第5話 おかしな圧力

 花園千佳は、シングルマザーに育てられた。ひとり娘だった母親は、親の会社を継いだものの、親の薦めた夫を迎えたが結婚生活は長続きしなかった。高三の娘の千佳は何不自由ないとは言え、殆ど家政婦の下で育った。

「たまに援交してるよね」

 突然、千佳は同じテニス部で交際している柳沼光太に言われた。

「・・・!」

「本当だとしたらがっかりだな」

「誰がそんなデタラメ言ってるの!」

「・・・」

「麻美でしょ」

「・・・」

「麻美は嘘を吐いてる! 私はそんなことはしていない!」

「そう…麻美が嘘をね」

「私を信じてないのね! 私を信じないで麻美のいう事を信じるのね!」

「麻美の所為にしたいんだろうけど、僕がこの目で見ちゃったんだよ、偶然」

「・・・!」

「…人違いに決まってるでしょ!」

「だといいね」

「麻美は嫉妬してるのよ…それが分からないの? テニスが出来なくなって、マネージャーにまでなってあなたにしがみ付いているのよ!」

 光太は千佳に背を向けて家路に就いた。二人はテニス部入部をきっかけに付き合い始めたが、このところ光太は千佳を避けるようになっていた。千佳は去って行く光太に叫んだ。

「麻美の言うことは信じないで!」

 光太は歩を緩めずにそのまま遠ざかって行ってしまった。麻美とは堀内麻美。テニス部のマネージャーで、千佳と同級だった。試合中の怪我で選手として再起不能になったが、部活ではテニス部のまとめ役として必要とされていた。そのため、クラブ顧問の武藤健蔵に説得されてテニス部に残った。しかし、武藤は癌で入院することになり、顧問が代わって事態は一変した。

「このクソ女…」

 体育館の裏で女生徒がリンチを受けていた。麻美である。

「男子に色目使いやがって…」

 思い切り麻美の腹を蹴ったのは千佳だった。

「もっと地獄を見たいわけね」

 千佳に変わってテニス仲間の上島凛花と後藤美優が暴行を加え始めた。

「殺してもいいわよ」

「そうだな、殺しても良さそうだな」

 その声に振り向いた三人の目は堺の姿を捉えた。

「どうした? 続けろよ。教え子の殺人現場が見れるなんて滅多にないことだ。今日はツイてる」

 麻美は既に虫の息だった。

「何してんだよ。あと少しだろ」

 堺の異様さに興醒めし、その場から去ろうとする千佳たちを堺は制止した。

「逃げんなよ。もうサツ呼んだから、来る前に目的を果たせよ」

 そして千佳たちは異世界に引き摺り込まれた。目の前に数人の警察が立っていた。

「殺人の現行犯で逮捕します」

 千佳に手錠が掛けられた。

「まだ殺していません!」

「まだ?」

「いや、あの…殺していません」

「見たまえ」

 警察が麻美を差した。そこには目を開けたまま動かなくなっている麻美が無残な姿で倒れていた。

「死んでるよ」

「でも、わたしは…」

「詳しいことは署で聞かせてもらいますよ」

「わたしは殺していません」

「殺してないけど、殺させたよね」

 聞き覚えのある声に振り向くと、光太だった。

「がっかりだな」

 死んでいるはずの麻美が起き上がって、光太に寄り添った。

「こいつら殺人犯だよ。それにこいつは大嘘吐きなんだ。わたしを殺させたのも、こいつ」

 その瞬間、千佳が更に別の異世界に引き擦り込まれた。職員室の大橋実盛の前にいた。大橋は武藤に代わるテニス部顧問に急遽決まった教頭である。

「そうか…じゃ、麻美が嘘を吐いてるんだな」

「信じてください、先生! 麻美はわたしが光太と付き合っているのが気に入らなくて、いろいろ嫌がらせをするんです。いじめられているのはわたしのほうです!」

「信じるよ。君は高校最後の大事な試合を控えてる。やっとベストエイトまで残ったんだ。私に任せなさい。彼女にはきちんと謝罪をさせるから」

 千佳は再び元の体育館の裏に引き戻された。汗びっしょりだった。目の前に虫の息で怯えた麻美が転がっていた。

「おまえ、光太にチクったな。覚悟してろよ」

 麻美の息の根を止めようとする凛花と美優を千佳が止めた。

「やらないで帰るの?」

「…ああ。堺のやつに気付かれてる…かもしれない」

「え!」

 凛花と美優は慌てて周囲を警戒した。

「誰も居ないよ」

「…でも、今日はやめておこう」

「千佳がそう言うならいいけど…」

「どうかしたの、千佳?」

 千佳は歩き出した。凛花と美優は腑に落ちない様子で千佳の後に続いた。

翌日、満身創痍で登校して来た麻美は、クラブ顧問の大橋に呼ばれていた。

「とにかく千佳さんに謝ってくれ」

「なんのことですか?」

「彼女は大会を前にして気が立っているようだ。君が謝ってくれれば兎に角丸く治まるんだ」

「どうしてわたしが謝らなければならないんですか、先生!」

「君にも言い分はあるだろうが、今は我慢してくれ。大会が終わったら何とかするから」

「言い分とか我慢とか、先生の言っている意味が分かりません」

「クラブをまとめるマネージャーとして、何とか私の言う事を聞いてくれ」


 千佳と麻美が顧問の大橋の前に立っていた。

「麻美さんから話があるそうだ」

 麻美は苦渋の面持ちで口を開いた。

「ごめんなさい」

 謝罪された千佳の表情は固いままだった。

「ま、これでお互いに今までのことは水に流して、うまくやってくれよ」

 麻美は涙が止まらなくなり、その場を走り去った。彼女はそれ以来、部活動にも出なくなった。学校も休みがちになり、結局、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症して「怖くて学校に行けない」と不登校になってしまった。

 麻美は、随分以前から千佳たちの執拗ないじめに遭っていた。光太の心変わりも麻美の所為にされたが、全く関係なかった。麻美にとってはわけの分からぬまま、顧問の教頭にまで理不尽な要求をされたことで、自分の居場所を完全に失った。

「大橋先生…」

 大橋の帰宅の背中に声を掛けたのは堺だった。

「堺先生!」

「うちのクラスの麻美が不登校になってしまいました」

「麻美さんが? そうですか…部活にも出て来てないんで気にはなっていたんだが、不登校ですか」

「何か心当たりはありませんか?」

「私がですか?」

「ええ、クラブ顧問の先生ですから」

「担任の先生が分からないのに、顧問成り立ての私に心当たりがあるわけないでしょ」

「そうですか…」

 大橋が帰ろうとすると周囲の情景が歪み、異世界に引き擦り込まれた。職員室に千佳を呼んでいる見覚えのある光景だった。

「とにかく千佳さんに謝ってくれ。彼女は大会を前にして気が立っているんだ。おまえが謝ってくれれば兎に角丸く治まるんだ」

「どうして私が謝らなければならないんですか、先生! 悪いのは千佳なんです!」

「君にも言い分はあるだろうが、今は我慢してくれ。大会が終わったら何とかするから」

「ふざけんなよ」

 そういうなり、いきなり大橋は麻美に刺された。心臓を一突きだった。

「わたしのPTSDの代償よ」

 麻美の顔がぼやけ、闇に消えると、大橋は再び帰途の途中に引き戻された。

「何か心当たりはありませんか、大橋先生?」

 大橋はさっきの帰宅の途中と同じ次元に置かれて面喰ったが、体裁を保とうと、自分に起きた異常を必死で打ち消して平静を装った。

「もしかしたら…」

「もしかしたら?」

「麻美さんに謝らせたことで…」

「麻美に謝らせたんですか?」

「大会が近付いていて…」

「いじめられていたのは麻美ですよ」

「麻美さんが !? 千佳さんは、いじめられているのは自分だと…」

「担任の私に確かめもしないで千佳の言うことを鵜呑みにしたんですか?」

「しかし、千佳さんは嘘を吐くような子ではありません」

「彼女が援助交際をしているのをご存じですか?」

「千佳さんが !?」

「不特定多数の男性と…もう一年になるようですよ」

「…そんなはずはない!」

「信じられないでしょう? 大橋先生は自分だけの千佳さんだと思っておられたようだから」

「私と !? 失礼でしょ! 私は関係ありませんよ!」

「男子生徒に見られてますよ、彼女とラブホテルから出て来たところを」

「え !?」

「そのホテルで単に一緒にアルバイトでもしていたんですか? それはそれで問題ですけどね」

 堺は冷たく微笑んだ。


 翌朝、テレビで大橋の逮捕映像が職員室を動揺させていた。ニュースタイトルには“教え子と援助交際”と表示されていた。数日後、千佳は退学処分となった。千佳とつるんでいた凛花と美優にも、援交疑惑が生徒間で持ち上がり、登校できなくなり、いつしか姿を消した。


 学校全体が各スポーツ行事出場を自粛せざるを得ない虚しい季節となってしまった。


〈第6話「メモのことは内緒にしろ」につづく〉

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