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