第3話 依存したら流される
いつの頃からだろう…いじめを受けているであろう生徒がひとりふたりと堺に相談に来るようになっていた。彼らに共通しているのは、本能でその危険を感じ取っていながら、精一杯の虚勢を張った状態で限界に達している所がある。少しの要因が加われば、即決壊に至る精神状態にあった。
川崎将太はかなり追い詰められていた。将太のような生徒が担任に相談することはめったにない。それまでに既に学校や教師に相談して彼らの保身のためにスルーされている生徒が多いのが現状だ。将太には頼れる保護者も不在だった。母一人子一人でパートに明け暮れる母親を守らなければならないという責任感が将太にはあった。弱音を吐くことは許されないと思っていた。将太がなぜ堺に相談しようと思ったのか…このところ命の危険を感じていたからであるが、今日、ついに将太は噂の河川敷に呼び出されていた。“噂” というのは、河川敷に呼び出されるとリンチされるということだ。最近の亮一は将太への要求が暴走していた。使い走り、万引き、さらには母親の財布にまで手を出させていた。将太は自責の念でこのところ亮一との連絡を絶っていた。部活で親しい先輩の玉川克也が河川敷に来るよう亮一の伝言を伝えて来た。ついにと思った。助けを求めるにも、一縷の望みで堺しかいなかった。“自分は平気なんだけど” と鎧を纏って堺に話し掛けた。
「先生…ボクは亮一くんが死なない限り、いじめはなくならないと思う」
将太は余りにも唐突な自分の言葉に焦った。しかし、担任の堺は将太をじっと見詰めてから微笑んだ。
「先生も同じ考えだよ」
将太は驚いた。堺は何も分からないはずなのに自分の話に同調した。やはり堺先生も他の先生のように調子を合わせて説教でもして誤魔化す気だろうと思った。
「知っているかもしれないが、彼は父親にも母親にも暴力を受けている。この学校に入るまでは執拗な “いじめ” にも遭っていた」
将太はいきなりの堺の情報に驚いた…というより、堺は何故知っているのだろうと意外だった。いつも強気で傲慢なリーダーのあの亮一が、いじめに遭っていたなんて将太には信じられなかった。堺の出任せなのか…。
「君はその八つ当たりで殺されるかもしれない。亮一の君に対するいじめのエスカレートぶりは頂点に達している。次に呼び出しがあれば、君は間違いなく殺される」
堺の指摘は、将太の恐れていることの的を射ていた。堺はなぜ一部始終を見ていたように言えるんだ…誰がこの情報を堺に知らせているんだ…将太は混乱した。
「この世の中には解決しないことが沢山ある。でも誰かが死ねば少しは解決することもある」
将太は堺の言葉に“まさか”と思った。余りにも自分の考えと同じで、その言葉もストレートだ。しかし、その“まさか”はまさかではなかった。
「誰かが死ねば、取り敢えず君の命は守られる。その相手が死ぬまで待ったらどうだ?」
強烈な言葉だった。将太は心のどこかではまだ半信半疑ながら、呼び出された恐怖が勝って堺の助言でその日の呼び出しを無視し、翌日に恐る恐る河川敷に向かってみた。いつもと何も変わりない河川敷だろうと思っていたが、人の気配がした。まさか亮一たちが夕べから夜通し自分を待っていたのかと一気に心臓が爆発しそうになったが、事態は違っていた。疎らに野次馬たちが集まっていたのだ。パトカーや救急車も到着し、異様な様子だった。小走りに現場に近寄って仰天した。河川敷の砂利の上に亮一とその両親の遺体が横たわり、少し離れた場所にはもう二つの遺体が今まさにブルーシートが掛けられるところだった。
将太は学校に走った。一刻も早く堺に会いたかった。
「先生! …あの川原で亮一の死体が…両親も…」
「あ、そう」
堺は平然としていた。
「呼び出しに応じなくて良かったな。これで君は命を狙われなくなって安心だね」
「…あの…先生は知っていたんですか?」
「知るわけないだろ。今出勤して来たばかりだ」
「じゃ、河川敷の死体のことはどうして…」
「ラジオ速報だよ。ラジオは結構情報が早いよ」
「…そうでしたか」
「もし君を殺しても、彼は刑期を終えて数年で出て来る。住まいと名前を変えて元どおり。また君のような犠牲者が出るだけだ。亮一が罪を重ねないためには良かったんじゃないか?」
振り向いた堺と目が合った。すると将太は突然、河川敷の情景に引き込まれた。
将太は必死に亮一に許しを乞うていた。その場には、亮一とつるんでいる二人も居た。克也と亮一の知人の及川大である。彼らは亮一の前で将太に殴る蹴るの暴行を加えていた。将太はどうなってるいのか分からなかった。自分は呼び出しを無視したはずだし、亮一はこの河川敷で両親と死んだはずだ。あれは夢だったんだろうか…
及川が克也を止めて、亮一にカッターナイフを差し出した。二人は及川を凝視した。
「何してんだよ、受け取れ」
亮一は受け取らなかった。
「亮一…怖気付いたのか? おまえ、番張ってんだよな」
亮一は及川の強い口調に仕方なくそのカッターナイフを受け取った。バレーボール部に入部した頃、将太は先輩の克也に亮一を紹介され、すぐに気が合った。亮一は将太を弟のように可愛がった。及川は亮一を見据えたまま無言の圧力を加えてきた。亮一は戸惑いながら克也に振り向き、カッターナイフを差し出した。
「克也、おまえが先にやれ」
克也は強く拒んだ。
「やれ!」
克也はカッターナイフを受け取るしかなかった。そしてゆっくりと将太に近付いた。
「何をもたもたしてんだ、早くやれ!」
及川が狂ったようなけたたましい声で何度も克也を煽った。克也のカッターナイフは血飛沫を飛び散らせながら弧を描いた。克也は及川を睨んだ。
「おまえ…それだけか? 生温いな」
及川はそう言って忌々しげに溜息を突き、面倒臭そうに克也からカッターナイフを取り、また亮一に差し出した。
「やっぱ、おまえが手本示すしかねえだろ」
亮一は無抵抗に受け取り、克也をどかして将太に跨った。将太はとっさに謝った。
「ごめんなさい!」
力ない将太の縋る声を打ち消すように及川が叫んだ。
「思い切り首をやれ、亮一!」
亮一のカッターナイフは、及川の怒声に煽られて思い切り将太の首に振り下された。亮一は顔に血飛沫が飛んで怯んだ。
「何ビビってんだよ、亮一! まだまだ生温いんだよ、てめえら!」
そう叫んだ及川はカッターナイフを奪い取って亮一を蹴飛ばし、血だらけの将太の首にめり込ませた。“アッ” という呻き声をあげて全身の痙攣が始まった。満足げな及川が立ち上がった。将太は無惨な姿で転がされたまま動かなくなった。
将太は地獄の苦痛から引き戻された。目の前には堺が居て話の続きをしていた。
「…亮一が罪を重ねないためには良かったんじゃないか?」
話の続きじゃない。堺のその言葉はさっき既に聞いている。将太は慌てて何かが流れる首を押さえた。汗びっしょりだった。その上、悪寒がしている。今何が起こったんだろうと思いながら混乱していた。
「見たか?」
「え!?」
「亮一が生きていた場合の君の未来を見て来たか?」
「あの…」
「この世界はひとつじゃない。混在している。人はそのどれかを選んで今を生きている…いや、死ぬ場合もある。他人に依存している者は選択力が弱いんだ。依存したら流されるぞ」
やはり堺先生の何かの力だったのか…しかし、将太は考えないことにした。母に会いたかった。
ひと月もすると河川敷の遺体現場は、また雑草が生えて鬱蒼となった。
〈第4話「おかしな圧力」につづく〉
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