第19話 ラオスのホテル

 樹木の青葉が賑やかになる頃、岡本夫妻は新居に引っ越した。会社に黒岩から連絡が入っていた。高校生の変死体が発見されたという。いじめの加害者である。該当する依頼者に心当たりがないか問い合わせて来た。

「どうします?」

 『片付け屋』には加害者側からの依頼は殆どない。確かに該当する事案の被害者・小西新太郎の父親・雅彦からの依頼はあった。片付け屋が調査中の案件である。まさかその加害者の高校生の死に被害者の父親が関与しているのではという一抹の疑念は過ったが、とにかく今は “役に立たない” やつで通そうと思った。

「電話代わろう…岡本です。先日はお世話になりました。ご依頼者の個人情報の問題もありますが、黒岩さんのことですから…ただ、お問い合わせの件ではうちには該当者はいませんね。もし当事者から依頼があったら連絡しましょうか? 該当者のお名前をもう一度確認させて戴いても宜しいですか?」

 話し終えると岡本は静かに受話器を置いた。この事案は調査を進めるに連れ、岡村の思っていたより教育現場が「法令遵守」を謳う教育監理会にどっぷりと支配されていることが分かった。法令を遵守すれば必然的に被害者に不利な結果が待っている。いくらいじめの芽を抹消しても、この組織が存在する限りいじめを根絶やしにすることは不可能であると判断された事案である。

 『片付け屋』の本来の目的はいじめの根源を壊滅させることにある。ただのいじめ解決会社の風を装い続けているが、岡本の真の狙いは他にあると見ていた黒岩は、ここに来て厄介な存在となって現れたわけである。運営に関する資料は絶対に外部に漏らすことは出来ない。しかし、この件は黒岩にある程度の協力を示さないと今後の依頼の障害にもなりかねない。

「堺くん、ラオスには行ったことあるかね」

「ラオス?」

「首都のビエンチャンから北のルアンパバーンまでドライブに行ってみる気はないかね?」

「…観光ですか」

「漆原君と一緒に…」

 堺はピンと来た。観光であるわけがない。ここに来て岡本のターゲットは徐々に “何か” 大きなものに向かっている。堺自身が漠然と向かっている方向と同じ気はしていた。

「いつですか?」

「日取りが決まったら行ってもらうかもしれない」

 兎に角、先に今回の依頼者である小西雅彦の関与を明確にしておかなければならない。


 芦川と野崎は黒岩に感付かれないよう既に詳細の調査を完了していた。それによると、変死体で発見されたのは新太郎へのいじめ加害者生徒・上島優。いじめ被害に気付き、雅彦はすぐに加害者両親と学校を相手取り訴訟を起こしたが、案の定、証拠不十分で棄却された。そのことで前途を悲観し、新太郎は午前1時半ごろに自宅マンションの屋上から飛び降り自殺したのだ。特別支援学校の高校1年生だった。

 新太郎へのいじめは入学直後から始まった。無視、持ち物への破壊行為が続き、新太郎は担任にSOSの手紙を何度も書いて渡したが、事態は一向に変わらなかった。

 或る日、彼は自宅で2度の自殺を図ったが、いずれも一命は取り留められていた。この時点でやっと家族の知るところとなり、我が子を預ける他の保護者らも騒ぎ出し、学校側は仕方なく無記名の調査を行った。しかし、「いじめは認められなかった」という学校からの “お題目” が小西家に入った。強い絶望感に襲われた新太郎は近くのマンションの3階から飛び降り、今度は全身打撲で車椅子の生活になってしまった。

 父親の雅彦は更に訴訟を起こした。そして後日、また証拠不十分で棄却されたその日、新太郎は午前1時半ごろに自宅マンションの屋上に出た。動かぬ足を引き摺り、必死に柵にしがみ付き星を見た。もう自分の道はなかった。そして、そのまま闇に身を投じたのである。「教育監理会は、大ウソつきだ。上島優を守ってウソを吐くように教えている。いじめられたぼくのほうが、なぜこんなにも苦しめられなきゃいけない。ぼくは、なんのためにこの学校に通ってる。なんのために生きなきゃならないのか分らなくなった」という遺書を残していた。

 彼の死後、担当の指導課長は「早く本人から聞き取りをしたかったが、聞き取りによって恐怖がフラッシュバックすると言われて、今まで聞き取りができませんでした。重く受け止めております」と回答した。それに対して「恐怖がフラッシュバックすると言ったのは本人ですか? それとも別のどなたかですか?」という取材記者の質問に対して指導課長は無言を貫いた。こうした一連の流れは、この特別支援学校の “完成” されたマニュアルになっていた。

 市の教育監理会は、裁判に於いて法の欠陥だから守らなくていいと主張だ。学校も教育監理会も加害者擁護すら口にして、一切の良心的対応をしないことに、被害者側だけでなく保護者ら全員が絶望している現状だった。この学校に於ける同例で、市には係争中の事案が数件あり、既に卒業した元在校生との係争中の裁判の事案もあった。しかし、これまで一例として被害者側を勝訴に導いたものはなかった。確信犯と同類である。

 芦川がポツンと呟いた。

「気になるんです。“教育監理会は、大ウソつきだ。上島優を守ってウソを吐くように教えている。” というのはどういう嘘を教えたんでしょうか…」

「当然、生徒たちからも聞ける状況にはなかったからな」

「生徒が率先して嘘を吐くとは思えない。その加害者生徒は変死体で発見された。嘘を吐かせなければならなかったのは、奴らの保身のためだ」

「…ということは、それを彼が他言する心配が生じた…」

「雅彦氏より教育監理会のほうが臭いということですね」

「黒岩はどう睨んでいるんでしょうね? 岩田の仇を討ちたいほど教育監理会に深く関わる間柄だったとは思えないんですが…」

「連中の研修旅行のラオス行きが買春ツアーであることがバレタとか…」

「なるほど! なら、全員腹上死がいいわね」

 梨乃がポツンと呟いて堺に振り向いたが、堺は気付かぬ振りをした。

「兎に角やつは、必ずうちが絡んでると思っているはずだ」

「動かないほうがいいですか?」

「我々は我々の仕事をしよう。堺くん、やはり明日ラオスに発ってくれ。漆原くんは先に行って現地で例の日本政府お達しのワーケーションをしてる…事になってる。空港で落ち合ってくれ」


 ワットタイ国際空港に付いた堺は、約束の場所に漆原を探したがいなかった。仕方なくひとりで宿泊ホテルに向おうとタクシーに乗った。ラオスは堺も学生時代に来たことがある。市内へのタクシーは固定料金でぼったくられる心配がなかった。乗車の際、ふと見ると日本製の循環バスが停まっていた。堺が旅した頃はバスなどなかった…などと考えていると、携帯が鳴った。

「漆原です」

「ああ、会えなかったので今タクシーの…」

「分かっています。私は少し後方のタクシーです。尾行を確認してます」

「…なるほど、そういうことか」

「このままホテルに直行しないで、ホテルを500mほど通り過ぎたレストランに入って待っててください。尾行が居ないことを確認したら電話を入れますので、その後にホテルにチェックインしてください」

「了解」

 暫くすると漆原からチェックインOKの連絡が入った。堺がホテルの部屋に入るとまた携帯が鳴った。

「漆原です。私は左隣の部屋です。コネクティングルームになってます」

「分かった。明後日だな、連中が来るのは」

「明日はそのホテルにやつらがチェックインするのを確認に行きます。今日はこの後、打ち合わせをと…」

「そうしよう」

「そちらに行きます」


 翌日、漆原は受注した解体工事の発破作業を終え、堺の “片付け” を待って、2日後に堺と一緒に帰国の途に就いた。報道ではラオスの首都ビエンチャンのホテルで40人以上の日本人観光客が変死したことが報じられた。身元が明らかになると、全員いじめで係争中の学校と教育監理会の役員らだった。

 黒岩が「片付け屋」に顔を出した。

「漆原くんはラオスに行っていたようだね」

「ええ、解体工事の受注があったものですから。私の元の勤務先で世話になった会社なので断れなくて…」

「後から堺さんも行ってますね」

「2日後に行きました。漆原さんの手伝いで。手を離せない仕事が残っていたものですから急いで片付けて…」

「じゃ、事件のことは向こうで?」

「事件って日本人観光客のことですね。教育監理会の研修旅行とありましたね」

 黒岩は “恍けやがって” と漆原を悪意の視線で睨んだ。その目は漆原が散々悩まされた岩田の目と同じだった。しかし漆原は冷静だった。

「帰国してから新聞で知りました。現地は日本ほど大騒ぎしませんから」

「なんで死んだんだろうね?」

 梨乃は堺の顔を見た。デスクワークの堺が気付くと、梨乃は満足げに顔を逸らした。

「新聞には “変死” としかありませんでしたね」

「あなたが殺るとしたら、どうやって変死させるかな?」

「物騒なご質問ですね。その前にやりませんよ。何の意味もないでしょ」

「ないかな…堺さんならどうやります?」

「考えておきます」

 堺はデスクワークをやめずに黒岩の質問を上の空とも事務的とも思える反応で流した。岡本が間に入った。

「黒岩さん、わたしどもの社員の関与を疑っているのですか?」

「いや、参考意見を聞こうと思ってね。事件のラオスに行ってたわけだから」

「それにしても露骨すぎませんか? ラオスは本州ほどの面積があるんです。いちいち関連付けられても困りますよ」

 黒岩は岡本を睨み付け、不敵に微笑んだ。

「また参考意見を聞きに来るよ」

 黒岩の執拗さに、岡本ははっきりと杭を刺した。

「お役に立てるようにしたいとは思いますが、偏見は困ります」

 椅子から立ち上がった黒岩に、岡本が更に言葉を投げた。

「そう言えば黒岩さん、先日、ひょんなところで奥さんを見掛けました」

 一瞬黒岩の動きが止まった。

「相手の方と極親しくしてらっしゃるんで、私のほうはてっきり黒岩さんかと思って声を掛けようとしたんですが、違ってたんで慌ててやめましたよ」

 黒岩は既に妻と別居して半年近くになっていた。何か聞きたげだったが、“あ、そう” とさり気ない振りを装って帰って行った。


「岡本さん…」

「奥さんのこと…もう少し調べとこうか…」

 芦川がにんまり微笑んだ。

「調べてますよ、詳しく、いろいろと」

 岡本も微笑んだ。


 窓際のテーブルに届け物が山と積まれていた。この頃、関わった被害者たちからお中元が届くようになった。それを見るたびに岡本はある種の安堵を覚えた。


〈第20話「出る杭を打つ応援者」につづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る