第9話 幸せな元いじめ加害者
学校でいじめを受けて成人になり、不安障害、パニック障害、うつ病などの精神問題を長期的に抱えるケースが多いことが分かっている。そうした問題が起こっていることはいじめ加害者の心にはなかなか届かない…と言うより、彼らにはそうした問題を受け付ける裁量はない。
いじめについての意識調査を実施したところ、半数以上が「いじめた人がいじめ返されるのは仕方がない」と回答していることからも分かるとおり、いじめ被害者は加害者に対して6人にひとりが復讐を実行している高い率である。
いじめ被害者は、いじめられた内容は恐怖とともに事細かに記憶しており、一生忘れることが出来ない深い傷となって残っている。彼らが大人になって暮らす今、いじめ加害者に対して抱く憎しみは、“いじめて申し訳ないなどと、これっぽっちも思っていないだろう、いじめたことを覚えていたとしても、冗談でからかっていただけだ。イラつかせる側が悪い。いつまでも根に持っているほうが異常だ”などと思われている自覚がある。そして、それはほぼ的を射ており、いじめた側はその良心に届かせないための “言い訳の防御壁” としていじめの行状は既に葬り去った忘れるべき遠い過去のものとなっている。
いじめには「元被害者の加害者」と「純粋な加害者」の二種類がある。前者は長期的な精神問題と健康問題を抱えており、後者は、いじめることを自己に対する恩恵と考え、その代償を支払わなければならないなどとは考えない。そして他者より精神的にも身体的にも健康なのだ。しかし、その彼らは後々、健康面以外で問題を抱え、反社会行動を起すリスクを抱える。
堺は、元被害者にとっていじめに時効はなく、その代償を加害者自身に払わせない限り、被害者にとっては罪のない不当な呪縛から解放されることはないと考えていた。今起こっているいじめを解決することも大切だが、大人になってその呪縛に苦しんでいる被害者のほうがより緊急事態であるという考えが日を追って強くなっていた。
岡本に連絡を取り、「片付け屋」の意向に踏み込んで確認したかった。岡本は堺の話に不敵な笑みを浮かべた。
「早かったですね。さすがは長く教鞭を執られていた方だ。要するにそこに行き付くんですよ」
自分の出す結論を読んでいた岡本に、堺は若干の寒気を覚えた。しかし、胸に手を当てて見れば、自分の普通ではない能力も、他人から見れば不気味以外のなにものでもなかった。
「現場で今起こっているいじめ解決も大事ではありますが、過去のいじめ被害者の救済は、犯罪防止の意味からも急を要します。いじめ加害者の罪は帳消しになる一方で、元いじめ被害者が刑を受ける “理不尽” な犯罪者に成り得ることは防がなければなりません」
岡本は資料を用意していた。
「新規の依頼を受けていただいたばかりですが、受けてみますか、この依頼も」
堺は岡本の置いた資料の入った封筒に目をやった。
「お受けいただけるなら、ご連絡ください」
岡本はそう言って去って行った。暫く封筒を見詰めていた堺だったが、その手は勝手に封を開けていた。資料の中にはふたりの子どもと幸せそうに映っている女性の写真が入っていた。彼女は鮫島萌愛。いじめ加害者である。被害者は磯谷里香。里香は中学に入って間もなく、鮫島萌愛からいじめ被害を受け始めた。
成人して年月が経った今、里香は摂食障害と対人恐怖症に襲われ、長い引籠り生活を送っていた。向き合うのはパソコンだけのある日、たまたまインスタグラムでいじめ加害者である鮫島萌愛がヒットした。結婚して息子や娘との幸せそうな写真がアップされていた。強い吐き気と怒りと恐怖が混然と理香に襲い掛かった。いじめていた事などなかったように幸せそうに生きている萌愛を見ているうちに、復讐心が蘇り、取り憑かれてしまった。自分を階段から蹴り落として爆笑した萌愛の顔が何度となくフラッシュバックした。
苦しみを乗り越えるために、これまで何度もカウンセラーの指導を受けた。“そう言う人にはそのうち必ず天罰が下る”と諭されて十年経った。何も変わらない。天罰が下るという根拠がどこにあるのか…きれいごとなど並べ立てられても意味がなかった。幸せそうな今の萌愛を見て、時任せではなく今すぐ自分のこの手で復讐するしか抑えようのない衝動に駆られた。
しかし、行動に移すと自分の家族が哀しい思いをする。それだけではなく、犯罪者の家族としての苦しみをその大切な家族に一生背負わせることになる。そのことが分かっていても、もう自分で自分を押さえられなくなっていた。里香は一縷の望みを持って“片付け屋”に連絡を取った。というのも、“片付け屋” は口コミによって成人したいじめ被害者の間にかなり浸透して話題になっていのである。
岡本はそうした彼女の依頼を持って来たのだ。堺は依頼を受けることにした。すぐにいじめ被害者の磯谷里香に連絡を取った。
「抑えられない衝動は理解できますが、その前にやっていただきたい事があります」
「何でしょう?」
「取り敢えず、“警告”だけなら出来ます。それで様子を見たいのです」
「脅迫にならないでしょうか?」
「思い出話です」
里香は堺の助言を受け入れた。
萌愛は突然の手紙に驚いた、十年以上も経っている。半ば忘れていたことが事細かく “楽しかった思い出” として手紙にびっしりと書かれていた。その内容を思い出せないことすらある。相手はそれを今日まで背負っていたのかと、その日から後悔のようなものと、言い知れない腹立ちと不安が心を覆った。
一ヶ月が経った頃、萌愛の家に電話が入った。娘の幼稚園予約の取消しだった。萌愛は理由を問い質したが、はっきりした返答はなかった。可笑しなことは次の日も続いた。夫の転勤である。閉店が噂されていた地方支店への転勤だった。数日も経たぬうちに今度は萌愛の母親から電話が入った。
「お父さんが交通事故で!」
萌愛の母親はそのまま電話の向こうで泣き崩れた。萌愛の心は折れた。里香からの手紙を思い出し、後悔と苛立ちが消えて、腹立ちだけが残った。一連の経過には里香が絡んでいるという確信すら持った。
その頃、堺は再びいじめ被害者と会っていた。
「ご依頼を受けてからいろいろ調査しておりましたが、お子さんの予約取消しやご主人の遠方への転勤だけでなく、萌愛のお父上が交通事故でお亡くなりになりました」
「事故で !?」
「ブレーキとアクセルの踏み間違いのようですね。ご高齢ですから…」
「…そうですか」
「私どもではまだ何も動いていません。あなたはどうですか?」
「わたしはお任せしたままです。相手のご不幸などは私には関係ありません。本当です!」
「分かっています。こちらも調査しておりましたから、あなたが関与していないことは分かっています。不幸な偶然です。カウンセラーの方の仰ったとおりになったのではありませんか?」
「…もう、遅いです。私の気持ちは変わりません」
「確認のために伺っただけですからお気を悪くなさらないでください」
堺の言葉に里香はほっとした。
「彼女には十分に天罰が下っていると思うんですが…」
「萌愛への天罰と私の意志による目的は関係ありません」
片付け屋の仕事はこれで終わったわけではなく、依頼者の意志を確認したこれからが仕事である。やはりターゲットを消滅させることでなければ被害者は決して報われないのだ。それを依頼者に再確認したのは、天罰ではない自分の意志による苦痛からの脱出の自覚が大事だったからである。
半年後、鮫島萌愛は母校の階段で死体となって発見された。郷愁で訪れたであろう春休み中の事故だった。その階段は里香を蹴飛ばしていじめた母校の階段だった。
その階段の踊り場の窓から覗くグランドは、もうすぐ4月だというのに、しつこい根雪が覆っていた。
〈第10話「虫唾が走るね」につづく〉
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