応援コメント

第34話 めちゃくちゃ濃くてビックリする!? 太くて短い信長の人生とは?」への応援コメント


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    今回も、ざっくり、ばっさり、歴史の本質を突いた分かりやすい説明。
    なのですが、さすがに今回は、ちょっと一言。

    信長は、足利幕府の副将軍にはなっていません。義昭に勧められて、断っています。
    「それでは、管領に」と言われて、これも断っています。
    なぜなら、副将軍や管領では、将軍の臣下という事になり、行動が制約されます。
    これは、源頼朝が、後白河法皇から権大納言や右近衛大将を与えられてもすぐに辞任したのと同じこと。

    代わりに、信長が求めたのが、「草津、大津、境の3大商業都市に代官を置く権限」でした。
    信長は、名のみの幕府内の役職を固辞して、着実に天下布武の布石を打って行ったのです。

    重箱のすみみたいな話ではありますが。ww

  • ごきげんよう、信長さんの人生、確かにとんこつラーメンよりも濃厚ですよね。
    信長さんの事績を追いかけていると、この人どんだけ長生きしたのかしら? と勘違いするくらいですものね。

    長篠の戦も、鉄砲の三段撃ちはあったとかなかったとか色々言われてますよね。
    勝頼さんは、お父さんの部下達のほうが強くて、跡を継いだもののなかなか思うとおりに行かず、意地になっていたという話も聞いたことがあります。

    いよいよ運命の本能寺ですね。
    せめて長男さんだけでも岐阜に置いてくれば、歴史は変わったかもしれませんね。

  • 信長包囲網、甲斐の虎、最強騎馬軍団、三方ヶ原の戦い、脱糞事件の黒歴史。
    戦国時代って面白いですね。本能寺の変がなければ、歴史はどうなっていた?


    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます☺

    本能寺の変がなかったら、信長天下をとって、家康か秀頼がナンバー2

    大阪城や江戸城はなくて、滋賀が日本の中心になったかもしれませんね。

    とは言え、信長は敵が多かったから、力で押さえつけたしっぺ返しが、いつか来たかもしれませんね。