第25話 緋本さくらの返還
来道が懸念していたことが現実になった。ネットが炎上し、緋本さくらのバッシングが始まった。拉致被害者のシンボルでもあった緋本さくらの日本滞在は最早不可能な状況に陥った。
当初、北朝鮮はなぜ緋本さくらを日本に返すことに偽の遺骨まで提示して嘘を吐いたのか疑問視された。
かつて家康は豊臣政権時の戦後処理を急ぎ、朝鮮との国交復活を仲介役の対馬藩に依頼したが、その折、朝鮮から出された条件は交渉が破綻すると判断した対馬藩は、改竄の書簡と要求された王陵を暴いた偽の犯人を “家康の国書” であり、“真犯人” であるとして朝鮮の要求に対して偽装した過去がある。そうした17世紀からの積年の恨みであるわけもなかろうが…。
偽の遺骨のDNA検査で嘘が公になるとも知らず、北の傀儡政府である韓国誌も薬物の過剰投与による死亡を報道していた。しかし、大韓航空機爆破テロ犯の工作員が緋本さくらの生存を証言したことで、様々な事実が表面化してしまった。
緋本さくらは工作員教育に深く関わり、金正日一家の日本語教師をしていたことも明らかになった。驚くかなその時既に緋本さくらには夫と子供もいたのである。そして離婚。その後も変わることなく緋本さくらと金正日一家との繋がりは続いていた。
その状況下での “救出” は奇跡であった。しかし、拉致被害者のシンボリックな存在として扱われた緋本さくらの現状に、国民感情は拒否反応を起こし、ネット上での炎上となって表われた。
特務機関に於ける緊急会議が再び開かれた。前回と同じく菅原幹事長以下が顔を揃えていた。
「一ヶ月以内に緋本さくらを送り帰さなければ攻撃するといってきました」
「ネット炎上の背景は恐らく北朝鮮であろうが…」
「寧ろ支那が…北は支那の後押しで急ピッチに復旧を遂げています」
「既に緋本さくらの刺客も送り込まれているだろう。一ヶ月以内に緋本さくらの命を絶ち、攻撃に転じるつもりだ」
「緋本さくらの奪還より、日本攻撃にメリットがあると判断したか…」
案の定、深刻な事態が起こった。保身議員や天下り官僚ら小者への “試験的” テロ活動から、そのターゲットが政府の重要人物へと本格化した。厚労大臣が暗殺され、北朝鮮が犯行声明を発した。
「緋本さくらを返還せよ!」
1990年代の初め、北朝鮮の金正日政権が体制崩壊の危機に瀕した時、日本政府が大量の難民受け入れを準備したことは国民の知るところではなかった。以来、今日に至るまで生活の困窮が続く北朝鮮国民には、日本にその未来を託す願望が刷り込まれたかもしれない。しかし、金正日はその国民感情を利用して日本の侵略支配を企てていたのだ。一般国民の暴走に乗じて、そこに工作員候補を大量に忍び込ませ、日本からの迎えの指示を出し、日本侵略の日まで工作員を育てながら機が熟するのを待っていた。その後、核開発を手に入れた北朝鮮は崩壊の危機を脱したが、金正日は日本侵略の企ては息子・金正恩の代へと継続している。未だに日本海岸には難民と偽装難民の漂着が年間何百と辿り着いている。殆どの要人から荒唐無稽と思われていたこの企てが、現実となってその政府の重要人物たちに牙を剥き始めたのだ。
翌未明、今度は経産大臣が暗殺された。恐れていた北朝鮮の犯行声明が再び届いた。
「緋本さくらを返還せよ!」
日本のセキュリティの杜撰さが露呈された形だが、それだけ北朝鮮の工作部隊が日本政府に深く浸透していたという事だ。政府は一刻を争う事態に追い込まれた。いや、追い込まれていた侵略を守銭奴議員どもが黙認し続けたのだ。楢岡特務機関総長が岡本朔太郎に要人警護の打診をした。
「我々は日本国家に命を捧げる御方に対しては、この命を賭して警護致します。本来、我々の仕事は不当にいじめを受ける者の救済です。保身に走る余裕がある方への関与は致しません。もし私から藤原来道氏に依頼することを期待しているのでしたら、それは楢岡総長から直接お話しいただくしかありません」
楢岡は来道に連絡したが岡本と同じような返答だった。来道は緋本さくらの返還には応じると答えたが要人の安全には関与する裁量はないという返答だった。緋本さくらの命を狙う北朝鮮工作員の包囲網が愈々狭まり、早急な返還しか事態収拾の方法がなくなった。北朝鮮の日本攻撃のシナリオに王手が掛かった。岡本や堺ら『片付け屋』の陰ながらの警護で緋本さくらの安全は辛うじて大事に至らずにいたが、このままでは彼女の命の保証はなくなっていた。
「日本が北朝鮮にいじめられている。これに関しては『片付け屋』の出番のようね、お父さん」
岡本は堺父娘に特命を出していた。堺の娘の杏奈は既に父とタッグを組み、『片付け屋』のスタッフとしてプロの遺伝能力を発揮して来た。
緋本さくらの受け渡し場所が決まった。彼女を無事に北朝鮮に返還することで取り敢えずは緊急事態回避できる可能性はあるが、北朝鮮の本意はそこにはない。しかし、政府は返還を急いだ。
その情報が漏れた。現施設に残されている反乱分子の中野秀子らが騒ぎ出し、警護の岡本を捕まえて執拗に同時帰還要求を詰め寄った。
「北朝鮮に我々はいつ帰してもらえるのですか?」
「北朝鮮の意向を確認した上で希望者は順次移送します。現在のところ、あなたの移送要求はありません。今回は緋本さくらさんのみの移送となります」
中野を黙らせたのは岡本だった。
予備自衛官の猪瀬林太郎は、来道の護衛のもと、緋本さくらを乗せた移送機C-1の操縦桿を握っていた。領海から限界距離200海里の排他的経済水域に差し掛かると、レーダーに北朝鮮軍機らしき機影が確認された。猪瀬は警戒した。本来であれば自国領への誘導と考えるが、猪瀬の予想は的中した。北朝鮮領海に入った途端、その “無国籍機” は攻撃を仕掛けて来たのである。猪瀬は航路を180度転換し、攻撃をかわしながら日本の排他的経済水域に進路を戻した。しかし、北朝鮮の攻撃を受け、C-1は大破した。同時に射程圏内のイージス艦「あしがら」からミサイルが発射され “無国籍機” 2機も大破の憂き目となった。猪瀬らは墜落寸で脱出し、「あしがら」によって収容された。しかし、全ては北朝鮮の思惑通りとなってしまった。
「さくらさんは、もうこの世の人ではないのよね」
そう言う杏奈の前に微笑む緋本さくらがいた。杏奈は緋本さくらの選任護衛としてその裁量を遺憾なく発揮していた。堺父娘の読みで彼女は移送機には元々乗っていなかった。そして墜落後、緋本さくらは戸籍上「死亡」となった。遡る事、緋本さくらの北朝鮮移送の決まった日、堺父娘は読んでいた。
「お父さん、あの計画…失敗するね」
堺父娘には、緋本さくらを移送するC-1が被弾し、彼女を護衛の来道が必死の脱出を試みる中、海面に激突する光景が見えていた。
「どうするの? このまま放って置くの?」
「岡本社長の計画を実行する」
取材区域制限の外から遠巻きに取材する報道陣の望遠カメラが、C-1が待機する滑走路に向かう空軍一行を追っていた。緋本さくらと三人の移送隊が機に乗ったのを確認した護衛ジープはC-1から離れた。間もなくC-1は滑走路を滑り出し、離陸した。
「緋本さくらさんを乗せた空軍機が北朝鮮に向かって飛び立ちました。これで日朝の対立は治まるのでしょうか」
機内でマスクと帽子をとった緋本さくらは、実は来道の部下・金森みどりだった。機長は拉致被害者藤原班の救出にあたったF-22プラスターのフライトリーダーだったあの猪瀬林太郎。副機長はその時に別班で救助にあたった石丸清二だった。
「藤原さん、すぐに準備をお願いします」
「わかった。装備を付けるぞ」
自衛隊の服装をした藤原来道がみどりに脱出用パラシュートの装着を指示した。岡本は北朝鮮の攻撃を前提としてこの計画を立てていた。攻撃がなかった場合は後発の移送機の準備が成され、緋本さくらは漆原と堺、そしてC-1輸送機部隊に居た野崎の操縦で飛び立つことになっていた。
C-1は北朝鮮領海に入った。北朝鮮爆撃機2機が機影を現した。
「お出でなすったか」
猪瀬と石丸に緊張が走った。H-6Kである。北朝鮮の国旗が描かれていないがH-6Kは支那空軍戦略爆撃機のはずである。
「藤原さん、脱出の準備を!」
脱出を待っていた来道と緋本さくらに変装した金森みどりに猪瀬からの声が掛かった。H-6KはC-1の後方に回った。猪瀬は攻撃を待った。H-6Kからの交信がない不気味な時間が流れた。そして攻撃が始まった。猪瀬は急旋回をし、H-6Kの後方に回った。
「藤原さん、今だ! 脱出!」
「了解!」
来道と金森はC-1から脱出した。H-6Kも大きく旋回してC-1の上空から攻撃を加えて来た。H-6Kは、日本の領海へと進路を変えて蛇行しながら攻撃を避けるC-1に執拗に攻撃を加えた。ついに右翼に被弾し、バランスを失って不安定な飛行になったC-1にH-6Kからミサイルが放たれた。猪瀬は射出座席のレバーを引かざるを得なかった。
報道が一斉に緋本さくらの死亡を報じた。日本政府は北朝鮮に対し、この暴挙に対する “遺憾” を表明したが、それに対する返答は「我が軍の攻撃に因るものではない」だった。それはそうだろう。支那の戦闘機が仕掛けた攻撃であることは明白だった。その応答を確認するやイージス艦「あしがら」から2機に対してミサイルが発射され、“無国籍機” は海の藻屑となった。
日本列島を取り巻く政局が一時的に鎮静化した。すると、国家の舵取りを担っているはずの要人らは再び保身と我欲に余念がなくなり、その為体を拝んだ腐れ官僚のほくそ笑みが復活した。
高倉は政界を引退して、予てからの夢だった映画製作の事業に乗り出しワイドショーの苦笑の話題となった。ただ、国営放送のちゃんねる枠が認可されたのは高倉の働き掛けによるところ大であった。そのことは結果的に民放化するNHK離れを助長する結果にもなった。
総理となった五之上は、“緋本さくら死後” も次々と北朝鮮の毒牙に掛かる保身議員には目もくれず、、山口、秋田やその後の攻撃対象となった日本海側の被害現場の復旧を最優先にして陣頭指揮を執った。反面、北の工作員は日本軍のスナイパーの働きで減少の一途を辿って行った。縮小されていた福島の復興計画を改めて復活させた。復旧・復興には造船所の開発や戦闘機の国内生産の産業を取り入れ、地域おこしのための起爆剤とした。市民団体や野党はこぞって軍需産業の危機を訴えたが「近隣諸国のミサイルが日本を向いている中にあって、無責任な発言は慎まなければならない。皆様の協力を求める」と、頑として受け付けない姿勢を貫き続けた。
かつて与党に寄生して支那への忖度を繰り返し、護国の足を引っ張り続けていたカルト党は、応援母体のカルト学会が三派に割れたことで崩壊の憂き目に遭っていた。支那は経済破綻と新型コロナの第三波、四波に喘いでいたが、その横暴な外交が染みついた国に手を差し伸べるものはいなかった。新型コロナの発生源でありながら、その初期対応の無責任で悪質極まりない隠蔽の実態が次々に露呈し、世界を敵に回した支那共産党は内部扮装による地獄絵図が繰り広げられ、瓦解の泥沼にあった。支那の傀儡となっていたWTOやWHOは破綻し、米欧日を中心とする新国連の形も定着し始めた。
北朝鮮は、日本政府に於ける要人テロとは言え、その実はかなりのゴミを掃除した結果となり、皮肉にも新日本政府には追い風となった。空転続きの国会も、やっとまともさを取り戻しつつあった。
〈最終話「ファンタジーの幻影」につづく〉
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