3. 詔勅

 それから何日かして、村にたどり着く。

 仰々しく馬車に乗せられて帰ってきた少女を見た村人たちは、ぽかんと口を開けていた。

 どうやら何か起こっていると気付いた者たちが、何ごとかとぞろぞろと集まってくる。

 小さな村の民たちは、それでほとんどが集まった。


 その様子を見た将軍が、前に立って、声を張り上げた。


「セオ村の代表者の方は、どなたかな」


 その言葉に、皆が顔を見合わせる。


「いや……前の村長が死んじまってからは、誰も」

「ふむ、ちょうどいい」

「は?」


 そうして将軍は何やら文書を目の前に掲げ、胸を張った。

 何ごとかと皆が顔を見合わせる。


「セオ村の諸君! 我が第三十一代エイゼン国王陛下の詔勅を口頭で申し伝える! 心して聞け!」


 それは、次のようなことだった。

 正式にセオ村をエイゼン国統治下に置くこと、街道などの整備を王城が行う準備があること、それらの速やかな調査、実行のため兵を駐屯させること、租税の回収およびその猶予期間、等々。


 するすると将軍の口から述べられる言葉に、村人たちは首を傾げ始めた。


「なんか……よくわからねえなあ……」

「難しいことを言われても……」


 すべてを読み上げても、ざわめきは止まらない。

 将軍は今一度、声を張った。


「静粛に! 当然、諸君らにも希望や意見があるだろう。近場に駐屯地を設営する。村長は国から派遣してそこに置くから、言いにくるがいい」

「はあ……」

「簡単に言えば、我が国王陛下は、諸君らの安寧な生活を保障してくださるということだ。むろん、諸君らの努力も必要だがね。追々、理解していくだろう」


 何ごとが起きているのかは、よくは理解できないが、村の入り口に兵士たちが天幕を張り出したのを見て、村人たちは蒼白になった。

 数々の、剣を腰に佩いた男たちに歯向かえる者など、この村にはいなかった。


「あ、あのっ、将軍さま!」


 リュシイは馬車から降りて、将軍に走り寄る。


「あの……私にも、よく……わからなくて」

「ふむ。ではあなたには、もっと簡単に言いましょう」


 そして将軍は微笑んで言った。


「陛下は、あなたが安心して眠れる環境を望んでおられるのです」

「安心して……眠れる」

「私はすぐさま王城に帰らねばなりませんが、常に兵を駐屯させます。何かあればそこに。なに、大丈夫、あなたに無体な真似をする馬鹿は我が軍にはおりません。首を刎ねられますからな」


 そう言って豪快に笑った。

 それを近くで聞いていた村人たちは、ますます顔を青くした。


          ◇


 いくらかの兵は駐屯地に残ったが、それ以外の者は礼を尽くして、帰っていった。

 まだ完全に傷の癒えない彼女を連れての旅は、彼らにも負担だっただろうと思うが、道中、そのそぶりをまったく見せなかったことに感謝し、リュシイは彼らの背中を見送った。


 久しぶりに戻ったセオ村は、特に被害を受けたということはないようだった。

 王城から持たされた食料や反物を村人たちに配ったり、懐かしく世間話をしたりしたあと、我が家に戻る。

 家に戻ると、棚の上に置いてあった細々としたものが床に転がっていたりもしたが、大したことはない。


 リュシイはベッドの端に座り、ぼうっと室内を眺めた。

 生きて帰ってきてしまった。


 見慣れた我が家。何年も一人で過ごしてきた、場所。一人には慣れている。

 なのに。

 そのとき、『寂しい』という感情が、一筋の涙と一緒にこぼれ出た。


          ◇


 その夜、ジャンティが王室を訪ねてきた。その手にクラッセ王から貰ったという上等の果実酒の瓶が握られていた。


「どうですか、ひとつ」

「それはいいが……、急にどうした」

「いや何、相談がありまして」


 レディオスは首を傾げつつも、ジャンティの話に付き合うことにした。

 目の前に置かれたグラスに酒が注がれると、二人はそれをかざして、当てる。チン、と心地よい音がした。


「王都や王城を毎日のように視察しておりますが、見る度に思いますな。死者が出なかったことが、嘘のようです。もちろん、救助隊の迅速な行動があってこそとは思いますがね」

「そうだな。神に感謝したい」


 神、という言葉がレディオスの口から出たことに、ジャンティはぴたりと動きを止めた。

 それに気付き、レディオスは咳払いを一つすると、話題の変更を試みる。


「で、相談とは何だ」


 レディオスの動揺には気付かないのか、あるいは気付かぬふりをしているのか、ジャンティは構うことなくしゃべり始めた。


「いや、エグリーズさまがご婚約者の方と一緒に来られたでしょう。いずれは、子供ができるのだろうかと思うと寂しくなりましてな」


 またか、と思った。しかし、話は思いもよらぬ方向へ進んでいく。


「私、今まで国にお仕えして、全力を尽くして参りました。そのせいだとは言いませんが、この年まで独身で過ごしてしまいました」

「……ああ。そなたには感謝している」

「それで、実は養子を、と考えております」

「養子? それは良い話ではないか。誰か心当たりが? そういえば、屋敷に書生がいるのだったか」

「いいえ。彼女ですよ。リュシイ殿」

「はあ?」


 思わず、間抜けな声を上げてしまった。

 自分を落ち着かせようと、手に取ったグラスの中の酒を一気に飲み干す。


「なぜそんな話に」

「いやいや、これはまだ私だけが考えている話でしてな。まだ彼女には伝えてはおりません。その前に陛下にと思いまして」

「……それは、彼女が承知すれば、それでいいのではないか?」

「彼女には身寄りがないという話ですし、できれば王都に帰ってきてもらいたいとも思いますしね」

「それは、そうだな」


 もちろん彼女が拒めば仕方ないが。

 まさか、生まれ故郷を離れることを強要するわけにはいかないだろう。


「では、陛下には異論はございませんな」

「もちろん」


 レディオスの返事を聞くと、にやりと笑ってジャンティは酒を飲み干した。


          ◇


 これで、彼女が了承してくれれば、壁は何もない。

 そう思うと、思わず頬が緩くなる。

 どうぞどうぞ、と言いながら、レディオスのグラスにどんどん酒を注いでいく。

 いったいどうしたのかと思ってはいるだろうが、ここは畳み掛けるのが一番だ。


 私の養女にしてしまえば、身分がどうのと言う輩もいるまい。

 今なら彼女は、国を救った女性として崇められている。いざとなれば、城門の女神の化身とでも噂を流してもいい。

 いや、時に現れるという女神そのものだと言っても構うまい。

 崩壊してしまった女神像を彼女に似せて作り直すのはどうだろう、などと考えを巡らせる。


 正直、彼女の力を王城に取り込みたい、という打算がないわけではない。

 特に国外には決して出したくない。


 しかしそれより何より、初めてレディオスが女性に対して関心を示したような気がする。これを逃しては、次にいつ機会が訪れるかわからない。

 まったく陛下は、女性に対して朴訥なお人であるから、黙っていては進むものも進まない。

 噂も流したし、外堀は固めた。あとは二人の行動次第で、万事解決だ。


 ジャンティは上機嫌で酒を呑んだ。


「いや、実に美味い」


 ジャンティの浮かれた様子に、レディオスはしばらく首を捻っていたが、酒が進んでからは、彼も一緒になって笑っていた。


 陛下、殿下のことはどうかご心配なさらないよう。

 そんなことを、思った。

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