第2話 あなたも自殺するのよ

 住まいが同じマンションの杏奈と松本朋子は、心地よい風のそよぐ屋上に居た。杏奈の一件は片付いたが、残党が解散したわけではなかった。杏奈の背景に教諭である父親の堺が存在することが歯止めになっただけで、いじめの矛先はより弱いと判断された杏奈の同級生である朋子に向けられ、その集中砲火は更に激しいものになっていた。


 いじめは頭が消えてもその下で蠢いていた連中の再結成によって伝播される。その手口はより周到になり、表面的には見え難くなる。時が経つに連れて“いじめ” と判断し難くなる。

 今現在のいじめの被害者となっている朋子は、たまたま杏奈と隣席で会話する機会も多かったことで、『五人の女性徒集団焼身自殺』の記事で片付けられたリーダー格の佐内涼、そして上原麗菜、金森美春、倉島結、小金沢君華の犠牲の戦犯として仕立て上げられていた。

「杏奈の次はわたし…」

「涼たちが集団自殺してから、あいつらわたしには目すら合わせなくなったわ」

「怖いんじゃない?」

「わたしが犯人だとでも思ってるのかしら」

「杏奈にはお父さんの睨みが効いてるんだと思う。きっと杏奈を焼き殺そうと試して罰が当たったのよ。いい気味だわ」

「でも、あいつら父のことバカにしてたわ」

 朋子は首を横に振った。

「いいえ、気味悪がってたのよ…あ、ごめんね。悪い意味じゃないのよ。だって他の先生方はこの教室の荒れ方を目の仇みたいに嫌がってたのに、堺先生は違ってた」

「どう違ってるの?」

「寧ろ楽しんでた感じ。てめえら自業自得で潰れろ的な…涼たちは堺先生を油断してなかったと思う」

「今までそんなこと思ったことない」

「あいつらの本能よ。危険な相手の臭いはすぐに嗅ぎ付けるのよ」

「わたしの代わりに、今度は朋子が随分ひどいことされてるね」

「想像よりきついね」

「いじめ…どんなことされた?」

「人間否定ね。杏奈がいじめられている時、私は何もしてやれなかった。自分が今その立場になって…いろんなことされた。杏奈、つらかったよね。頑張って頑張って私…限界に来ちゃったかな。毎日どうやって死のうかと思ってる。あいつらを困らせたい…」

「わたしもそう思ってた。でも父は、そんなことしたら相手の思う壺だって…」

「そうかな」

「あいつらの目的は、気に入らない相手を自殺させることよ。あいつらにとっては、そういうゲームなのよ」

「ゲーム? …ひどい」

 杏奈の視線はふと屋上に残る灯油の焦げ跡を捉えていた。心が痛かった。杏奈は父親の不思議な力で救われたことなんて言えなかったが、父なら何とかしてくれるんじゃないかと思った。

「父に相談してみたら?」

「堺先生にとって、わたしは娘じゃない。先生は杏奈が娘だから…」

「でも、このままならあいつらの思いどおりよ。そんなこと絶対駄目! 騙されたと思って…」

 朋子は杏奈に託した。杏奈は放課後、朋子を連れて父に事の仔細を話した。堺はゆっくり頷いてから、朋子に視線を移した。

「松下さん…あなたの前に現れたリーダー格に一言だけ言いなさい。“あなたは今日、自殺するのよ” と。そしてニッコリ微笑んで、すぐにその場を離れなさい」

 もちろん朋子にその真意など理解できるはずもない。杏奈も意外だった。堺が具体的なことを言ってきた…が、その意図が全く分からなかった。不安で杏奈を見ると、朋子に強く頷いた。朋子は堺の言う意味が分からなかったが、杏奈の頷きでそうすることにした。


 堺の言ったことは早くも次の日の登校時に起こった。登校中の朋子の進路を佐内涼たちの二軍だった長谷川莉奈たちが塞いできた。莉奈の他には金井玲、藤森澄香が顔を揃えていた。彼女たちは所謂、涼の “実行部隊” だった。彼女の指令でいつも手を汚していた連中である。佐内の陰湿さに加え、見るからに凶暴さが加わっていた。

「また来たの?」

「・・・・・」

「もう来るなって言ったじゃない」

朋子は堺の言葉を思い出し、勇気を奮い搾って声を発した。

「私の自由です」

「おや、今日は随分と強気ね」

「あなたは今日、自殺するのよ」

 たどたどしかったが、莉奈たちは朋子の言葉に大きな反応を示した。

「何だと!」

「聞こえなかったかしら…あなたは今日、自殺するのよ」

「あんた、頭おかしくなったんじゃない?」

 莉奈たちは朋子の意外な言葉にあっけに取られて笑い始めた。朋子は必死にニッコリ微笑んでその隙を突いた。

「遅れるから」

 莉奈たちが塞いでいる間を強引に擦り抜けて校舎に走った。緊張で息が止まるかと思ったが達成感があった。

突然、莉奈は街の繁華街の情景に引き込まれた。目の前にはいちゃいちゃした壮年カップルがラブホテルに入るところだった。一瞬男の顔が見えた。

「…パパ!」

 男女はホテルに入って行った。更に時間経過後の情景に引き込まれた莉奈は、ひとりホテルの出口から死角に立っていた。いつの間にか玲と澄香は消え、その手には見覚えのない登山ナイフが握られていた。

 莉奈の父親たちが周りを気遣いながらホテルから出て来た。父親は莉奈に気付かず女とは別の方向に歩き出した。莉奈は迷ったが、女のほうを付けた。

 人気の無くなった路上でめった打ちに刺された女が目を剥いて息絶え、傍には返り血を浴びた莉奈が立っていた。彼女は徐に歩き出し、通っている校舎の屋上に辿り着いた。そして、今夜はやけに煌々と輝く月を眺め、そのまま身を投じた。

突然、莉奈は引き戻された。汗びっしょりだった。

「どうしたの、莉奈?」

「え?」

 元の登校途中だった。玲と澄香が怪訝な顔をしていた。

「ひどい汗…具合でも悪いの?」

「見たか?」

 目の前に堺が立っていた。

「先生 !?」

「君の未来を見たましたか、長谷川莉奈さん?」

 玲と澄香は、わけの分からないことを言っている堺を睨み付けた。

「この世界はひとつじゃない。このまま粋がってるとそうなる」

 堺はそう言って校舎に入って行った。

「何言ってんの、堺のバカは?」

 放課後、莉奈は “あの” 街にいた。引き込まれた情景のラブホテル街は莉奈の中学時代の黒歴史の場だった。そして驚いた。周りを気遣いながらホテルから父親が出て来た。同伴の女とはすぐに別れ、別々の方向に歩き出した。

「パパ…」

女を付けて行こうとすると、自分の手には登山ナイフが握られていた。

「いつの間に…同じだ」

莉奈は躊躇したが衝動を抑えられずにそのまま女を付けた。朋子の言葉が蘇った。

「あなたは今日、自殺するのよ」

次の瞬間、莉奈は女をめった刺しにして、学校の屋上から飛び降りる映像が蘇った。

「どうなってるの !?」

気が付くと自分が血まみれで倒れていた。首元を流れ出す流血に月が現れた。その先に登山ナイフを握った女が立って叫んだ。

「あなた…なんなのよ! これ違うでしょ!」

莉奈は必死に叫んだが声にならなかった。突然、女が莉奈に登山ナイフを投げ付けて、血の月が弾けた。

「あたしに何の恨みが…あんたが悪いのよ!」

 女はそう叫んで走り去って行った。

“これ…違うじゃない”…遠ざかる女の姿が闇に消え、莉奈は息絶えた。

「どうかしたの?」

 莉奈が我に返ると目の前に堺が立っていた。

「・・・!?」

「ボーっとするのは授業が終わってからにしてくれよ」

 堺は冷笑して再び教科書を読み始めながら教壇に戻って行った。莉奈が視線を感じて振り向くと朋子とも目が合った。その目は “あなたは今日、自殺するのよ” と語っていた。そして、堺と同じように冷笑して莉奈から目を背けた。


 放課後、莉奈は授業中の憂さを晴らすかのように、仲間とカラオケで荒れていた。

「あたし今日、自殺するんだって」

 莉奈はどうしてもこだわりの消えない “あの街” に二人を連れて出た。闊歩する彼女の足が急に止まった。 “あのホテル” から自分の父親が浮気相手とイチャ付いて出て来る未来の緊迫感にフリーズしていた。

「…どうしてここに」

「あそこから父親が浮気女と出て来るの」

「え!?」

 父親と女はすぐに出て来た。莉奈は衝動を抑えられなくなった。

「…誰かナイフ持ってる?」

 玲が登山ナイフを出した。

「こんなのしかないけど…」

 “あのナイフ” だった。

「どうして…どうしてこれ持ってるの!」

「身を護るんで…前から持ってるの知ってるでしょ?」

莉奈はそのナイフを玲から奪い取って構えたまま女に突き進んだ。女はその刃先をとっさに交わした。同時に女を庇った父親の腹に刺さった。父親は崩れながら、ナイフを刺したのが自分の娘だと気付いた。

「莉奈…どうしてここに…」

「パパ…あんな女をなんで庇うのよ!」

 莉奈は逃げる女を追った。あっと言う間に追い付いて揉み合いになった。莉奈の腹部にナイフが刺さっていた。

「正当防衛よ…あんたが悪いのよ」

 そう言って女は逃げ去った。 “これも…違うじゃない”…莉奈はそのまま崩れた。そしてあの時と同じように遠ざかる女の姿が闇に消えた。莉奈はそのまま息絶えて目覚めなかった。


 翌日、教室の莉奈の机には花が手向けられていた。何もなかったように堺の授業が続けられていた。後ろの席の玲が視線を感じて振り向くと、朋子と目が合った。氷のような冷たい目をしたその口元が動いて何かを語っていた。“あなたも今日、自殺するのよ” と聞こえた気がして玲は慌てて目を逸らした。その日以来、玲は朋子に会うと“その声”が聞こえて来た。そして、何日後かには玲の姿が学校から消え、残党グループ自体が崩壊した。玲のいじめ仲間の藤森澄香は転校して行った。転校先では引籠りとなった。澄香にも朋子の“あなたも今日、自殺するのよ”という声が聞こえ続けていた。


 杏奈と朋子が通う校舎への並木道の地面には、時折思い出したように鳴く蝉が転がっていた。


〈第3話「依存したら流される」につづく〉

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