ごきげんよう、徳川家も三代目までは、戦国時代や家康さん、秀忠さんが苦労したのを知っていますから、地盤を固めるのに熱心な様子ですね。
鎌倉や室町といった先輩幕府が地方の反乱で苦労していたのを活かしたのかもですね。
秀忠さんの娘さんは天皇に嫁いで、生まれた女の子ちゃんが女性天皇になったんじゃなかったでしたっけ?
その意味では朝廷も抑え込めたんですよね。
4代目以降が、ここから苦労して幕府を維持していかなければならないんですね、子孫の方々もたいへんですよね。
作者からの返信
おだしのぶさん
いつもコメントありがとうございます。
江戸幕府は鎌倉、室町の反省を活かして、厳しくしたんですが、逆に反感を買ってしまいましたね💦
揺らぎが見えてくるのは、やはり5代目以降でしょうかw
子孫は大変というか、いささか金遣いが荒いかなと思いますw
今回も、面白くて分かり易かったです!
でも、ものは見様、考え様。
城は、そもそも軍事拠点。平和な時代になったのだから、藩庁としての一城があれば十分。
重要拠点であれば、二城を持つ事が許された藩もあったはず。
参勤交代で大名がお金を使えば、お金は消えてなくなるのでなく、市中を流通。
宿場町、渡し守、荷役夫などが潤った。
行列の威儀を整えるために、漆や彫金や錦などの工芸が発達した。
日本中で、新田開発が盛んに行われた。
儲けておいて内部留保ばかりしている現代の企業の方が、ひどいものです。
五街道が整備されて、民間の運輸交通にも役立った。
庶民の間には、富士講やお伊勢参りなどが大流行。
質素倹約は、今風に言えば SDG's で、とことん循環型社会が形成された。
文武両道の推奨が、世界に誇れる識字率の高さとなった。
『東海道中膝栗毛』も『奥の細道』も、被支配層であるはずの庶民の文芸。
やがて、19世紀に日本にやって来る西洋人は、町屋の小娘が夢中で本を読むのを見て、びっくり仰天する事になりますね!