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すべてのエピソードへの応援コメント

  • 古事記と日本書紀について、「ターゲットにした読者が違う」というのは、面白い観点ですね!!
    なるほどと思いました。


  • 編集済

    壬申の乱を語るならば、鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)もお忘れなくぅ!
    大海人皇子の勝利の陰に、さららあり!

    それを言うなら、大友皇子の方も言わねば、か!
    大友皇子の傍らには、十市皇女(とおちのひめみこ)あり。
    でも、十市皇女の胸の中には、ずっと、高市皇子(たけちのみこ)が。

    そして、十市皇女は、額田王(ぬかたのおおきみ)の娘。
    「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
    と歌った情熱の歌人。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます

    あまり細かく書くと、日本史苦手な人が困っちゃうので、鸕野讃良皇女は割愛しました💦 

    補足ありがとうございます

  • そういう流れだったんですね。捨て子は減っても犬を大事にしない人は
    痛い目にあいましたね。本末転倒な気もします。
    松尾芭蕉って忍者説があったんですか!
    面白そうです。私、クノイチなので親近感がわきます。

    作者からの返信

    星都ハナスさん

    いつもコメントありがとうございます。

    生類憐れみの令は本末転倒ですね。財政難を起こすし

    ハナスさん、クノイチだったんですか! 忍術教えてください

  • ごきげんよう、何事もほどほどに、が大切だと言うお話ですね。
    動物愛護は大切ですが、動物の方が人間よりも大事にされては本末転倒ですものね。
    だけど孤児院を始めとする社会福祉関連については良い結果でしたね。
    昔聞いた話では、水戸黄門さまが生類憐みの令に反対を示すために、綱吉さんの目の前で犬を切り殺して(これはこれでワンちゃん可哀想ですが)、綱吉さんは黄門さまを罪に問わなかったとか。
    でもこれで財政が傾くのは頂けませんね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます

    私が聞いたのは、水戸黄門が綱吉に、犬の毛皮を送ったというお話です。

    どちらにせよ、水戸黄門は生類憐れみの令をディスっていたと思います。

  • ごきげんよう、家光さん、正室さんとも閨をともになかなかせずに、世継ぎもなかなか生まれなかったとは聞いていましたが、オネエサマでしたか。
    確かに、大河ドラマのアーカイブを見ると男装の麗人には気持ちが入ってましたものね。
    東照宮は元々静岡の方にあったとは聞いていましたが、キンピカになったのはオネエサマの趣味だったんですね。
    栃木県はオネエサマに足を向けて寝られませんね。
    大阪の人々と毛利のお殿様は江戸に足を向けて寝ると聞いたことがあります。
    天草さんってイケメンだったんでしょうか? そんなイメージでよく描かれてますよね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます。

    東照宮が静岡にあるのは、よくご存じですね! さすがです。

    本筋から外れるので割愛しましたが、東照宮が最初にできたのは、実は栃木県日光じゃなくて、静岡県が先です。

    というのも、家康の死後、最初に静岡の東照宮に祭られました。

    そして家康の一回忌を機に、神格を移したそうです。

    個性を引き立てるために、イケメンキャラにしましたが、天草四郎がイケメンだったかどうかは、わかりません💦  

  • ごきげんよう、徳川家も三代目までは、戦国時代や家康さん、秀忠さんが苦労したのを知っていますから、地盤を固めるのに熱心な様子ですね。
    鎌倉や室町といった先輩幕府が地方の反乱で苦労していたのを活かしたのかもですね。
    秀忠さんの娘さんは天皇に嫁いで、生まれた女の子ちゃんが女性天皇になったんじゃなかったでしたっけ?
    その意味では朝廷も抑え込めたんですよね。
    4代目以降が、ここから苦労して幕府を維持していかなければならないんですね、子孫の方々もたいへんですよね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます。

    江戸幕府は鎌倉、室町の反省を活かして、厳しくしたんですが、逆に反感を買ってしまいましたね💦

    揺らぎが見えてくるのは、やはり5代目以降でしょうかw
    子孫は大変というか、いささか金遣いが荒いかなと思いますw

  • 参勤交代のパレードっていいですね。
    雇用は増えるし、武器は買わないし、戦が減って平和になるのかしら?
    そんな甘くないですね。

    作者からの返信

    星都ハナス様

    いつもコメントありがとうございます!

    参勤交代させたり、経費は削ぎますが、結局争いは起きます💦

    政治はいつの時代も上手く行きません。

    近況ノートにもコメントありがとうございます。

    「芸術的なまぜソバ」は、「夢のようなラーメン」と同じお店です

  • ごきげんよう、家康さん、狸と呼ばれるだけのことはありますね。
    戦う前から勝利の8割を手中にする事前の調略、純真で熱血の石田さんには出来ない腹芸だったでしょう。
    関ケ原以降ははもう、豊臣に残った淀君や秀頼さんだけでは太刀打ちできなかったでしょうね。
    真田さん家だって、お兄さんが家康さんに味方し、弟が豊臣さんに味方して、どっちが勝っても家は残るようにしたといいますし。
    サバイバル時代だったんですね。
    江戸時代に入っても、大名さん達はお取り潰しにならないようにとサバイバルは続くみたいですね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます☺

    家康も秀吉に負けない人たらしですよね。

    江戸時代になると、徳川の圧力が強くなるので、お殿様(大名)と言えど、大変です

  • 最新(2000年代)の研究によると義政君は、
    政治に関心のないポンコツではなく、
    政治大好きだけど致命的にセンスのないポンコツだったらしいですよ

    作者からの返信

    @adrasionさん

    コメントありがとうございます☺

    諸説ありますが、どの道、将軍としてはポンコツですね

  • ムキーって本当に言ってたら面白いですね。

    近況ノートにお返事ありがとうございます。
    近日中にご紹介させて頂きます。

    これだけ分かりやすく書くためには、資料を調べて読んでまとめるのに時間がかかると思います。ご自分のペースで書きたい時に……お待ちしています。

    作者からの返信

    星都ハナスさん

    いつもコメントありがとうございます☺

    お休みと言っても、1日なのですぐに戻って来ます


  • 編集済

    ♪滋賀の都よ いざ さらば(琵琶湖周航の歌)

    ですね!

    16世紀末、豊臣秀吉は、朝鮮出兵の命を下し、自身も、九州唐津の名護屋城に在陣して、渡海する諸大名らを指揮しました。
    さて、中大兄皇子、白村江の戦いの折、どこにいましたっけか!?

    九州、大宰府近くに今も残る水城址は、巨大な遺構です。
    あれを見るだけでも、当時の日本の敗戦の衝撃と、大国唐への恐怖が感じられる様です。
    それと同時に、半島出兵の大敗にも拘わらず、権力を失うことなく大津の宮で天皇に即位した中大兄皇子の政治力にも、瞠目するものを感じます。

  • まあ、乙巳の変が是か非か、蘇我氏が本当に悪逆だったか、中大兄皇子が正義のヒーローだったか、この辺りは、後の世に記された古事記/日本書紀の、多分に手前味噌な記述を見るしかない訳ですので、何とも言えませんね!?

  • 飛鳥時代の始まりと、隋の煬帝の存在は、密接な関係がありますね。

    日本に「漢委奴国王」の金印が贈られたのは後漢時代、邪馬台国が魏志倭人伝に記されたのは三国時代。後漢は中国の統一王朝で、魏は後漢滅亡後の三国時代の一国ですが比較的優位、でも、その後の中国はわずかな時期を除いて、分裂時代。それを統一したのが隋でした。
    隋による中国統一が、東アジアのパワーバランスを大きく変化させた。

    そうした巨大な国際政治のうねりの中で、日本を統一国家としてまとめ上げて行った推古天皇と、実在したのかどうかが多少あやしくとも聖徳太子は、――私、東日本の人間ですので「大和朝廷に征服された側」ですが――、政治家として巨人であったと思いますね!

  • へえ〜!へえ〜!
    征夷大将軍になれなかったんですね。初めて知りました
    ズッコンバッコン好きは知ってました。大事ですよね。
    三成エピソードも興味深いです。

    作者からの返信

    星都ハナスさん

    コメントいつもありがとうございます。

    意外にも秀吉は征夷大将軍ではなかったんです。

  • ごきげんよう、将軍さまって源氏だけかと思っていましたが、平家も資格在りだったんですね、勉強になりました。
    家康さん、鳴くまで待とうですね。
    秀吉さんと家康さん、どちらも歳が歳だけに、家康さんは先に死んではいけないと健康オタクになったとか聞いたことがありますが。
    三成さん達官僚派と家康さんを担ぎ上げた福島さん達武闘派の抗争ですね。
    関白から太閤さんにまでなったのに、老後は淋しそうでちょっと可哀想ですけど、寧々さんを放っておいて浮気した罰かもですね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます。

    源氏も平家、どちらも元々天皇家の流れですからね。

    武家政権とはいえ、日本はあくまでも天皇中心だよ、という事でしょうか。

    とはいえ、作中でも語ったように、織田も徳川も、本当に源氏や平家と繋がっていたかは、怪しいですがw

  • とても面白かったです。
    楽しく読める日本史というテーマが良いですよね。
    文章も読みやすく、惹きつけられました。
    さらに続きを読んでいこうと思います。

  • ごきげんよう、この辺り、何故本能寺の変は起きたのか? はミステリーとして何度もドラマや映画、小説やドキュメンタリーで取り上げられていますよね。
    確かに損得で考えると秀吉さんなんですけど、明智さんはなんで反旗を翻したのか、秀吉さんにそそのかされた、と言うだけじゃないような気もしますし。
    清須会議も映画になっていましたね。あの場での秀吉さんの作戦は見事でした。
    というか、勝家さんも滝川さんも不運でしたよねぇ、丹羽さんはなんだか風見鶏でしたし。
    信雄さんの残念ぶりはこの後も続くんですよね。
    お父さんが優秀だったのに子供が残念というパターンは、歴史上よくみられますものね。

  • ごきげんよう、信長さんみたいな為政者が登場していれば、それまでの鎌倉幕府や室町幕府も潰れなかったかもしれないですね、逆に言えばそれだけ信長さんが革新的だったということなのでしょうが。
    自由経済が理解できていたって、当時としては凄いことだったと思いますが、自分で思い付いたのかしら? それともどこかにお手本があったのかしら?
    でも、これでお寺の権利を台無しにしたから、本願寺とかに逆恨みされたんですよね。抵抗勢力ということなんでしょうね。

  • 楽市楽座の例え、めちゃくちゃ分かりやすかったです。
    今の政治にも取り入れられる事ってあるのかしら?

    作者からの返信

    星都ハナス様

    いつもコメントありがとうございます☺

    楽市楽座の例え、わかりやすくて、よかったです。

    今の政治に取り入れるというか?日本経済の基本は「法律の範囲内なら、何してもいいよ」という自由経済なので、日本全体が楽市楽座と言えますね

  • ごきげんよう、信長さんの人生、確かにとんこつラーメンよりも濃厚ですよね。
    信長さんの事績を追いかけていると、この人どんだけ長生きしたのかしら? と勘違いするくらいですものね。

    長篠の戦も、鉄砲の三段撃ちはあったとかなかったとか色々言われてますよね。
    勝頼さんは、お父さんの部下達のほうが強くて、跡を継いだもののなかなか思うとおりに行かず、意地になっていたという話も聞いたことがあります。

    いよいよ運命の本能寺ですね。
    せめて長男さんだけでも岐阜に置いてくれば、歴史は変わったかもしれませんね。

  • 信長包囲網、甲斐の虎、最強騎馬軍団、三方ヶ原の戦い、脱糞事件の黒歴史。
    戦国時代って面白いですね。本能寺の変がなければ、歴史はどうなっていた?


    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます☺

    本能寺の変がなかったら、信長天下をとって、家康か秀頼がナンバー2

    大阪城や江戸城はなくて、滋賀が日本の中心になったかもしれませんね。

    とは言え、信長は敵が多かったから、力で押さえつけたしっぺ返しが、いつか来たかもしれませんね。

  • 第33話 信長登場!への応援コメント

    ごきげんよう、信長さん登場で、ここら辺りからはドラマや小説でよく見かける名前やシチュエーションが目白押しになってきますね。
    豪雨で見通しが悪くなったことで、今川軍は信長さんの奇襲に気付くことができなかったというお話を聞いたことがあります。
    信長さんは子供のころDQNだったとのも有名な話ですが、彼が織田家を相続するにも一波乱あったとか。
    今川さんって守護大名さんではなかったでしたっけ?
    そんな名家を奇襲で撤退させるのも、すごい大逆転劇ですよね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます☺

    この辺は、何回大河ドラマになってるんだ?っていうくらい、人気の時代ですね。

    弱小だった信長の逆転劇はやっぱり、すごいですよね

  • 第33話 信長登場!への応援コメント

    ここらへんって面白いですよね。
    信長が一番好きです。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます☺

    大河でもあの手、この手で題材にされてる時代ですから、すごい人気ですよね

  • 文字の記録は大切ですよね。
    日本では、飛鳥時代や奈良時代から、木簡や紙に、行政の記録をしっかりとつけて、それを引き継いで来たというのに、近頃の官僚や政治家と来たら!!
    困ったもんです。

    作者からの返信

    文字は大事ですよ。

    ちゃんと記録があれば、邪馬台国論争なんて、起きなかったかもしれません

  • 邪馬台国の有力候補地である纒向遺跡からは、大型の掘立柱建物の遺構と、大量の桃の種が出土していますね。
    桃は、祭祀に使われたのでないかと言われており、また、桃の種の放射性炭素年代測定によって、卑弥呼の時代である2世紀前半から3世紀前半の遺跡であった可能性が高いと見られています。
    ただ、古事記・日本書紀には、神武天皇の東征神話が記されていて、大和朝廷が九州から大和へ進出して来たとも見られるために、纒向を邪馬台国と断じるのも、難しそうですね。
    大和朝廷による統一国家の成立を考える時、私は、製鉄技術の成立の過程も、合わせて考えるべきでないかと思います。

  • ごきげんよう、なるほどです、これは判りやすいですね。
    学校では世界史と日本史、それぞれ別教科として習っちゃうので、互いの関係性が判り難かったのですが、こう物語にして頂けると理解が進みますね。
    でもこのころから日本の真似して独自の文化に取り入れるという特性が発揮されていたんですね。以前テレビで、戦国時代の日本は世界最大の鉄砲保有国で最大の銃撃戦を行っていたと言っていましたが、これだけ早く国産化に成功するのですからそれも当然ですね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます。

    わかりやすいと言ってくれて、ありがとうございます。

    そうなんです、歴史っていうのは、本来全体を見なければ逆に理解しずらくなるんですね。

    ただ、日本は閉じていた時代が長いから、日本史という単独の形でも成り立ってしまいますが、やはり世界史も合わせて一つのドラマとしてみると、おもしろくなります。

    鉄砲の国産化の早さは、あっぱれですね。尺の都合上、省きましたが、種子島の刀鍛冶は鉄砲をコピーする時、どうしてもネジの作り方がわからなかったので、外国人に自分の娘を嫁がせて、ネジの作り方をパクったというお話があります。

    当時の人の本気さが伺えますね

  • ごきげんよう、日野富子さん、ここぞという時に出しゃばっては引っ掻き回しますねぇ、困ったひとだな。
    足利将軍家、本当に「くっ!」とか言ってコロコロ亡くなっちゃうのが、もう。
    早死にの家系ですけど、それでもしぶといと言えばしぶといですね。
    細川管領家は管領とは名ばかりで生き残りに命を懸けてる感じで、室町幕府のシステム自体がもう上手く機能していない感じがしますね。
    でも、確かにややこしい。
    ややこしいから、あんまり人気がないのかしら、室町時代って(一休さんくらいですよね)。

  • ごきげんよう、日野富子さん登場ですね。悪女と呼ばれて名高いようですけれど、こうしてみると、うん、確かになぁ。
    ここら辺りから、細川さんや斯波さんと言った戦国時代の有名人のご先祖様が出てき始めましたね。
    それにしても義政さん、のんきのへーさん、ですね。
    こんな状態で国中戦争ばかり、国民は困窮、幕府は名ばかりの状態なのに、足利幕府ってまだまだ続くのが不思議ですね。
    お神輿としては必要だったんだろうなぁ。


  • 編集済

    縄文に続けて、弥生も、楽しませて頂いています。

    一つ、追記をさせて下さい。
    三内丸山遺跡を見に行った時に聞いた説明で、「当時は海面が高かった」という話がありました。
    三内丸山は、新青森駅からそこそこ奥まった丘陵地にあるのですが、村落のはずれの沢の様なところまで「海」だったのだそうです。
    海面が高い、つまりは地球は温暖化していた。
    氷河時代、日本は大陸と陸続きで、旧石器を手にした人たちが、ナウマンゾウなど大型哺乳動物を獲物として追って、この列島にやって来た。
    地球の温暖化によって、列島は大陸から切り離され、ゾウなどの大型哺乳類も姿を消し、縄文の人々は、イノシシなど中型哺乳類を狩猟しながらも定住を始め、黒曜石を主商品に交易を行い、その文化は青森や北海道まで広がった。
    そして、縄文後期、地球は寒冷化して、東北北部や北海道の文化は衰え、代わりに海退によって沖積平野が現れ、九州などで水田耕作が可能になったのだろうと、私は考えています。
    海進がなければ縄文はなく、海退がなければ弥生はなかったのでないかなと考えます。

  • ごきげんよう、足利さんの家系は早死にしちゃう家系ですね。
    まあ子供の頃から飲酒してたんじゃあ、仕方ないかもです。
    令和になるときに三種の神器が相続されましたが、あれは南北どちらのなんでしょうね。
    今、女系天皇とか女性天皇とかの問題が出てますが、wikipediaで天皇家の家系を見ると(男性天皇の血統を辿る意味では)、北朝はノーカウントになってますね。
    後醍醐天皇からの南朝血統の方を辿るようですね。
    私も、東山文化の方が好きかしら、銀閣寺の方が魅力的に思えます。

    作者からの返信

    私も東山文化の方が好きですよ。これぞ日本って感じがします。

    三種の神器に関しては、どうなんですかね……そもそも草薙の剣に関しては、「壇ノ浦の戦い」で海に沈んでるし、

    まあ壇ノ浦に沈んだのは、レプリカと言い張ってるみたいですがw

  • やべぇ奴と短命な人ばかりでしたね。
    長生きしていれば歴史は変わったかもですね。
    もっとアバラガチャンバラバラバラな日本になってたと思います。

  • ごきげんよう、こうしてみると鎌倉幕府、成立のタイミングが悪かったのでしょうか。
    武士の時代を開いたのは良かったのですが、やっぱり初めての体制ということもあって、ベータ版、っていう感じだったんでしょうね。おまけに外国や朝廷も反対勢力になっちゃうし。
    事実上北条幕府だったところもちょっとダメだったのかもしれませんね。
    武士政権、幕府が鎌倉、室町と続いて、反省材料や改善点を洗い出した結果の江戸幕府だったのかもしれませんね。
    でも足利尊氏さんって、日本史の中では極端に人気がないような気がしますね。
    なんでだろうか?

  • 鎌倉時代篇、お疲れ様でした。
    室町時代も楽しみにしております。

    BTSのバターのモノマネ、シバターが好きです。

    作者からの返信

    星都ハナスさま

    声援ありがとうございます。

    しバター面白いですよね。

    りょう君「アバラガチャンバラバラバラ」の所が耳に残ってますw

  • 確かに、それはヤバイですね😅

  • 田中芳樹の小説で隋の出兵と滅亡を見たことありますー。
    外交にはタイミングが重要、しかしこの時代に実践できるってスゲエ。

    作者からの返信

    卯月様

    コメントありがとうございます☺

    聖徳太子と推古天皇の外交のタイミングは神がかってますね。

    それだけ、優秀な人物って事じゃないでしょうか?

  • 一昨年、三内丸山遺跡を見て来ました。
    長年憧れていた遺跡だったので、感激でした!!
    縄文土器って、世界史的にも最古に属する土器なのですよね!!
    そして、縄文時代より以前、旧石器時代から、日本では、ナウマンゾウやオオツノジカを追って暮らした人々の痕跡があり、黒曜石などの物流のあった事が伺えますね!! 日本て、実はすごい先進国だったのではないか、などと思っています。

    作者からの返信

    デリカテッセン38様

    コメントありがとうございます☺

    縄文土器は世界最古、黒曜石も使っていた。

    最古の文明のメソポタミア文明よりも先に、土器を使っていたのは事実です。


    けど、文字がなかったのと、60進法などの数学、暦を使っていたかどうかわからない、という理由で四大文明の仲間に入れないのは残念です。


    今後、新たな発見があれば世界5大文明として縄文文明が仲間入りするかもしれません。

  • この作品は面白くてついつい読み漁ってしまいます。
    某少年ジャンプ漫画で聖徳太子をギャグマンガにしたのがありますが
    コミカルにすれば分かりやすくなりますね。

    作者からの返信

    滝川ヒロキ様

    コメントありがとうございます。

    そう、コミカルにすれば理解出来るんですよ。教科書も面白ろおかしく、なればいいのに、と思ってます

  • ごきげんよう、うわーん、ズルいですよ東樹さま!
    いざキャバクラで飲み物吹き出しちゃいました!

    千早城、赤坂城は、現在の大阪府で唯一の「村」、千早赤阪村にあるんだよと大阪出身のお友達がドヤ顔で説明してくれたのでよく覚えています(なんであなたが自慢げなの? と問いたかった)。
    楠木正成さん、なんで悪党なんだろうと思っていたのですが、そうか、フリーランスということだったんですね。
    ゲリラ戦を展開して幕府軍を悩ませた戦巧者という評価ですよね。
    新田さんは裏切り者というイメージがありますね。
    でも国内もこれで揉めてしまって、南北朝時代に入っていくんですね。
    やっぱり戦争はするものじゃないですね。

    作者からの返信

    おだしのぶ様

    いつもコメントありがとうございます。

    「いざキャバクラ」は、わりとベタなギャグと思ったんですが、楽しんでくれてよかったです☺

  • ごきげんよう、フビライさんのお手紙、まさしくメンヘラっぽい!
    謎の上から目線ですから、時宗さんも「うざっ!」と思ったことでしょうね。
    ヤンデレに好かれてストーカーにでもなられては大変ですものね。
    フビライさんは手を広げ過ぎて管理能力を超えてしまって反乱が相次ぎ、日本はなんとか防衛したものの財政難に陥り御家人の不満は募り……。
    本当に、戦争なんてするものじゃありませんね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん

    いつもコメントありがとうございます。

    フビライのメンヘラ手紙は多少誇張してますが、少なくとも私にはメンヘラに見えたので、あのような表現になりましたw

    本当に戦争はするものじゃないです。戦争の事書いてると時々気が滅入ってくることがあります。

  • 東海オンエア、踊念仏のワードに興奮。
    興味深い考察でした。

    作者からの返信

    東海オンエアは個人的な趣味です

    しばゆー推し

  • ごきげんよう、仰る通り、乱世の後に訪れる平和な時代は、確かにそれまでの欲求不満や鬱憤を吹き飛ばそうとするかのような勢いのある流行だったり、思わず笑ってしまうような流行だったりしますよね。
    宗教の方々も、自分の宗派を盛り上げようと色々工夫していたんですね。
    踊念仏なんかも、当時の娯楽が少ない時代だと庶民の皆さんにはウケたかもしれませんね。
    禅宗なんかは武士に広まったと聞きますが、やっぱりお侍さんはちょっとカッコツケたかったから、ストイックな方に走ったのかしら?

  • ごきげんよう、北条政子さん、尼将軍という二つ名に相応しい、凛々しい女性なんですね。
    結局、北条家も、上皇さんや摂政関白と同じように、傀儡を操って実権を握る方向を選んだようですが、黒幕って感じが日本人て好きなのかもしれませんね。

    【幕府を見張る、六波羅探題の設置】とありますが、朝廷を見張る、ではないでしょうか? すいません、もしも私が間違っていたら流してくださいませ。

    次回も楽しみにお待ちしていますね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん、いつもコメントありがとうございます。

    本当に嬉しいです。

    幕府を見張る六波羅探題になっていましたか💦 間違えました

    教えてくれて、ありがとうございます。

  •  は~い! ここテスト出ますよ! 暗唱!
     「「「いいくにつくろう鎌倉幕府」」」

     懐かしいです。今は変わっているのですね……。

  • 第18話 源平合戦 その2への応援コメント

     清盛さんの圧政は有名ですね。
     福原(今の神戸)に遷都しようとして、失敗して都を荒廃させたとか。
     それと、「平家にあらずんは人にあらず」をコメディタッチで入れて欲しかったです。
     これから後白河さんの報復が、どの様に書かれるか楽しみです。

  • ごきげんよう、なるほど、鎌倉幕府といっても、徐々に権力が集まってきたから、どの時点を持って頼朝さんが頂点かという判断基準がブレちゃうんですね。
    幕府が出来たという観点からだと1192で良さそうですけど、実質的な国政の頂点という意味では1185っぽいですよね。
    頼朝さん、ドラスティックに国盗りに動きましたが、幕府を開いてからが短かったですね。というか、三代まであっという間、後は北条さんが事実上の天下みたいなあ感じですね。後鳥羽さんもやっぱり無駄な抵抗になっちゃた様子ですね。

  • 1192で覚えたので、なかなか変えられませんね。

    作者からの返信

    その通り!

  • 九州じゃないかなぁ…どうだろ。
    卑弥呼の存在もそうだけどミステリアスが詰まってるよなぁ邪馬台国。

  • ごきげんよう、まさに血で血を洗う骨肉の争いでしたね。
    それにしても頼朝さん、凄いな……。
    平泉藤原さんこそいい迷惑、とばっちりでした。
    この時点で後白河さんはどうなってるんでしょう?
    征夷大将軍として鎌倉幕府を開いて良いという宣下は後鳥羽さんからだされたんでしたよね?
    後白河さんが健在だったら、頼朝さんにみすみす権力を渡すようなことはしなかった気もしますよね。

    作者からの返信

    おだしのぶさん、いつもコメントありがとうございます。

    ちょっと説明不足でしたが、後白河上皇は奥州合戦の後亡くなります。

    後白河上皇が頼朝に権力を渡したくないので、征夷大将軍にするのは拒んでいたのですが、彼が亡くなったので、1192年にようやく頼朝は征夷大将軍になれたんですね。

  •  面白いです。そして、知らなかった。
     遣唐使の船で来たと書かれていたのは覚えていたのですが、その前に5回も失敗していたのですね。
     栄叡と普照は、日本史に乗ってもいいほどの偉業を成し遂げたのでしょう。
     でも、お弟子さん達も必死だったのですね。
     お役人さんごくろう様です。(`・ω・´)ゞ

  • 第20話 源氏合戦 その4への応援コメント

    ごきげんよう、源平合戦はやっぱりボリュームがありますね、お疲れ様でした。後白河さんがメタくなるはずです。
    こうしてみると義経さんは、戦いの才能はもちろん、このころは運も良かったんですね。運も実力のうち、なんでしょう。でも戦いの流れは読めても、この後空気が読めなくて頼朝さんに追われてしまうんですよね、ちょっと可哀想(判官びいきですね)。
    私の先輩(男性)が高松の大学へ行き、「女の子のはかま姿がみたい!」と弓道部へ入部したのですが、そこで扇を射抜く競技会に出場して見事優勝、「那須与一賞」を貰ったそうです。でも彼女はできませんでした。
    ここから鎌倉時代へと入っていくのですね。

  • 第19話 源平合戦 その3への応援コメント

    ごきげんよう、木曽義仲さんの極悪非道ぶりは知っていたつもりですが、そうか世紀末ジャイアンだったんですね。彼のそばにせめてスネ夫くんがいれば歴史は変わったかもしれませんね。
    頼朝さんは結構、動きがドラスティックですよね、しかもクール&ドライで。
    お父さんの悲劇的な最期のこともあったから、余計にそうなったのかもしれませんね。
    けど、義仲さんが先に征夷大将軍になっていたのは知りませんでした。勉強になりました。

    作者からの返信

    スネ夫=巴御前じゃないですかねw

    巴御前は尺の都合で登場してませんが💦

  • 第18話 源平合戦 その2への応援コメント

    ごきげんよう、これまでの清盛さんの強圧政治が祟ったのでしょうか、平家は支持率が悪かったようですね。
    平家に人気がないのは、清盛さんの内政が悪かったから?
    確かに平家の独裁体制を作るのに強引な手を使ったようにも思えますが、それだけでこんなに人気が落ちちゃうのかしら? と少し不思議に思ってます(もちろん源氏の皆さんや後白河さんにとっては目障りでしょうけど)。
    清盛さんも、だけどタイミングが悪かったですね。

  • 第17話 源平合戦 その1への応援コメント

    ごきげんよう、源平の確執の始まりですね。
    それにしても弁慶さん、泣き所を蹴られた顔がなんだか可愛い。しかも子供みたいに泣いちゃってるし、それだけで子分にしてって、小学生並みの可愛らしさですね。
    こう書くと牛若丸さんがいじめっこみたいに見える不思議。

    清盛さんも、結局、藤原さん達に成り代わって自分が貴族になったんですよね、ここで後白河さんが得意の陰謀を駆使して勝っていたらまた歴史は変わったのでしょうが、後白河さんでも勝てないくらいに清盛さんはこの頃、ノリにノッていたのでしょうね。
    頼朝さんは島流しで最愛の奥様と出逢えて、鎌倉幕府も長く続くことになるのですから、結果オッケーですね。
    ところで今は「1192:いい国つくろう」じゃなくて「1185:いい箱つくろう」が正しいらしいですね。なんで今頃になってそんなことが判るんでしょうね、そっちの方が不思議です(私は1192で習ったのです)。

    作者からの返信

    おだしのぶ様

    いつもコメントありがとうございます☺

    たしかに鎌倉幕府の成立は、最近1185(いいはこ)に変わっています。

    じゃあ、なぜ変わったのかというと、鎌倉幕府成立時期というのは諸説あって、1180年説だったり、1183年だったり

    1192も1185も諸説ある内の一つなんですね。

    じゃあ、なぜ説が分かれているのかと言うと、もともと鎌倉幕府というのは、頼朝の軍事拠点でした。

    そして軍事権や徴税など、国を運営するうえで重要な権限を、頼朝が朝廷から奪った結果、鎌倉幕府は国の中心となりましたが……

    実は頼朝が権限を、全て一度に奪ったんじゃんなくて、少しづつ奪ったから、いつの間にか軍事拠点が国の中心になっていたのです。

    だから、鎌倉幕府の政権がスタート時期は、ひじょうにボンヤリしています。

    この辺りは、鎌倉時代の冒頭でお話するので、もう少しお待ちください☺

  • ごきげんよう、清盛さん、満を持しての登場ですね。
    天皇家が院政を敷きだしてからは、政局はますますグレーで陰謀が渦巻く感じになりますよね。
    清盛さんは後白河さんの子供だったという説もあるようですが、本当なんでしょうか? それなら権力を持つのも当然だなぁとも思えます。
    ここら辺りから源平の対立構造が表面化していくんですよね。
    でも崇徳さんの大魔王説は聞いたことはあるのですが詳しくは知りませんでした。
    この時代は、なんか幻魔大戦みたいなエピソードが多くて、怖がりの私は手が出し難いですね。

  • 勉強になりました🎶

    作者からの返信

    星海ほたる様

    コメントありがとうございます☺

  • 森緒 源です。
    ここまで拝読しました。

    学生の頃は全くと言っていいほど歴史授業に興味が無く、大和朝廷やら邪馬台国やら金印とか聞いても、何のこっちゃ !? 状態でした。

    そういう内容も解らぬキーワードを、年式とセットで暗記してテストに備えるだけの歴史授業が本当に好きじゃなかった。

    逆に、地理の授業は面白かったし、旅行が好きだったので、地勢や産業、文化などの関連が、地方を訪れた際にまた理解出来たりして楽しかったですね。

    こちらの作品は分かりやすくて読んでいて面白いです。
    良いと思えるのは、「記録が残ってないから空白の年代のことは分からない」とキッパリ言ってくれてる点ですね。

    なるほど、歴史というのは記録があってこその話なんだ!という当たり前の事実に気付かせて頂きました。
    感謝申し上げます。

    例えば現在、日韓の問題が何やらガタガタしてますが、領土問題も含め、しっかりした「記録」というものがあればこんなに揉めたりしないのかなぁと今さらながら思いました。

    この先もまた読ませて頂きます。

    よろしくです。



    作者からの返信

    森緒源様

    コメントありがとうございます。

    ただ覚えるだけど、暗記式の歴史の授業じゃ、日本史が好きになれないのも無理ありません😢

    私の話の中にもありますが、アニメや漫画は読者を獲得するために、面白く、楽しく物語を伝える努力をしていますが、教科書はそういった工夫がないんですね。

    弥生時代から古墳時代は記述がないので、無理伝えるより、むしろ文字を使ってなかたからわからない、と言った方が日本史が面白くなったりします☺

    これからも、頑張って日本史のメッセンジャーになるので楽しんでください。

  • ごきげんよう、道長さん、光源氏のモデルになったプレイボーイさん、とか一時期言われていましたが、どうやら真実ではない様子ですね。
    紫式部さんと清少納言さんの確執とかも実は時代が微妙に違っていてなかったんだとか。清少納言さんは道長さんのお兄さんの娘さんの家庭教師だったと聞いた覚えがあります(この娘さんも天皇に嫁いだんですよね)。
    道長さんが我が世の春を謳歌し過ぎたことから出てきた出所不明のスキャンダルのようなものだったのかもしれませんね。

    作者からの返信

    おだしのぶ様

    いつもコメントありがとうございます☺

    嬉しいです😆

    道長ってプレイボーイ伝説もありますよね🙀
    ラッキーでプレイボーイって、すごいスペックです!

  • ごきげんよう、平将門さんのお話は有名ですよね。アイルビーバックとか渋い声で仰る将門さんは本当に強そうですもの、そりゃ人気でますよね。
    土地を守るのが武士、というのはこの頃からだったんですね。
    今では「一生懸命」と書くことが多いですが、昔は「一所懸命」でひとつのところ(土地)に命を懸けるのが武士、ということでこの書き方だった、という話を読んだことがあります。
    でも朝廷の皆さんは権力欲が強い割に、ちょっと作戦面や内政面がお粗末ですね。
    こんな状態が続いたら、反乱や反抗、権力闘争もなくならないでしょうね。

  • ごきげんよう、アテルイさんが哀れですよね。田村麻呂さんとの友情を信じたばかりにこんなことになって。田村麻呂さんも友人を裏切ったことになってショックだったことでしょう。
    学校の歴史でアテルイさんを習った記憶がないのですよね。田村麻呂さんは覚えているのですが。でも「麻呂」がついた名前ですからきっと格好良かったに違いないですね(違う)。
    でも東北の蛮族と見做されていた人々を「蝦夷」と名付けたって、蘇我蝦夷の名前と同じですよね。平安時代になっても蘇我さんは悪い奴という扱いで、だから東北の調停に逆らう人々に蝦夷と名付けたんだとしたら、そんなに嫌いってあげなくてよいのに、とか思ってしまいました(頭の悪い感想でごめんなさい)。

  • ごきげんよう、ドンマイで済まされる道教さん、憐れ。でも自業自得ですよね。
    和気さんの登場辺りからだんだん記憶が蘇ってきました。
    それにしても天皇、上皇といえども、女性はやっぱり愛に生きるのですね。そんな女性の性を弄んだ道教さんはやっぱりおんなの敵です。
    でも麻呂はひとりで充分だととかタンカを切りつつ、実は朝廷、公家は麻呂だらけという……。
    今回も楽しませて頂きました。

    作者からの返信

    おだしのぶ様

    いつもコメントありがとうございます☺ 

    返信遅れがちで申し訳ない反面、コメントたくさんくれて嬉しいです!

    道鏡に恋をした上皇は、なんだか名作映画「ローマの休日」みたいだなと、思います。

    とは言え、このエピソードはロマチックなものではありませんが💦

    この時代なんで麻呂が多いんですかね? 流行ってたんですかね?

    少し前、男の子の名前ゆうき、ゆうと、ゆうた、みたいに「ゆう」を着けるのが流行ったみたいですが、これと同じ事なんでしょうか(笑)

  • ごきげんよう、いつも持ち出される例えがも、物凄く面白くて!
    吉野家とすき家とか、キャバクラとホストクラブとか。
    でも判り易いというのが凄いですね。


  • 編集済

    ごきげんよう、お邪魔しています。
    面白くてためになる日本史、楽しく拝読させて頂いています。
    私も、日本史には興味があるのですが、特定の時代に偏っていたりしますので通史としては詳しくありませんから、とても勉強になります。
    それと日本史だけ教科書や授業で学んでいると、年表と引き比べながらでないと、世界史との関わり合いが判らないことが多いので、このスタイルは気付きが多くて、素敵ですね。
    引き続き楽しませて頂きますね。

  • 歴史は好きなので色々本は読んでますが、分かり安さを意識した作者様の説明でさらに楽しめております(^^)

    創作物ではありがちな卑弥呼を美化せずに、引きこもりの高齢女性と称したり……馴染み安さにリアルを混ぜた独特な感じがたまりません(笑)

  • はじめまして。
    とても分かりやすくて、楽しく日本史の勉強になります。

    こちらで失礼いたします。
    私のソロモンの知恵にお星さま、ありがとうございました。

    次、ミステリーに挑戦しようと「大化の改新」について調べていたので、
    こちらの作品、参考になりました。ありがとうございます😊

  • おかしいくらい必死な三人。
    鑑真のエピソードがこんなにドラマティックだったなんて!

    作者からの返信

    なみさとひさし様

    コメントありがとうございます。

    鑑真のエピソードは、なんとなく流されがちですが、実はすごく面白いんですよ!

  • 前説にある通り分かりやすい歴史の説明でした。
    特に日本の紀元前のお話は歴史と言うには少し趣が違うのであまり関心がない場合がありますが、こうして分かりやすく説明してもらえるととても楽しめますね。

    それと時代の雰囲気と合わせて文章の表現がされていたので飲みやすい飲料水のようにすーっと入っていきました。😄🍀✨

    作者からの返信

    郭隗の馬の骨様

    コメントありがとうございます。

    そして返信が遅れてしまって、すいません。その理由ですが、カクヨムで活動を続ける自信がなくなり、筆が進まなかったからです。

    まことに勝手な理由で、本当に申しわけありません

    今後は気持ちを入れ替えて、活動いていくので、最後までお付きあいしていただければ、幸いに思います。


  • 高校では世界史を選択してしまったので、こちらにて日本史を楽しみながら勉強するつもりです。
    同じような名前が連続で出てくるのを覚えなきゃいけないイメージがあったので日本史はやめて世界史を選んだのです。

    作者からの返信

    楽しみながら日本史を勉強できるのは保証します😊

    でも、正直世界史の方がややこしい気がします💦