ごきげんよう、うわーん、ズルいですよ東樹さま!
いざキャバクラで飲み物吹き出しちゃいました!
千早城、赤坂城は、現在の大阪府で唯一の「村」、千早赤阪村にあるんだよと大阪出身のお友達がドヤ顔で説明してくれたのでよく覚えています(なんであなたが自慢げなの? と問いたかった)。
楠木正成さん、なんで悪党なんだろうと思っていたのですが、そうか、フリーランスということだったんですね。
ゲリラ戦を展開して幕府軍を悩ませた戦巧者という評価ですよね。
新田さんは裏切り者というイメージがありますね。
でも国内もこれで揉めてしまって、南北朝時代に入っていくんですね。
やっぱり戦争はするものじゃないですね。
作者からの返信
おだしのぶ様
いつもコメントありがとうございます。
「いざキャバクラ」は、わりとベタなギャグと思ったんですが、楽しんでくれてよかったです☺
編集済
出ました、楠木正成! 源義経と並ぶ日本史のヒーローですね!!
今回も、歴史の主人公たちの活躍をズバッと物語る文章が抜群に面白かったです!!
この人の存在も、後の日本人の心情に多くの影響を与えましたね、良くも悪くも。
さて、私も小学校で先生から教わりました、鎌倉幕府は元寇で弱体化して滅んだ、と。
でも、大人になってよくよく考えてみると、文永/弘安の役は1274~1281年。鎌倉幕府の滅亡する1333年までは半世紀もあるのです。
戦争はするものじゃないです。
それは、いつの時代の人にも、実は共通認識で、現代人だけが達観した訳でないのですね。
そういうのは、鴨長明の『方丈記』などを読んでも感じられます。
源平合戦が終わり、幕府による武士の統治が始まり、多くの人は平和を喜んだ。
いつの時代にも、乱を好む無法者は多少はいるけど、大抵の人は平和を好む。
悪党つまりフリーランサー楠木正成は、河内で運搬業などを営む事業運営者であったと思われます(豊臣秀吉につかえた蜂須賀小六に似ていたかも)。
武士ではないから、当時の鎌倉御家人にはなれなかったけれども、その時代秩序の中で家業を営む人だった。
その正成を赤坂籠城に突き動かしたモチベーションは、果たして「七生報国」などという観念論であったのか? 私は、疑うところです。
鎌倉幕府を弱体化させたものは、直接に元寇ではないでしょう。
なぜなら、対モンゴル防衛線で戦った竹崎季長らは、多くの恩賞を幕府から与えられています。
鎌倉幕府の衰亡は、遠に、北条得宗家の弱体と御内人(内管領)と呼ばれた北条家陪臣の台頭であったと考えています。
下克上が幕政を歪ませ、諸国の人士が北条氏に不信と不満を募らせていった。
楠木正成の挙兵は、そうした政治の歪みに対するレジスタンスであったのでないか。
であればこそ、湊川の合戦を前に、後醍醐天皇に足利尊氏との和睦を勧める献言にもつながったのでないか。
私は、そんな風に想うのです。
次回、「鎌倉幕府滅亡」回も楽しみにしています。
作者からの返信
デリカテッセン38様
いつもコメントありがとうございます☺
楠木正成は個人的に大好きです