は~い! ここテスト出ますよ! 暗唱!
「「「いいくにつくろう鎌倉幕府」」」
懐かしいです。今は変わっているのですね……。
ごきげんよう、なるほど、鎌倉幕府といっても、徐々に権力が集まってきたから、どの時点を持って頼朝さんが頂点かという判断基準がブレちゃうんですね。
幕府が出来たという観点からだと1192で良さそうですけど、実質的な国政の頂点という意味では1185っぽいですよね。
頼朝さん、ドラスティックに国盗りに動きましたが、幕府を開いてからが短かったですね。というか、三代まであっという間、後は北条さんが事実上の天下みたいなあ感じですね。後鳥羽さんもやっぱり無駄な抵抗になっちゃた様子ですね。
要するに、頼朝は、「過去に類例のないもの」を作り上げた訳ですよね。
紛争に明け暮れていた関東の侍たちを糾合し、事務や実務や財務を行う組織を整え、朝廷から朝敵扱いとなった平家や義仲や義経の存在を利用して支配範囲を広げていき、配下の御家人たちを諸国に守護・地頭として派遣し土着させて支配を確立していく。
そうして作り上げられた統治機構が、いつからか「幕府」と呼ばれる様になり、その組織が完成した時に頼朝がその地位にあった事から、征夷大将軍がその権威の象徴として君臨するという前例を成した。
その前例があればこそ、室町幕府も江戸幕府も成立し得た訳で、頼朝自身だって、きっと、最初から、脳内に完成図を思い描いていた訳ではなかった事でしょう。
ユリウス・カエサルがローマに軍事独裁政権を開いてから、「カエサル」が「皇帝」の称号として使われるようになったのと同類でしょうね。